「黒い神様」 第一話 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

「黒い神様」 第一話

死ぬ意外に考えられなかった。

苦しみから逃れるため?
それとも、
本当の苦しみを得るため?

夜の街を彷徨いながら、俺は夜空を眺める。
完全な闇ではなく、町の灯りを薄汚れた大気が跳ね返し、微かな緑色に染まっている。
食欲は無かった。
しかし、まだ痛みに襲われる事もなかった。
黄疸が出始めている。
本当の苦しみはこれからだろう。
財布の中身は減る一方で、決して増える事は無かった。

俺は財布の中身をあらためた。
二千十五円。

半年前に肝臓癌に罹り長期病欠。
会社を解雇された。
おまけにそんな俺を置いて、妻子は家を出て行った。
一ヶ月後、離婚届が郵送されてきた。
金がなく、病院へ通院する事も出来ず、ひとまず食肉加工会社でアルバイトをしたが、そこも解雇された。


通り過ぎる人々。
親子連れ。
若者。
老人。


俺の目の前を、台車に荷物を山積みにした浮浪者が通り過ぎて行く。
ゴミ箱の前で停まり、中を漁り始めた。手にしているのは空き缶だった。
俺には浮浪者になる選択肢も無かった。
まもなく癌が進行し、どうにもならなくなって、あの世行きだからだ。
しかも、入院する金すら無く、頼る親類も無く、病院で静かに死を待つ事も出来ない。
街を彷徨いながら死に場所を探した。
繁華な街の中で、自殺を遂げる場所など何処にも無い。橋の上から川へ飛び込んだとしても、誰かに目撃され通報されたら?
もっとも、入水自殺はごめんだった。最も苦しい死に方だと、何かで読んだ事があったからだ。


飛び降り自殺。
首つり。
薬物。


考えるだけで、それらはあまりにもリアリティーを欠き、かけ離れた世界の寓話のように思えた。
それは、俺自身まだ生きたいと思っているからなのか?

気が付くと俺は、友人のアパートの前に立っていた。
友人は、俺を部屋に招き入れ、水割りを作り差し出してくれた。
ついこの間まで、病を克服してやろうとがんばってみたが、もうどうでもよく、今や酒を飲む事に抵抗も無く………。
最後の酒になるのか、と何となく思いながら、俺はちびちびと水割りを舐めた。

「袋小路。八方ふさがり。とにかく打つ手は無いな」
「俺に出来る事は?」
「こうして、話し相手になってくれているだけで十分だよ」
「………」

友人は一度天井を仰ぎ、ため息をつくと、ゆっくりと立ち上がり台所に消えた。
戻ってくると、新しいウイスキーのボトルにオイルサーディンの缶詰を抱えてた。

「なぜ………」

俺は黄色くなった手のひらを見つめながら呟いた。

「ん?」

「何故俺だけこんな目に遭うのか、といつも思ってた」

それから、ほとんど話す事もなく、俺たちは水割りを飲み続けた。
新しいウイスキーのボトルが半分ほどになった。

アルコールが体を駆け巡り、視界がまわった。
友人を見る。
そこにいたはずの友人は、黒い影のように見えた。

その直後、俺は絶句した。

一瞬にして友人の体がドロリと溶解し、飛沫を上げて床に落ちた。
友人の座っていた辺りに、赤黒い液体が広がり微かに脈打っている。
その液体がゆっくりと移動し一つに収束する。
大きな黒い固まりになり、脈打ちながら徐々に膨張していった。

人の形だった。

光を吸収して、何も跳ね返さない暗黒。

「なんてこった」

目の前の人の形をした黒い固まりは、頭に二本の角があり、背中には黒い翼が生えていた。
俺は頭の中で、悪魔だ、と呟いた。その言葉は目の前の異形のものに届いたようだ。
そいつは俺にこう言った。


「おまえ、俺の事ちゃんと見てるの?俺、神様なんだけど」
「神様?」
「あたりまえじゃん、なんか勘違いしてるんじゃねえの?」
「………」


俺は飲み過ぎたのだろうか?酔って幻覚を見ているのか。それとも、酔った挙げ句に眠ってしまい、今は夢の中にいるのだろうか?
目の前のそいつは、またもや俺の心の中のつぶやきを聴いたに違いない。
即座にこう返して来た。


「だからさあ、これは現実なんだよ。すべては俺の仕事なんでね」





~第二話に、続く。

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