こんにちは~
西琳寺を後にして、次の目的地に向かいました
一緒に行った友人が、子供の頃この近所に住んでいたらしく・・・。
ある日、学校の帰りにいつも通学路にあった森が気になって、グーグルマップで調べてみたそうなんです。
マップには何の記載もなく・・。
そして、グーグルアースで見たものは・・・鳥居でした
鳥居だけしかわからず・・。
鳥居があるから神社なのか、神社ならどうして名前が載っていないのか
ずっと気になっていたので、この日、西琳寺を出て、確かめに行く事になりました
謎の森へ向かう途中、戦国時代の河内国の守護、畠山氏の居城となった高屋城の土塁が今も残っているのを発見
この辺り、高屋城というお城があったそうです
わっ
せっかくの説明書きが・・・こんなことに
この土塁の残る辺りは、高屋城の搦手(裏門)の位置になるそうで、近くに不動堂があることから「高屋城の不動坂」と言われていたそうです。
高屋城本丸には安閑天皇陵、その南側に二の丸、三の丸を配していました。
天正3年(1575年)、織田信長軍によって高屋城を攻め落とされ、以後高屋城は廃城となりました。
天皇陵が本丸になってたなんて・・・。
マジか・・・。
スゴイ・・。
さっ
到着しました。
子供の頃、通学する時にいつも見ていた森・・。
そこは、第27代安閑天皇皇后、春日山田皇女古市高屋陵でした。
帰宅して調べてみると、ここは高屋八幡山古墳とも言われているようで、実際の被葬者はよく解っていないような記述も。
実際、春日山田皇女は安閑天皇陵に一緒に合葬された・・という説もあるのでよく解らないですが、宮内庁はここを春日山田皇女古市高屋陵と治定しました。
友人も私も森の正体が解ってスッキリっす
春日山田皇女古市高屋陵を後にして、予定になかった高屋神社にやってきました。
春日山田皇女古市高屋陵からは200m位
ご近所さんでした。
ご祭神は
饒速日命、広国押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと・安閑天皇)
境内は狭いですが、なんともいい感じの神社でした
この頃(3月30日)は、桜も咲き始め、提灯を飾り、花見準備がされていました
白鳥神社から来ましたからね
呼んでくださったのかな
な~んて勝手に思ってマス
境内は無人で、御朱印はありませんでした。
高屋神社を後にして訪れたのは、第27代天皇である安閑天皇古市高屋丘陵。
高屋築山古墳とも言われていて、安閑天皇の妹であり、継体天皇の皇女である神前皇女(かんさきのこうじょ)も一緒に合葬されています。
このような陵に来ると、いつも思うのです
陵の主が生きていらした時代はどのような時代であったのか。
また、どのような方であったのかと・・。
時代は流れて行きますが、陵はずっと歴史を見ているんですね。
青い空に天皇が眠る陵。
安閑天皇が生きていらした時代に思いを馳せると、胸がいっぱいになりました
白鳥神社から始まった羽曳野散策はここでしゅぅ~りょぉ~デス
次は古市駅より北方面に行ってみるっかな~
いつも読んで下さってありがとうございます