こんにちは~っ
3月30日、とても暖かく気持ちのいいお天気の中、白鳥神社(しらとりじんじゃ)へ行ってきました
古市駅より徒歩1分くらい
ここは正面ではないようですが、ここから入りま~す。
御祭神は日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命、饒速日命、広国押武金日命。
境内はとても清々しく、優しい空気が流れているような・・そんな感じがしました
そうそう・・。
この後なぜか・・高屋神社と安閑天皇陵にも行ったんですよね。
予定にはなかったのですが、そういうことだったんですね
ご祭神を知ってなっとくぅ~
拝殿の前に立つと、空気が変わりました・・・
「伊岐宮」の扁額
扁額の近くに、「楠勢 渡辺橋畔に敵の傷病兵を救ふ」と書いてある額が・・。
気になったので帰宅して調べてみました。
楠木正行が住吉、天王寺の戦いの際、退却する敵兵が渡辺橋に殺到し、多くの兵が川に投げ出され・・・。
この時、正行は『敵兵を救え。』と、負傷した多くの兵を手当し、衣食や薬を与え、京へ帰させたそうです。
いわゆる「渡辺橋の美談」と伝えられるお話を絵で表したもののようです。
でも、どうして、白鳥神社にあるのか・・
灯篭には三日月
白長大明神
あっ!メジロ・・
階段を下りて、こちらが正面の二の鳥居
この道、長い参道だったんですね
御神木が小学校の前にありました
こちらが一の鳥居で~す
ずぅ~っと向こうに白鳥神社があります。
反対から来ちゃったけど、駅からだと仕方ないかなっ
「伊岐宮(いきのみや)」にも行ってきました
そう白鳥陵です
この頂きに最初は鎮座されていたんですね。
白鳥陵古墳は墳丘長190mの前方後円墳。
古墳が造られた年代は、前方部が後円部より高い墳丘の形や、発見された埴輪の特徴から古墳時代後期(約1500年前)と考えられています。
記紀には日本武尊の白鳥伝説が記されています。
日本武尊が全国各地に遠征し、その帰途、伊勢の能褒野(のぼの)で息をひきとりました。
日本武尊は、白鳥に姿を変え、大和の琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来したことが日本書記に記されています。
その後、埴生の丘に羽を曳くがごとく飛び去ったという伝説です。
この白鳥伝説が「羽曳野(はびきの)」の地名の由来になっているそうです。
羽曳野市散策は神社あり、お寺あり、古墳あり・・で、超~楽しいです
いつも、いいね!や、コメントを下さってありがとうございます