ファイト! (ペンネーム:「私だって高校行きたかった」に捧げる唄)/ 中島みゆき | いじわるはしないよのブログ

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私だって頑張った集団就職から夜学まで頑張り通した

いろんな家庭の事情があり高校行きたくても行けない
そんな自分でした かといって 親を恨むなんてそんな事
一度だって考えた事もなかった
私は集団就職で此処にやってきた ここ愛知県です
蒸気機関車 六両編成で九州の片田舎からの就職でした
高校も行きたかった みんなには嘘ついてました
高校なんか行って何になる そんな事するより
金稼ぐほうがましだ”なんて 強がり言っては 自分を
慰めて それで良いんだと自分に言い聞かせて愛知県に
やってきました。 でも 本当は情けなく思ったことも
度々あり こんな書き方笑われてしまうかもしれませんが
私よりずーっと程度の低い奴が高校行く そんなのを目にして
絶対にあいつらだけには負けないと心に誓い就職し
会社は高卒か大卒ばかり何だか子供が遊んでるように見えたらしい
丸坊主の頭に学生服での就職でした。
一年過ぎ それから私の夜学生活が始まります 夜学に行くのに
定時まで働けず15分早く仕事終えての学校でした夜学も結構
楽しく過ごす事が出来学業もそこそこ
学校の近くに(大あんまき)売ってる店がありそこで腹を
膨らませるため毎晩のように買い食べながら寮に戻ってました
寮では賄のおばさんの娘さんが私の帰りを待っていてくれて
毎晩私の夕食出してくれてたのを覚えてます。
可愛い女性で高校生でその子は昼間私は夜 母さんが賄してたので
手伝っていたんですその親子も女子寮生活してたんです。
可愛くて何となくですが ちょっと ときめいていたと思います
名前は啓子さんだった。可愛かった、今の妻とも時々
ダブってしまう時があります。これが私の初恋だったんじゃ・・・
なんて 思ってます。彼女も60歳になってるんです。
今頃何処かで孫の守でもしてるか現役で頑張ってるか定かじゃありません
夜学の事から ちょっと違う方向に話が飛んでしまいました
その後私は六年間夜学ばっかりで過ぎてきて
最後の学校卒業するときには二十歳過ぎてました
人生色々です学校で習った事など今思えば一体なんだったんだろう
なんて、そんなこと 思ってしまいます。
私の生き様の片隅に隠れて表には全く出てこようともしません
まるで隠れキリシタン・・・・
ってな処で私の馬鹿話でした、最後まで読んでくださった方に
感謝します おしまい。


今日もこうして更新できた(時)に感謝です。
こんなことして毎日をすごしてるだけでは
ありませんよナイフとフォークこれから買い物です
今夜は何にしようかなぁ・・・
暇であるようで暇って感じない私です貴方の時間
少しくださいここをクリックすると楽しい世界が待ってます


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