(こまっている人)には手をさしのべなければならないけど、(こまった人)にはちかよらない方がいい。日本語の連体修飾はむずかしい。
ごんざの辞書では、おなじことばが重複してみだし語になっている例がたくさんあって、ごんざがちがう訳語をかいていることもおおい。
「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」 『ごんざ訳』
(旧表記の母音を大文字にした)
「опасаюся」(opasayusya) 「用心する」 『かんげする』(かんがえする)
「Опасаюся」(opasayusya) 「用心する」 『ゆじんする』(用心する)
日本国語大辞典 「かんがえる(考・勘)(方言)②気をつける。注意する。岐阜県郡上郡」
動詞の意味は『かんげする』(かんがえする)でも『ゆじんする』(用心する)でも、行動の前におもいをめぐらせる、という、どちらもおなじような意味で問題ない。
「опасный」(opasnyi) 「用心深い」 『かんげんと』(かんがえの)
「Опасныи」(opasnyi) 「用心深い」 『ゆじんのと』(用心の)
ところが、形容詞の村山七郎訳には問題がある。
AがBに対して用心している時、「опасный」(opasnyi)なのはAではなくBだ。
ごんざの『かんげんと』(かんがえの)も『ゆじんのと』(用心の)もBについていってる。
「опасный」(opasnyi)というのは、村山七郎訳の「用心深い」ということではなく、「用心/かんがえが必要な(=危険な)」という意味なのだ。