ごんざの「あそぶ」と「散歩」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)  「村山七郎訳」 『ごんざ訳』

「гуляю」(gulyayu)       「遊楽する」  『あすぶ』
「день гулянiе」(deni gulyanie) 「遊楽の日」  『あすぶふぃ』

 現代ロシア語の「гулять」(gulyati)の第一義は「散歩する」という意味にかわってしまったが、ごんざの時代には「宴会をする」というような意味で、現代ブルガリア語の「гуляя」(gulyaya)も「宴会をする」という意味だけで、「散歩する」という意味はない。

 江戸時代の船のりの宴会というと、「酒をのむ」「歌をうたう」「おどる」「ゲームをする」(~拳とか)のくみあわせという感じだろうか。18世紀の薩摩の宴会とロシアの宴会、ごんざにとって、どっちがたのしかっただろうか。

 ところで、18世紀の日本には「散歩する」という文化はなかった。侍も町民も、移動を目的とせずに、かんがえごとをするためにあるく、はなしをするためにあるく、ということはしなかった。昔はロシアでもおなじだっただろうが、その後、ドイツあたりから「散歩の文化」がはいってきた。ロシア人にとってそれはとてもたのしいことだったので、「散歩する」という意味に「гулять」(gulyati)(宴会する)ということばがつかわれるようになったのだろう。

 明治になって、日本にも散歩の文化がつたわってきたが、現代にいたっても、日本人は「宴会する」のとおなじぐらいたのしいことだとは、とても感じられず、犬と子どもと以外はあまり散歩をしない。その理由のひとつは、夏、ヨーロッパとくらべて日がみじかくて、あつすぎることではないかとおもう。