和田 秀樹著 「だから医者は薬を飲まない」 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

著者は著作の多い精神科医。
題名から想像されるのは、薬剤師などの「薬を飲むことの弊害啓蒙本」の類だが、多剤併用の害についての指摘はあるものの、医師が薬を沢山出すのはカネ儲けの為、と言うよりは血圧やメタボなどの基準値からの逸脱に対して、それを「病」と看做して薬を処方する事などに因るのだ、としている。また、その一因に医師の勉強不足を挙げている。

医療の問題は言うまでも無く、ゆりかごから墓場まで、ひとの一生につきものだし、国の財政支出の多くの部分を占めているので、納税者としても無関心ではいられない。

ただし、人口高齢化、という身近な現象を梃子に、高負担を求めようとする財務省や厚労省と、軍事費の増大で軍産複合体、公共事業で土建業から陰に陽にカネを吸い上げようとする自民党・公明党の政治屋が結託して大騒ぎするが、わが日本が低負担・高福祉であるわけではなく、それどころか高負担・低福祉が実態である。

以上はこうした類の本を読む前に是非とも押さえておきたいところだ。
参考:外科系学会社会保険委員会連合(外保連)

さて盛りだくさんな内容の中から、次の3点について述べてみたい。
先ず第一はメタボの基準について。
「腹囲85センチ以上の男性はメタボ」、あるいは「BMI標準値は22」として地方公共団体が実施する健康診断では生活指導が勧められるが、BMIは25、即ち小太りくらいの方が余命が長い、とはよく知られているが、この標準値の決定に中心的な役割を果した医師が所属する大学病院の内科には製薬会社から6年簡に総額8億円を越えるお金が流れた(p157)事実は記憶に留めておくべきだ。余命についてのデータがあるにも拘らず一向に是正されないのは、製薬会社、役人(天下り、各県に受け皿の財団がある)と医師のスクラムが強固なせいであろうし、何よりも、こんな無駄なところに巨額の金を浪費している事が問題だ。

つぎは「医薬分業」について。
和田先生は、薬剤費を抑制するために採ったこの方策が、思った効果を挙げていないのは、分業以前も医者は自分の利益の為に薬を出していなかった証拠であり、そしてその理由は患者さん思いの、あるいはある種の医学常識に縛られた真面目な医者が多い所為だ(p27)としている。
そうだろうか。
大学病院の周りにはたくさんの薬局がひしめいているが、それ以外のところでは、一つの医院について一個の薬局があるのが普通だ。その薬局は同じ敷地内にあることもあれば、同じ建物の中にある場合もある。
建前は「別経営」であっても、「共生関係」にあることは間違いない。
医院の数そのものが少ない、おまけに公共交通機関の乏しい地方では、同一敷地内の薬局は利便性が高い。それは認めるが、人口が集中している市部では一院一局の必然性はない。
医院で薬の処方で加点され、薬局で「薬学管理料」「調剤技術料」が「薬剤料」の他に加点されるが、その点数の根拠も良く解らない。
結局、薬剤師会の自民党大口献金と、「共生関係」にある局がつぶれては困る医師が、何らかの手心が加えられている、と見てそれほど的は外れていないだろう。

最後は大学病院について。
新薬の開発や治験などについて、医科大や大学医学部がそれを担っている結果、製薬会社と医師の癒着が高まり、例えば治験をする医師のところに製薬会社からの寄付が集中する(p159)。
第三者機関に治験を委託する、というアイデアが出されているが、企業と監査法人のズブズブを考えれば、これとても万能薬にはなるまいが、現状より透明性が高まるだろう。
もっと問題なのは、研究機関としての大学の資金問題だ。
例えば新薬の研究開発について、特許料などを成果とするファンドの組成は考えられないのだろうか。
また著者は、大学病院は文科省の管轄で、「教育・臨床・研究」の目的があり、患者の病を治すことが第一目的ではない(p87)。よって、よく大学病院について言われる「患者はモルモット」を暗に言っているが、では問題は、医者の技量をどうやって向上させるのか。
それは一般の中核病院でも同じ問題があり、ベテランの医師の指導を受けながら熟練していくのが最も望ましい。
その点で言えば、専門医の充実した、設備の整った大学病院の方が一利も二利もあると思う。
昨年9月、心臓カテーテル検査をJ医科大学病院で行った。
幸い「問題なし」で済んだが、検査は新米の医師と院生にベテランの医師が指導するチームであった。
カテーテルを導入する際の手際もスムーズとは言えず、導入した手首の内出血もかなり後を引いたが、まあ許容範囲かな、と思ったし、一般病院のほうがモルモット扱いされない、というのも一つの思い込みだろうと思う。