猫の茶太郎が2月9日に旅立ちました。
昨年の5月から肺炎のため2週間に1回注射と薬をもらいに通院するようになりました。
その後自力でご飯もあまり食べなくなり昨年の夏頃から朝昼晩の3回流動食を無理矢理食べさせるようにしていました。
無理矢理と言っても嫌だと暴れたりせず、最期の時までおとなしくモグモグと食べてくれてました。
通院を開始した時の体重が3.26kgほどで亡くなる前日の通院時は2.82kgだったのでかなり頑張って食べてくれていたと思います。
茶太郎は2004年1月21日、近所にある会社の横の通路で鳴き叫んでいたところをその会社の人が捕まえて
『この子どうしましょう』
『公園に置いてきますけど…』
そんな事を言って家に連れて来ました。
なぜうちに連れてくる?って思ったけど可哀想なのでそのまま家に迎える事にしました。
まだまだ子猫でとっても汚かったので濡れタオルでゴシゴシ拭きました。
保護した直後の茶太郎
ゴシゴシ拭かれた後の茶太郎。
ちょっと怯えた顔だけどとっても可愛い。
保護した翌日。
体の大きさはこのくらいだった。
シッポの毛はまだ生えそろってなかった。
安心してぐっすりと昼寝してくれた。
この寝顔見た時、もうこの子は大丈夫と思った。
ぷっくりお腹の幼児体型が可愛い。
子猫なので人に慣れるようにとなるべく膝の上にのせるようにしてた。
茶太郎を迎える2カ月ほど前に保護した茶々と年齢が近くすぐに遊びだした。
茶々と茶太郎が遊んでいるのをちーちゃんとユキちゃん見守ってくれてた。
同世代の茶々がいてくれたのとちーちゃんとユキちゃんがよく面倒みてくれてすくすくと育ってくれました。
この子はとにかく性格が良くて、ちーちゃんやユキちゃんが鳴いたりするとすぐに
「どうしたの?」
って感じですぐに駆けつけてました。
で、ちーちゃんやユキちゃんに
「なんでもないよ!」
って感じで猫パンチされると殴られちゃったって感じでルンルンしてるところを何回も目撃しました。
おとなになるとカメラを向けると警戒して逃げるようになってしまったので、写真はあんまり撮れなくなった。
警戒心が強くなったのととってもビビりな性格でもありました。
13年前の朝5時頃震度6の地震があった時、怖がってその日の夕方まで箪笥の裏に隠れて出てこなかった。
最初茶太郎の姿が見えなく探してもいないので外へ脱走したのかと最初は探し回った事があった。
マーキングするようになりマーキンガーとしてオムツするようになりました。
マーキングは2年前にしなくなり無事マーキンガーとオムツ猫を卒業しました。
よく去勢するとマーキングしなくなるって言う人いるけど、去勢してもマーキングする子はするので騙されないようにしましょう。
マーキングしだしたら高齢になるまでおさまりません。
茶太郎はあまり病気しない子でした。
でも唯一大きな病気は膀胱炎。
2016年11月、膀胱炎でオシッコが出なくなり尿道にチューブを入れて膀胱にオシッコが溜まったら出るようにと…
しばらくこれで過ごすように獣医から言われたけど、こんなの簡単に抜けちゃうでしょって思ったけどしかたなく獣医の言われたようにしたけど、やっぱり簡単にチューブが抜けてその度に病院へ行ってチューブを入れてもらうことに。
ずっと長い間お世話になっていた病院で、院長から息子へ代替わりして息子がメインで診察するようになったんだけど、たぶんこの息子自分で動物を飼って世話した事ないんじゃないのか?ってくらい平気で無理な事を言ってきた。
写真はこの時に撮影、カラーしてオシッコが垂れ流しになってもいいようにケージ内で過ごしてもらった。
けっきょく何回もチューブを入れに病院へ行き、茶太郎も嫌がるようになりしまいには耐性菌をうつされたので病院を変えて猫専門の病院へ通う事になった。
膀胱炎と耐性菌の投薬治療をしながら、オシッコが出ないので膀胱を圧迫してオシッコを出すように毎日朝晩通院してオシッコを出してもらった。
膀胱の圧迫の仕方を教わったけどぼくには圧迫する場所がわからずオシッコしてくれなかったため、約二カ月間オシッコ出してもらうため朝晩通院してました。
病気で大変だったのはそのくらいかな。
毎晩寝る前に猫たちの様子を見てから寝てるんだけど、この時から病気が早く治るようにと願いを込めて様子を見に行った時におやすみと言って茶太郎を抱っこするようになった。
それ以来茶太郎は抱っこを楽しみにしていたのか、様子を見に猫の部屋へ行くとケージの中でお座りして待っていた。
おやすみの抱っこは最後までしていました。
寝る前に猫の様子を見に猫の部屋へ行くとこんな感じで茶太郎はケージの中で起きて待ってました。
2021年11月撮影。
カメラ持っていたらちょうど茶太郎がやって来て撮れた写真。
カメラを向けるといつも逃げていたので撮れた時は嬉しかった。
モンチと寝ているところをこっそり撮影。
冬はよくストーブに張り付いてた。
おじいちゃんになり歯が抜けてしまいよくベロを出してた。
これもカメラ持っていたら茶太郎がやって来て撮らせてくれた。
その後ユキちゃんもやって来てユキちゃんとご挨拶。
今頃昨年逝ったユキちゃんと仲良く暮らしてるかな…
ゴンちゃんはよく茶太郎にスリスリしてた。
たまはいつも茶太郎と一緒に寝てた。
性格が優しいから後輩に好かれてたね。
今年の元旦に撮影。
歯がないね…
2月6日、それまで時々吐いたりしていたけど、この日は一日に三回嘔吐。
翌日も嘔吐が続いたので8日に通院。
この時の体重が2.82kg、吐き気止めを処方してもらい獣医からはいつもこの状態でよく頑張ってると褒めてもらってました。
ぼくの中では吐き気止めを飲んで吐き気がなくなり少し食欲が戻りその後徐々に悪くなり旅立って行くのかな…
そんな風に思っていました。
その日の夜、寝る前に様子を見に行くと起き上がらず寝ている状態だったけどちょっと辛そうだなって思い、一緒に寝ようかなと思ったけどもう少し大丈夫かなと思いました。
昨年末からケージでは寝かさず猫の部屋にこたつを作ってそこで寝かすようにしてました。
リビングに作った猫用のこたつの中、2022年2月7日に撮影。
クロ太が茶太郎を枕にして寝てる。
茶太郎の寝方もリラックスした感じだったのでもう少し大丈夫だと思った。
2月9日、いつものように起床してなつの散歩へ。
散歩から戻り茶太郎に朝ごはん。
嫌がらずに食べてくれたけど、口に流動食を流し込んでも飲み込んでくれなく自然に口から出てきてしまう。
詰まらせたりすると怖いので2回あげたところで朝ごはん終了。
30分くらいしたら急に茶太郎が嘔吐して口を大きく開けてゼーゼーと呼吸を始めた。
表情もこわばった感じだったのでもしかしてもう…
そう思いあとは茶太郎のそばで
茶太!
楽しかったよ!
ありがとう!
そう言いながら見守ってました。
徐々に呼吸が弱くなり7時45分頃呼吸が完全に止まり旅立って行きました。
棺を用意する間、茶太郎がよく寝ていた台で休んでもらいました。
ゴンはこの台の下にいてずっと動かなかった。
いつも寝る前の1時間くらいテレビを見れる時間があるのでみんなでテレビ見てる。
パンダくんがいた時は膝の上はパンダくんがいたけど今はなつ。
茶太郎はぼくの足を枕にしてよく寝てました。
時々たまも足の上にのって寝てるのでかなり重い…
上の写真は2021年11月に撮影。
お花を飾った棺に入れました。
寝る前のテレビを見る時間、いつものようにみんなと一緒に過ごしました。
茶々が何回も棺の所へ行ってた。
ゴンも茶太郎の顔を何回も覗いてた。
たまは頭を突っ込んで茶太郎と話しをしているみたいだった。
この日の夜は猫の部屋でみんなと一緒に寝て最後の夜を過ごしました。
翌日、火葬場へ行く前にリビングに棺を置いたら真っ先に茶々がやって来た。
何回も茶太郎の顔を見てはぼくの顔を見てを繰り返してた。
淋しいよね…
ゴンは棺のそばから離れなかった。
茶太兄ちゃんの事大好きだったから淋しいよね…
たまも最後のお別れをしてた。
よく茶太兄ちゃんに一緒に寝てもらったね。
出発の時間になりなつがまだお別れの挨拶をしていなかったので
「茶太兄ちゃんにお別れしてきなさい」
そう言ったら棺の所へ行って茶太郎の顔をジッと見てました。
言う事がわかるんですね。
みんなとお別れして火葬場へ行って送ってきました。
あっという間の18年間。
とっても愛嬌があって優しくて楽しい子でした。
淋しくなるけどきっとちーちゃんとユキちゃんと再会して
「よく頑張ったね!」
そう言われながら猫パンチされてそう。
最後まで嫌な素振りせずご飯を食べてくれてとっても嬉しかった。
よく頑張ったね。
ありがとう茶太郎。
とっても楽しかったよ。
茶太郎が亡くなった日の午後、棺の用意などしてひと段落した後にお世話になった病院へ亡くなった連絡しました。
「茶太郎くんよく頑張りましたね」
「飼い主さんも最後までよく頑張りましたね」
と言ってくれ、もし良かったら茶太郎を連れて来てくれたらきれいにシャンプーしますよって言ってくれてビックリでした。
いつもきれいに拭いて送っていたので、ありがたいけど丁重にお断りしました。
そして後日病院から茶太郎へ花が届きました。
パンダくんの時も花を届けてくれました。
茶太郎が使っていたケージに写真と一緒にお供えさせて頂きました。
茶太郎良かったね!
動画は寝る前に様子を見に行った1月31日に撮影。
こたつから出て抱っこしてもらうのを待ってくれてました。
この動画を撮ったあとしばらく膝の上にのせて撫で撫でしてました。
いつも寝る前はこんな感じでした。
もう茶太郎はいなくなってしまったので今となっては茶太郎との貴重な時間でした。