今から1500年ほど前。 
 
大和朝廷に百済(くだら)から使節がやってきて、時の帝・欽明天皇「仏像」「仏典」を献上しました。 
 
日本史の教科書で言うところの「仏教伝来(538年)」です。
 
 
ここで注意したいところは2つ。 
 
当時の日本には、神道や修験道の前身となった宗教がありましたし、縄文人が持っていた精霊崇拝(シャーマニズム)の思想が、まだ根強い土地柄でした。 
つまり、仏教にとって「異教」の土地。 
 
そして、仏教の伝来は「強制」でも「宗教戦争」でも「布教」でもなく、「献上」というやんわりとしたカタチでもたらされています。 
 
ならば、仏教は異物として拒否されてもよさそうなものです。 
 
しかし事実は、仏教は日本に浸透してマジョリティを得ることに成功し、物部守屋らの仏教排斥派は討伐されて歴史から姿を消しています。 
 
 
どうして日本人は、ここまですんなりと仏教を受け入れたのだろう? 
 
原始の日本人の精神に、仏教を受け入れる素地があったのか? 
 
それとも、崇高な宗教だから受け入れやすかったのか? 
 
ワタクシは、「仏像」があったから日本は仏教をすんなり受け入れたのだ、と思います。 
 

仏教が伝来した時、献上された「仏像」「仏典」。 
 
おそらく、日本人は「仏典」は二の次で、ひたすら「仏像」に「萌え」まくったのではなかろうか・・・・と。 
 
この「仏像」は、日本書紀に「相貌(かほ)端厳し(きらぎらし)」と賞賛されてる「金銅の釈迦如来像」です。 
 
当時、日本の造形は「埴輪」「土偶」程度。 
 
そこに、黄金メタリックに輝く仏像がやってきたのです。 
 
それまで粘土細工しか知らなかった子が、金ピカ超合金の「釈迦フィギュア」を目の当たりにしたのです。 
 
「キターーー(゚∀゚)ーーー!!!!」 
「ホンモノの人間みたいだ」 
「ディテールがハンパねぇ!」 
「はにかんだ微笑みが何ともエロいwww」 
「ここまで作っちゃうって、人間ってすげーな」 
 
飛鳥時代の人々は、ネ申が降臨したとばかりに盛り上がり、夢中になったハズです。 
 
物部氏は、そんな仏像たんに(´Д`;)ハァハァしている諸豪族らに「きんもーっ☆」と不快感を表明したために、蘇我氏を中心とした仏像VIPPERらの総攻撃を受けて炎上してしまいます。 
 
こうして邪魔者を排除して市民権を得ると、仏教は瞬く間に日本全土を席捲。
 
聖*太子のように「自分で仏像を作ってみるテスト」しちゃった人や、聖武*皇のようにお台場ならぬ東大寺に巨大像を建てちゃった人まで現れるなど、仏像抜きには語れない一大カルチャーとなっていった・・・・と。 
 
 
日本人を魅了するのに、崇高な理念と哲学は必要ない。 
 
視覚的な「萌え」があればいい。 
 
今も昔も変わらない・・・・仏教伝来からは、それが見えてくるのではないのかなと(笑)
 
 
逆説としては、偶像崇拝禁止のイスラム教は、あまり日本人好みという感じがしません。
偶像崇拝する気がない(?)神道も、仏教に比べると日本人に根差してる感が弱い気がします。 
 
キリスト教文化も、クリスマス(ツリー、リース、サンタ)ハロウィン(カボチャ、黒猫、魔女)のような視覚的な象徴があるイベントだけが広く支持されて、そういうものがない行事(たとえばイースターとか)はサッパリです。 
 
これは、視覚的な「萌え」があるかどうかが、日本人にとっては取っ付きやすさ、盛り上がりなどに重要なのだという証左ではなかろうかなと思うのですが、どうでしょうかね。 
 

というわけで、今日はコチラのニュースからです。


【ニュース】飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま 早大、銅の比率分析
http://www.asahi.com/science/update/0921/TKY201209210237.html

飛鳥大仏と言うのは、奈良県・飛鳥寺にある日本で造られた最古の大仏サマ。

仏像の伝来に感動して、さっそく自分なりに作ってみた(作らせてみた)作品第一号です。

飛鳥寺は、物部氏との「宗教戦争」を切り抜けた戦勝記念として、蘇我氏が建てたお寺で、平安時代には藤原道長も訪ねているのだそうです。
(そして、この仏像もご覧になったのでしょうね)
 

 

飛鳥大仏

建久7年(1196)、雷火によってお堂が全焼。

本尊も壊滅的なダメージを受け、かろうじて頭頂から鼻までの顔面部と、右手の指三本と手のひらの一部だけが当初の形を残していると言われていました。

ですが、ほぼ全部が飛鳥時代のままだった!とはねぇ。スゴイ!

日本仏像彫刻史の出発点となる作品が残っているというだけでもミラクルなのに、ほぼ全部が残っているとは、これを何に例うべきかw

ちなみに、ワタクシは直に見たことはないです。

見に行ってみたいな・・・・・(しかし飛鳥はあまりに遠い)

 

 



話を戻して、「仏像」とともに伝わった「仏典」というのは、いわば仏教のガイドブックです。 
 
現代にも公式ガイドブックを頭に叩き込んで、細かい設定やキャラの行動を研究するのが好きなオタクがいるように、当時も「仏典」の研究に没頭した学僧が大勢いたのだと思います。 
 
フィギュアガイドブック・・・・この両輪があってこそ、仏教は日本独自の発展をしたと言えるのかもしれません。 
 
現在、アニメ漫画ゲームが日本を代表するサブカルとなったように。 
 
 
フィギュアオタクと掘り下げオタクが集まっていた街、奈良。 
 
そうか、奈良って天平・白鳳時代の秋葉原だったんだな(違)