異端者の快楽、そして苦悩 | ゴンのブログ

異端者の快楽、そして苦悩


見城徹さんの「異端者の快楽」を読み終わったので感想文を。


異端者の快楽/見城徹

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前著の「編集者という病」、サイバーエージェントの藤田社長との共著である「憂鬱でなければ仕事ではない」にも共通して言えることなんだけど、見城さんの本には自分の功績を繰り返し語っていることが多い。これはテレビ出演の時も同じだ。公文式、尾崎豊、ユーミンの話はどの本でも語られている。



今回読んだ本の「異端者の快楽」というタイトルからもわかるように、見城さんは自分のことを「異端」とよんでいる。異端、つまり少数派に属する、というプレッシャーは、それが自ら名乗ったものであったとしても、見城さんの心にいつもストレスを与えてきたはずだ。

見城さんはすべての著書でテルアビブで拳銃を乱射した奥平剛士の名を上げて、「彼と比べたら、僕が今やっていることは、どうってことのない自己満足や遊びに過ぎないきがしてくるんですよ」とも書いている。自らが異端であることを認めながら、奥平のように振り切ることができなかった自分に対する嫌悪感のようなものも抱えていることがうかがえる。


異端である。しかし自分の中で振り切れていると実感できない劣等感が常にある。
だからこそ、見城さんの本では功績が繰り返して語られるのだろう。
「異端であるけど、これだけの結果を出してきた。平々凡々とした人間とは違うのだ!」という主張を込めながら。小学生、中学生の時に”異端”としていじめられたという経験もあって、「みんなより優秀だという意味での異端」だと主張しなければならないと感じているのかもしれない。



繰り返しが多くて自慢ばっかり、という批判もあるかもしれないけど、俺は成功した人の自慢話を聞くのは好きだし、大事なことが繰り返されてるのも記憶しやすいから好き。塩野七生さんのカエサルの件も毎回と言っていいほど繰り返されていたし。


角川時代の見城さんが「角川に見城あり」と言われたように、「〇〇にゴンあり」って言われるように仕事したいもんだね。笑