第四弾。
デロイとデロニの発注数量及び実際の生産数を纏めてみました。
出典は朝鮮交通史や鉄道ピクトリアルの大昔の号(1955年、1956年、1969年8月号)です。
先週、東京出張のついでに、神保町の菅村書店で1955年、1956年ごろの鉄道ピクトリアルを購入!謎となっていた生産台数が判りました。
デロイ/デロニ 発注数量及び実際の生産数 |
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1. 戦前の鮮鉄局による発注数量 | ||||||
(単位:台) | ||||||
東芝デロイ | 日立デロニ | 三菱デロイ | 合計 | |||
京元線用 | 16 | 4 | 20 | |||
京慶線用 | 2 | 4 | 6 | |||
合計 | 16 | 6 | 4 | 26 | ||
2. 実際の生産数 | ||||||
(単位:台) | ||||||
東芝デロイ | 日立デロニ | 三菱デロイ | 合計 | |||
戦前(京元線用) | 5 | 4 | 9 | ① | ||
戦後(別契約) | ③ | 4 | 3 | 7 | ② | |
合計 | 9 | 4 | 3 | 16 | ||
①この9両の内、1945年時点で、8両が現地で就役、1両は | ||||||
ソウルで保管(ソウルで保管の1台は修理中?) | ||||||
②戦後、連合国軍最高司令部経由で韓国向けに別契約で出荷 | ||||||
韓国での保有台数は①:1台+②:7台=8台となったが、 | ||||||
1950年の朝鮮戦争勃発後、戦線が半島を南北に交錯する中、 | ||||||
うち7台は北側に持ち去られ、韓国側には1台のみが残った。 | ||||||
韓国側に残った1台は釜山で保管されていたが、中央線 | ||||||
(戦前の京慶線)の電化工事の目処がたたぬまま、1958年に | ||||||
解体された。 | ||||||
⇒結局、北朝鮮側に渡ったのは15台? | ||||||
③東芝デロイの戦後出荷の内の一両は、昭和19年11月に竣工し、神戸港での | ||||||
積出待ちのうち終戦となり東芝府中工場に戻されたものが、 | ||||||
改めて戦後別契約で出荷に至ったもの。 |
続きはまた!