ロベルト・シューマン

 

クラシックファンなら19世紀の偉大な作曲家だと

知っていますが、彼の創った曲には、ドイツの

後期ロマン派の詩が愛用されています。

 

歌曲として誕生しているのです。

 

シューマンは、ご存じのように音楽家でありながら、

ジャーナリストでもありました。

 

いわば、感性と知性を融合させた音楽家とでも

いえるのでしょうか?

 

それくらい、言葉の持つ力を信じ、それを

大事に活用してきた作曲家といえるのではないでしょうか?

 

その中でも、ドイツ詩には心を配りました。

代表的な詩人は、アイフェンベルク

 

シューマンはリーダークライス(一環をなす歌曲集)に

彼の詩を活用しています。

 

アイフェンベルクは、貴族の出ですが、没落し、放浪の

身となります。この不遇な生活の中で、故郷を懐かしんだり、

自然を愛でたりしていました。

 

初期ロマン派の詩人たちは、

社会に対峙した社会派が多かったのですが、

アイフェンベルクは、

ぐっと自分の内面に入り込んで自然や故郷を消化してきた

詩人のようです(日本ではあまり知られていませんが)。

 

敬虔なカトリック信者で、”自然は神聖なるもの、神の世界”

というカソリック教徒独自の信念がありました。

 

つまり、内面に入るということは、現実を超えたものを

指向していることなのでしょう。無信論者、無宗教の

私には、完全に理解はできませんが・・・。

 

こんな彼の詩に、シューマンはピアノ演奏を付加し、

歌曲を生み出しています。

 

しかも、詩の言葉を大事にしたいのか、

ピアノの前奏と後奏(歌の前後)をかなり長めにし、

詩をクローズアップする(聞かせる)とともに、

ピアノ演奏も無駄にしない構成になっています。

言葉も曲も大事にしたシューマンらしい

心配りなのでしょう。

 

それにしても、詩には、自分の感じたことに

最適な言葉を苦しみながら探し抜く工夫が

されているように感じました。

 

リーダークライス~「異郷にて」

 

私もまたいこいに入る、その静かな時が

ああ、なんとまじかに迫っていることだろう、

美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ

ここでも私が忘れられる時が。♪

 

偉大な自然の中にいるちっぽけで孤独な自分という

情景なのでしょうか。寂寥感が漂いますが、

カソリック信者独特の感性だと感じ入りました。

 

アイフェンベルクは、自身の詩で

自然界で巻き起こる音を言葉で表現する

ことの多い詩人だと思います。

 

風に吹かれた葉ずれの音、

小川のせせらぎ、

穂波、梢が鳴る

小鳥のさえずりなどなど

 

音を多く表現していることも、

シューマンが音楽にしたくなった理由の

ひとつだとも感じられました。

 

秋のひととき、シューマンの歌曲で

自然を思い浮かべるのもいいかもしれません。