アメリカのオバマ大統領が広島を訪問し、

歴史的な演説をされ、被爆者代表の方々と

対面、会話を交わされました。


この場面で感じたのは、単なる平和宣言ではなく、

両者が、広い視野を持ち血の通った交流であった

ことでした。感動しました。


アメリカサイドは、謝罪という免罪符を敢えて(?)

封印し、世界中の核兵器の危険と廃絶を目指すと

いう大義のもとで今回の訪問とあいなったようですが、

それだけではただのパフォーマンスに過ぎなかった

でしょう。


しかし、オバマ大統領の演説には、核の危険と

アメリカの犯した過ちがきちんと盛り込まれて

いました。


さらに、日本人だけでなく、朝鮮半島の

方々、そして捕虜となっていた米兵にも被爆者がいる

と言明され、人類全体に目が向けられていました。


今生きている世界中の若者が未来も幸せに生活できる

ようにする義務があると弁説。視野の広い演説だと

感じ入りました。


日本側の被爆者代表も、謝罪を強く要求はせず、

原爆の怖さを知って欲しいから、これを皮切りに

もっともっと広島を訪れて欲しいと要請。


未来永劫、核が戦争で使われることがないように

未来に向けた安全の要求をされていらっしゃいました。


それにしても、70年余り、被爆の後遺症に悩まされ

苦労された方が、自分を悲劇の主人公に仕立てるのではなく、

人のため未来のために懸命に大統領と話し握手され、

ハグし合う姿は感動ものでした。


キリスト教には””という教えがあり、仏教には

慈悲”という真髄があります。


両者が融合したような歴史的瞬間でした。


”慈悲”は、「相手をいつくしみ、あわれむ」という

意味なのですが、自分の利益ばかり考えていたら、

このような感動シーンは生まれなかったと

思います。


長年に渡り苦労されたからこそ体得できた

達観の慈悲...そんな気がします。