「西洋美術史Ⅸ近代Ⅱ印象主義・象徴主義・後期印象主義」 高階秀爾 監修 美術出版社 | 表層人間の半可通読書とゲームリプレイブログ(略称半読書リプレイw)

「西洋美術史Ⅸ近代Ⅱ印象主義・象徴主義・後期印象主義」 高階秀爾 監修 美術出版社

Ⅸ近代Ⅱ印象主義・象徴主義・後期印象主義

Ⅸa技術と進歩の時代の芸術

万国博覧会が始まった時代だぞなもし。

Ⅸb建築と都市

折衷主義。
快楽主義的。
機能主義。
アール・ヌーヴォー。


Ⅸc彫刻

とくになし。


Ⅸd絵画

写実主義から印象主義へ

印象派
エドゥアール・マネは、アカデミズムの画家クーチュールに学び、ルーヴル美術館の展示作品を研究して画風を形成した。
とりわけ、ゴヤという大巨人を生んだスペイン絵画をマネは真似した。(書くと思っていたでしょう?藁
マネの「オランピア」は古典的な伝統を近代絵画に繋ぐ役割も果たした。
日本芸術はジャポニスムと呼ばれて、イレール=ジェルマン=エドガー・ドガ等に影響を与えた。
印象派という言葉は、1874年に、クロード=オスカー・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌ、ドガ、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーらが開いた展覧会に際して、
ジャーナリストが彼らの作品のスケッチ的な性格を揶揄してつけた。
中心的な印象主義の画家は、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー。
バルビゾン派のロマン主義的な自然に対する思い入れに対し、彼らは都市生活者の軽やかなまなざしを風景画に持ち込んだ。
印象派の技法は「筆触分割」と「視覚混合」。
これは、ある色を得るためには絵具を混ぜ合わせるより、純色の色班を並置して、離れて見るとそれらが混ざり合って見える視覚の作用を利用した方が鮮やかな色が得られるというもの。
構図的には極端な俯瞰構図など。
クロード・モネは感覚主義の極致。


象徴主義


象徴主義は、主題や表現手段の上できわめて多様な形を取った国際的な潮流。
イギリスに現れたラファエル前派は、最初の象徴主義の運動の一つにかぞえられる。
ラファエル前派兄弟団は、ラファエルロ以後の西洋絵画を退廃とみなし、それ以前のイタリアやフランドルの芸術のもつ誠実で精神的な在り方こそ理想的な姿としてそれへの回帰を主張した。
スイスのアルノルト・ベックリーンは、物質主義の現代を捨てて、どこにも見出せない理想の国を目指した一人であった。ディオニュソス的な生命力と死の静寂の漂う「死の島」などを描いた。
フランスでは、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌとギュスターヴ・モローが、19世紀前半のロマン派と世紀末をつないで象徴主義の重要な画家となった。
モローが作り出した驚くべきイメージ、とりわけサロメのような邪悪で魅惑的な女性像は、オーブリー・ヴィンセント・ピアズリーやグスタフ・クリムトなどの画家や世紀末の文学、音楽全般に大きな影響を与えた。
オディロン・ルドンは、版画をブレダンに学び、ドラクロワの絵画や当時の文学、音楽に深く親しんだ。
彼はまず版画家として、ニュアンスに富んだ黒の世界の中に夢と神秘、憂鬱な情緒や無意識のおののきを表現した。
1890年代以降、草花やギリシア神話を題材にパステルや油彩による彩色画を製作、
象徴主義の最も豊かな絵画表現を生み出している。
象徴主義は19世紀末にはベルギー、オランダ、スイス、オーストリアなど全ヨーロッパに広がり、
ユーゲントシュティル、アール・ヌーヴォーなどと呼ばれる世紀末の美術運動と密接に絡み合いながら、20世紀の芸術を準備した。


後期印象主義

後期印象主義とは、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、ジョルジュ・ピエール・スーラ、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを中心に、印象派から様々な傾向が現れて1905年のフォーヴィスムの登場へとつながる時代を包括する便宜的な概念である。
セザンヌは一つ一つの色面が光の感覚を伝えると同時に空間内における対象の位置、物質的存在感をも表わす独自の製作法を「サント・ヴィクトワール山」で作り出した。それは平面的なナビ派の画面意識も、後の立体派「キュビスム」の両義的な形態/空間表現をも予告するものであった。
ゴーギャンは総合主義の様式を確立した。あざやかな色彩を単純化された輪郭の中に平塗りする技法によって、想像力の生み出す観念、抽象的な気分を描き出すこの様式は、当時ゴーギャン周囲にあったエミール・ベルナール、ルイ・アンクタンなどいわゆるポン・タヴェン派(ブルターニュのこの名の村に彼らが集まった)の相互影響の中から生まれたものであった。
オランダ出身のゴッホの「アルルの夜のカフェ」は、夜の生活の退廃に対するゴッホの想い、観念が赤や緑の色彩に託されて、激しい表現主義的な絵である。
ノルウェーのエドヴァルト・ムンクもゴッホと並んで20世紀の表現主義の出発点となった。