江戸 坂道歩きその28 胸突坂‐幽霊坂‐護国寺 | らんまるの街道歩きブログ

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2014年11月29日(土)

久しぶりの江戸坂道歩きです。この日は昼頃から雨が予報されて
いたこと、それから先週までの三週間、街道歩きでかなりの距離を
毎回歩いて足の裏が少し痛くなってしまったため、ぷらっと坂道を
歩くにはちょうど良いタイミングでした。

この日の歩行ルートは↓です。

(上の地図をクリックすると大きな地図のページに飛びます)

坂道歩きのガイドブックはいつもの↓。

タモリのTOKYO坂道美学入門/講談社
¥1,680
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(私の持っているのは旧版で今は改訂版があります)

ゆっくり寝たいのはやまやまですが、昼頃から雨の予報でも
あったので、7時半頃には有楽町線江戸川橋駅に到着し、
坂道歩き開始です。

江戸川橋で神田川を渡ったらほんの少しだけ江戸川公園方面に
進みます。川べりを歩く人、ジョギングする方が多数いましたが、
何となく一瞬人が途絶えた瞬間を狙って激写。
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直後にすぐ北にある目白坂に入ります。結構な勾配と自然な
湾曲、たくさんのお寺があり、とても情緒のある坂道です。

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目白坂に入ったすぐの右側には大泉寺があります。
立派な山門と立派な本堂が印象的。
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その20Mほど先の右側にある永泉寺は、インドを思わせる
建築様式が興味深かったです。

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更に10Mほど先の右側にある法樹山養国寺は何と寛永元年(1624)
の建立とのこと。
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家光公の頃から残っているお寺ですが境内に車が駐車しているのは
時代というもんですね。

更にそのすぐ先の右側には正八幡神社があります。

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参道の階段を上がって本殿に臨むと、いい頃合いの紅葉交じりの
紅葉がとてもよい感じになっていました。
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丁重に家内安全などなどを祈り参道を出ます。

かつてこの正八幡神社の向かいには新長谷寺というお寺があり、
そこに目白不動が祀られていたそうですが、現在では私も8月に
お邪魔
した金乗院に移動しています(新長谷寺が金乗院に吸収
合併された様です)。

坂を登り切ったら、最初の角で左に曲がり江戸川公園の方へ
下りてゆきます。昨年「地形散歩」などと称して江戸川公園の
中から崖上に上がって来たのとちょうど逆に歩きました。
この辺りは武蔵野台地の端っこ部分が作る崖がむき出しに近い
状態になっていて、いろんな角度から楽しめますね。

坂下に下りたら暫くは神田川の北岸を西に向かって歩きます。
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春は満開の桜を咲かせていた桜並木も、葉っぱが真っ赤になって
もう冬が近いなぁと思います。この辺りは名高い椿山荘の崖下を
歩いている形になる訳ですが、途中の右側には関口芭蕉庵の
入口の門が見えてきます。
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関口芭蕉庵は、かつて神田川の改修工事の際に、工事に
参加していた松尾芭蕉が住んでいたといわれる庵です(再建です)。
上の写真の門からは入れず、少し先の曲がり角を右に
曲って、後述する胸突坂をほんの少し進んだところが入り口です。

少し先、左側に駒塚橋が架かっている反対側に水神社があります。
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かつての神田川は今からは想像しづらいですが、よく氾濫する川で
水神の怒りを鎮めるために建立されたのがこの水神社です。

鳥居をくぐって参道の階段を登ったところの両側に大きなイチョウの
木があり、門の様になっています。階段の途中から右側のイチョウを
少し入れて神社を激写してみました。
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イチョウでできた天然の門を抜けて神社に近づくと、ちょっと
風が吹いてイチョウの葉が一斉に落ちてきたのでこれも激写!
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拡大して頂くと(無理に拡大頂く必要はないのですが)、何となく
イチョウの葉がちらほらしているのがご覧になれるかと思います。

神社の横からそのまますぐ横の胸突坂に出られる様になっており、
本日のメインイベント胸突坂に入ります。胸を突き出す様に進まないと
上れないほどの旧坂なのでそういう名前になっており、同じ名前の
急坂が他にもあるそうです。
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今は舗装され、手すりまで付いているので天気が良くても
悪くてもそんなに問題ありませんが、わらじ履きの江戸の市民が
雨の日にこの急坂を登るのは大変だったでしょうね。

上から見下ろしてもいい感じです。
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江戸時代から残る坂道って何かこう風情が残っているところが
多く、うれしくなります。

坂を上り切ったかどうか位のところで左側(西側)にあるのが
永青文庫(えいせいぶんこ)。これはかつてここにあった
細川家の下屋敷跡にあたり、細川家が代々収集した
貴重な文化財が保管されているのだそうです。
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残念ながら時間が早くて入館できませんでした。

少し進むと右側に一見ものすごく大きなお屋敷の入り口、
に見える構えの門があります。これは蕉雨園という、
明治時代の宮内大臣田中光顕の邸宅だったところ。
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非常に貴重な文化財となっています。

左側には、都内の男子大学生用の寮である和敬塾があり
和敬塾の敷地を回る様に左の路地に入るとかつての
地名を現した案内板がありました。
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細川邸の前に老松があった事が、明治になった時の
町名のもとになったらしい、とのこと。

何となく道なりに進みやがて都道8号=目白通りに出ます。
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明治通りに入って比較的すぐ、左折をして↓の写真の
道を入ってゆきます。
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そのまま歩いてゆくとやがて結構幅の狭くてちょっと暗めな
幽霊坂という坂道があります。
坂道の下まで降りてから激写!
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江戸時代には恐らく両側に木が生い茂り、昼間でも薄暗く
「幽霊でも出そうだな」という事で幽霊坂になったんでしょう。
そういう雰囲気の残った坂道で江戸を感じられます。

坂の上に登り直し、坂道方向を見た時にちょっと遊び心が出て、
カメラのシャッター速度を少し遅くしてカメラを回しながら撮る、と
いう撮り方の練習などをしてみました。
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円の中心にあたるところだけ比較的動いておらず、外側の方は
結構回ってますね。写真がちゃんと撮れるウデの人がやると
もっとカッコいい写真が撮れると思いますが、これでなかなか
自分でやってみると楽しいもんでした。

目白通りに戻ったらそのまま目白通りを渡って、さらに北に
進みます。やがて忍ばず通りの方に下りて行く緩やかな
坂道があります。薬罐坂と言います。
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この「やかん」とは、野豻とか射干と書いて、犬やキツネの事をいい、
野犬やキツネの出る様なさみしい坂道であったのだろう、と案内板に
説明されていました。またさらに薬罐の様な化け物が転がったとか、
夜寒の里道と呼ばれたなどなどの由来もあるそうです。

薬罐坂を下りると、あとは右(東)に進んで護国寺駅から帰るだけです。
途中首都高速の出入口などを通り過ぎて、
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その先の護国寺駅から地下鉄で帰ろうと、、
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したのですが、やたらとお腹が空いていたので、ちょっと
護国寺から少し南に進んだ、講談社のお向いにある
ロッテリアで朝食。

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(↑だけスマホの写真)

お腹も満たされたところで雨降り前に帰途につけました。

やっぱり坂道歩きは情緒を感じられて楽しいもんです。
来週はまた街道歩きの予定です。

2014年11月29日(

PS:書いてる間に晴れてきてしまいましたね。