お江戸ウォーキングその5 見沼代親水公園-伊輿町 | らんまるの街道歩きブログ

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2012年4月28日(土)

午後何とか時間が取れたので、『江戸ウォーキング』という本の中から
見沼代親水公園を歩くコースを選んで歩いてみました。

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今日の歩行距離は6.17km、歩行ルートはこちらです。
午後2時20分に、日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅に
到着します。
01駅

この「見沼代」というのは江戸検定2級のテキストで
学んだことがあり、ぜひ現地を訪れてみたかったのです。
誤りを恐れずに、ものすごく簡略化して書くとこういう事です。

1.江戸初期、この地に農業用の灌漑用水を確保するため、関東郡代
 であった伊奈忠治が堤防を作って、見沼溜池を作った。
2.時が経つにつれ、流砂などでこの溜池がだいぶ使えなくなってしまった。
3.このため、紀州藩出身の八代将軍、徳川吉宗公が、地元の紀州から
 連れてきた井沢弥惣兵衛為永が、見沼わる用水路を造り、これを
 見沼代用水と呼んだ。
4.ちなみに元々の伊奈氏の技術を関東流、井沢氏のそれを紀州流という。
5.農業用水としての役目を終えた今、親水公園として人々の憩いの場所
  として満ち足りた余生を過ごしている。

てぇところでしょうか。駅の東側はそのまま見沼代親水公園に入れる
様になっており、余りに分かりやすい表示も、これこの通り02公園入口

上の写真のすぐ右側にそれらしい噴水施設ができています。03公園入口部
この壁の様なオブジェの裏側がこれです。
04公園入口部裏
ここから水が流れて、親水公園の人工の川に水が流れます。公園の
前方を見ると実にすばらしい景色が伸びています。05公園
季節も丁度よかった様で、目の中に飛び込んで来るような
新緑の緑が心地よく眩しい感じです。憩いスポットとして
優れているのか、家族連れや友達同士或いは夫婦連れで
お散歩や水遊びに来ている人達も本当にたくさんいました。06公園
葉っぱも出てきましたが八重桜はまだそれなりにきれいです。

07親水公園
もっと豊かな水がここを流れていたんだなぁーなどと感慨に
浸りながら歩いていると、藤棚を見つけました。きれいな色です。
08藤の花

この親水公園の流れは本当の川ではなく、人工のそれなので
ところどころ公園の区切りの様な場所で、流れが一旦暗渠に
入っていくようなところがちょくちょくあるのですが、何というか
風で落ちた桜の花びらがぎっしりとじゅうたんの様に並んで
いる珍しい光景があったのでそれも撮ってみました。09桜じゅうたん
「桜錦」と勝手に名付けてみます。

もう少し進んでみると、何やら男の子が魚とりをしているエリアが。10親水公園
いやぁのどかな景色だなあなどと和みかけていたところ、付近を
散策中の初老のご婦人からこの子に叱責が飛びました。どうやら
立ち入り/魚採り禁止地域だった様です。親ではない大人が子供を
しかる光景、自分が子供の頃はよくあった情景ですが、最近は
とんと見られなくなっていたので、新鮮でした。元々日本の社会って
地域全体の大人が地域全体の子供を世話したり叱ったりして守って
きたのではないかと、そう思います。最近は、大人になってしまって
自分も含めてそういう事、しない気がします。

ここからしばらく進むと、見沼代親水公園は終わりを迎えます。12親水公園終点
ここが水路の突き当たるところ。前方に看板めいたものが見えてますね。11舎人コース看板
こんな看板だったりします。お散歩マップですね。

この看板の先の複雑な交差点の手前で見沼代親水公園は完全に
終点に辿り着きます。この写真の場所が、公園の一番先っぽです。13親水公園終点02

元々ここが本来の見沼代用水であった頃、用水はもう一つ先の信号
交差点の位置まで続き、そこで5本に分岐していたそうです。
「もう一つ先の交差点」てぇのが、「はんのき橋」になりますが、ここに14千住堀分岐標
かつての用水が分岐をしていた事を示す標(しるべ)がありました。
ここから竹ノ塚堀や保木間堀などに別れるのですが、保木間方面に
進むとまだ親水水路が楽しめる様になっています。これがそのスタート地点!15保木間堀入口

この先は細い水路がかつての姿の名残となっています。こんな感じ。16保木間親水水路
まぁ切れ切れですしずいぶん細いですけど、全く何も残っていないのと、
こうして少しだけでもかつての面影を残しているのでは、全く意味合いが
異なりますね。

本来は歩道部分だけでなく、車道全体の幅に渡ってお堀が流れていたと
思いますが、この道路の曲がり具合などを見ると、いかにもかつては
ここが水路であった事を示している様な気がします。17保木間水路跡
この妙なS字、なんか水路の道筋っぽいと思いませんか?

ぐねぐね曲がったりしている内に水路が一旦姿を消しますが、そのすぐ
先の左手(北)にあるのが、非常に古くからある、伊輿氷川神社です。18伊輿氷川神社

長くなりますが、足立区の教育委員会の説明によると:
奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、
この附近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、
武蔵国一の宮である大宮の氷川神社から分霊を勧請したものと
考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから
「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が
生じたものであろう。
付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・勾玉・
管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居趾、井戸跡など
生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡といわれる埋蔵文化財包蔵地を
形成している。


という事で、かつて(縄文海進の後くらいでしょうか)はこのあたりまで海の
際にあった頃からの神社ってことで、当然総鎮守な訳ですね。確かに
本殿も相当立派ですし、
19伊輿氷川神社2
本殿の額の横には、富士講でしょうか、
ちょっと珍しい感じのものが見えました。
20氷川神社-富士講?

また、敷地内には他の神社も勧請されている様で、かなり大きな
浅間神社も、参道から斜めに分岐する形ででーんと聳えていました。21浅間神社
上のリンクのWikipediaにもありますが、浅間神社というのは
富士信仰関連の神社なので、さっきの本殿の富士山登頂の
額があそこにあるのも納得ですね。「もしや」と思って
富士塚も探しましたがありませんでした。

氷川神社を出ると、斜向かいに伊輿遺跡公園があります。
ここは、竪穴式住居のレプリカや、古墳などがあります。22伊輿遺跡公園
この竪穴式住居、近くに拠ってビックリしたのですが、茅葺きではなく、
コンクリで茅葺きの形状が再現されていました。
何となく入り口のところから中をのぞいて2度ビックリ23竪穴式住居
住人のご家族も再現されていたのです。

公園の東側にあるのが方形周溝墓という古墳です。まぁ四角形で
回りに溝があるって事ですね。実物はこんな感じでした。24方形周溝墓(古墳)
うん、貴重なものである事は間違いありませんが地味な感じですね。

保木間親水水路に従ってもう少し進むと、やがて寺町に差し掛かります。
関東大震災のあと、浅草や本所などから13のお寺がこちらにお引っ越し
してきた地域だそうです(上で紹介した江戸ウォーキングから)。

寺町が始まるころ、親水水路も再び姿を見せます。お寺の壁と
ペアーになるとかなりいい感じになっていると思います。25伊輿町寺町の風景

徳川五代将軍綱吉公の生母、桂昌院のお墓がある法受寺を
さらっと拝観し、寺町にそって右折(南南東)し、ローソンの
手前で鋭角に右折(北西方面)して寺町の中に入っていきます。

少し奥まったところにある立派な本堂のお寺が東陽寺です。

26東陽寺
本堂の横では十六羅漢が世の中を見つめていました。27十六羅漢

更に奥に食い込む様に進むと、易行院というお寺がありますが、
見て下さい、この本陣や脇本陣と見紛うほどの立派な構え。28易行院
ここには、『歌舞伎十八番』の一つ、『助六由縁江戸桜』の
ヒーロー&ヒロインの助六と揚巻の塚があります。
29助六の塚
この地域に助六が祀られているとは予想だにしませんでしたが
やはり調べてみると、浅草の山谷町から移ってきたのだそうです。

その後、一旦尾竹橋通りに戻ってそのまま東に向かうと、右手に
白旗塚史跡公園がありますが、この公園、白旗塚という貴重な古墳があります。30白旗塚史跡公園
古墳は、周りに堀がめぐらしてあり、全貌は大体こんな感じです。31白旗塚
元々こういう風に堀に囲まれていたわけではないのですが、後に
公園として整備する際に堀が造られた様です。

また西に戻って尾竹橋通りを南に下って、伊興本町で西に入って
いくと、応現寺というお寺があります。縁起を書いた看板を撮ってみました。32応現寺由来

このお寺、特筆すべきは、山門とその傍らの一本松です。33応現寺山門
本陣の門って言っても通りますよね、この立派な門。

再び尾竹橋通りに戻って少し南下すると右手に東岳寺という
曹洞宗のお寺がありますが、ここで特筆すべきは、広重の
お墓と記念碑があることです。門構えはやはり立派です。34東岳寺

中に入ると、緑豊かで大変に美しい境内だったのですが
緑豊かなだけにこの時期既にブヨがかなり大量に発生
しており、手にしていた「江戸ウォーキング」の本などで
少し散らしてから撮影をしました(本来はブヨではなく、
ブユ なのですね。関東のみならず私の実家のある
愛知県でもブヨでした)。こちらが広重の記念碑。
35広重記念碑
そしてこちらが墓碑です。
36広重墓
江戸検定などを通して江戸の文化に触れているこの節、広重などは
特に親しんでいる芸術家ですので、感慨も一入です。

ここを出るとあとはゴールまで一直線。標識に沿って東武の竹ノ塚駅
に向かいます。

37標識

そして午後4時15分ごろ、竹ノ塚駅にゴール!
38竹ノ塚駅
北千住経由で帰宅したのでした。

この日も美しい親水公園や、落ち着いた寺町など盛りだくさんの
内容で大成功のお江戸ウォーキングでした。

街道歩きも楽しいですが、お江戸探訪もまた素晴らしく、
更には最近は川をさかのぼるウォーキングなども考えて
いるので、全く休日は忙しい限りです。

2012年4月30日アップ