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人物探訪: 石原慎太郎 ~ 優しさが生んだ強さ
すでに人気作家の地位を築いていた石原氏が、なぜ政治の道に足を踏み入れたのか。
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登録者26.5万人のYouTubeチャンネル「ChGrandStrategy」の「神谷宗幣が訊く!」でお話しさせていただきました。
メルマガ25年間毎週更新!伝えたい日本人の根っこ!【CGS 神谷宗幣 伊勢雅臣 第221-1回】(14分12秒)
https://www.youtube.com/watch?v=e4e04HDX4EM
これからシリーズで8回ほど、歴史、経営、SDGsなどを各10分程度でお話しさせていただきます。
神谷宗幣さんのまことに広範囲なテーマ設定で、なんとか「無理難題」に挑戦してみました。(^_^;)
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■1.強さと優しさと、どちらが本当の石原慎太郎氏なのか?
石原慎太郎氏が逝去されました。石原氏の足跡で、強く心に残っていることが二つあります。
一つは、2012年に尖閣列島を東京都が購入すると発表して、寄付金を募り、賛同する国民から10万件以上、15億円近い寄付を集めたこと。
その2年前に中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしたのを国民からひた隠しにし、なおかつその船長を釈放してしまう、という民主党政権の法も国際常識も、そして一国の体面も無視したやり方[JOG(701)]に比べて、石原氏の強いリーダーシップを感じました。同じように感じた人が多かったので、これだけの寄付が集まったのでしょう。
もう一つは、東日本大震災で福島第1原発冷却のための放水作業を行って無事帰還した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員139名の面前で深々と頭を下げ、涙声で「本当にありがとうございました。この国の運命を決めてくださった」と語った姿です。[TOKYO MX]
当時、隊員らに出動を命じた消防総監はこう証言しています。「知事は決して『やれ』とは命令しなかった。『本当に大丈夫か、できるならやってくれ。頼む』と。隊員への気遣いを感じた」[産経、R040201]
この時には、菅直人氏にまつわる舞台裏も語られています。
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だが、実は石原氏は首相官邸からの隊派遣要請をいったん断っている。菅氏に隊員を預けると、どんな危険で無謀な任務を強いられるか分からないと判断していたのだった。
このときは結局、菅政権では物事を動かせないとの事務方の相談を受けた安倍晋三元首相が、石原氏の長男である自民党の石原伸晃幹事長(当時)を介して説得し、石原氏も最終的に派遣要請を受け入れた。[産経、R040203]
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こういう点にも、石原氏の消防隊員たちを思う優しさを感じます。しかし、尖閣諸島を寄付金を募って東京都で買ってしまおうという強さと、隊員たちを心配する優しさとが、同じ人間のなかでどのように同居しているのか、が、もう一つ、ピンと来ませんでした。どちらが本当の石原氏なのか、と。
■2.「殺された若い警官に世間の同情が向かぬという風潮は狂っている」
『国家なる幻影 わが政治への反幻想』には、もう一つ、石原氏の優しさがよくわかるエピソードが語られていました。昭和44(1969)年の学園紛争の頃です。
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日大での騒動で殉職した西条という若い巡査部長は建物と建物の間のわずか五十センチの通路を走り抜ける時、五階の屋上から落とされた、花壇を壊して作った煉瓦のついたままの重さ十キロのコンクリートブロックを、躓(つまづ)いて倒れた部下を助け起こそうと盾を外してかがんだ頭に受けて亡くなった。
その近くの教室の黒板には、石の礫(つぶて)を警官に命中させた者には煙草一本、怪我させた者には五本、殺した者には一箱と書いてあったそうな。
ある記事でそれを読んだ私には、新婚間もなく幼い乳飲み子を残して殺された若い警官に世間の同情が向かぬという風潮は狂っているとしか思えなかった。そこで当時警視庁にいた友人の佐々淳行氏に諮って、仲間の志も集め私が代表して西条巡査部長のお宅を見舞い、残された未亡人と幼い遺児の写真を添えて週刊誌の『女性自身』のグラビアとして掲載してもらった。
当然世間の耳目は遺族たちに集まり同情の声も高まり、それが他の機動隊員の励みにもなった。そしてそれが引き金にもなって民間企業の有志たちが醵金(きょきん)し合っての『機動隊を励ます会』が発足し今日まで続いている。[石原H13、1497]
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10キロのコンクリートブロックを警官の頭上に落とす過激派学生の冷酷さは、「どんな危険で無謀な任務を強いられるか分からない」菅直人元首相の非情さと、根は一緒です。左翼思想が人間に対する思いやりを失わせる、というのは、世界の共産主義国で例外なく起こっている人民虐殺からも明らかです。
「新婚間もなく幼い乳飲み子を残して殺された若い警官に世間の同情が向かぬという風潮」も、それだけ世の中が左翼思想に染まっていたからでしょう。
■3.「働いている人間たちの努力を、国家のためなのだから使い捨てにしてもいい」!?
このエピドードには、続きがあります。
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・・・ある時佐藤総理にそれら(伊勢注: 上記の警官へのお見舞い)の報告も兼ねて、見れば総理の代沢の私邸から官邸までの途中の淡島通り脇に、殉職した西条巡査部長の所属とは違うが第三機動隊の本部があるのだから、一度是非立ち寄って簡単でいいから国を代表して彼等を激励されてはどうかと献言してみた。
前にも記したが総理は立ちどころにうなずいて、ついでに、「そんなことをなんで今まで誰もいってこなかったのだ」、むしろ急に不興そうだった。
翌日すぐに佐藤総理は往路第三機動隊に立ち寄って隊員たちを激励感謝してくれた。すぐ後に佐々氏から電話が入り、
「あれはあなたからの献言と聞いたが、お陰で他の機動隊をももの凄く勇気づけました。心から感謝します」
ということだった。[石原H13、1508]
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優しい心を持っているからこそ、こういう事も気がつくのでしょう。このエピソードを、石原氏は次の言葉で締めくくっています。
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機動隊員に限らず働いている人間たちの努力を、国家のためなのだから使い捨てにしてもいいというような認識がもしあるとするなら、それにのっとったいかなる手段方法も人間として生きている国民のどんな共感を得ることもありはしまい。[石原H13、1518]
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「働いている人間たちの努力を、国家のためなのだから使い捨てにしてもいい」どころか、反革命分子は殺してもよいとするのが、左翼思想の非人間性です。人情に厚い石原氏は、そういう思想、風潮を「狂っているとしか思えなかった」のです。
■4.「自分の国家と民族の未来についての無関心さにショックを受けた」
石原氏の政治家としての自伝とも言うべき『国家なる幻影』は、昭和41(1966)年当時、すでに「日本で一番高い原稿料を貰って流行作家」だった氏が、なぜ政治家の道に足を踏み入れたのたかを語るところから始まっています。
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その年の暮れに、読売新聞からの依頼で、クリスマス休戦時のベトナムに取材に行くことになりました。「いずれにせよあの時あのベトナム行きの申し出を引き受けたことこそが、私にとってのことの始まりだった」[石原H13、68]
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石原氏は、クリスマス休戦に入る前に、米軍のヘリで前線に出ました。まだ戦闘中で、石原氏の乗ったヘリも地上からの銃撃を受けましたが、無事でした。ヘリが目的地の町に近づくと、そこで思いがけない光景が見えてきました。
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鉄条網の張り巡らされた陣地のすぐ隣の小学校の庭で、女の先生の指揮で子供たちがバスケットボールに興じていた。ヘリの爆音に加えてすぐ脇からは殷々(いんいん)たる銃声が響いているのに、その一つ隣の校庭には一見平和で楽しい学園風景があるのだった。
ヘリは子供たちの頭上をかすめるようにして舞い降りていったが、子供たちの誰も振り仰きもしなかった。・・・
ひとことにしていえばそれは、南ベトナムの大方の大衆国民のあの戦争に対する無関心さだった。[石原H13、125]
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この無関心さは大衆国民だけでなく、迫り来る共産主義の非人間性を察知している知識人たちも共有していました。
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しかしそんな彼等の、何より大切なはずの自分の国家と民族の未来についての、もはや慨嘆を超えて強く装われた無関心さに私はショックを受けた。そしてこの国は近く間違いなく北側との戦いに敗れて共産化され、ベトナムとしては滅びるだろうと確信していた。[石原H13、266]
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この確信は7年後の1973年、米軍の撤退により、現実のものとなりました。その結果、共産軍の支配を逃れようと、30万人とも言われるベトナム人がボートピープルとなって南シナ海に逃げ出し、その多くが海の藻屑となってしまいました。
■5.「自分の国家と民族の未来についての無関心さ」は他人事ではなかった
石原氏がベトナム人に見た「自分の国家と民族の未来についての無関心さ」は他人事ではありませんでした。「私はそこに私の故国日本との強い類似を見た気がした」のです。
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日本の現況に明らかに存在はしている瑕瑾(かきん)を声高に咎(とが)めて止まない手合いの数がますます増えて行った時、さらに下手をすればこの国が案外にもろくも躓いてしまう可能性は決してないとはいえないかも知れない、という気がしてならなかった。[石原H13、266]
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そう思って過去を振り返ると、石原氏には思い当たることが多々ありました。たとえば、1960年の安保改訂のおりです。
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日本の代表的な作家たちが構成している文芸家協会の総会だか理事会で、当時の理事長の丹羽文雄丹羽文雄氏がその日の協議案…
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