肉体の声を聞くという概念の欠落。 | 極楽鳥花 神奈川県横須賀市久里浜のスピリチュアルサロン

昔から、我慢したりがむしゃらに働くという癖がついてしまっているせいか、自分の体が今どういう状態である、というのを正しく認識するのが得意ではありません。

やっと自分のペースで働けるようになって、
「さっきから耳鳴りキンキンしてるわー」
「なんかイライラするけど、イライラっていうかこれ頭痛だわ、しかも半端なく痛い。これ以上はPCいじったら駄目だわ」とか、
「やけに体力ないしフラフラするけどそういえば生理だったわ!」とか
とか三十路すぎて今さらながら自分の体に向き合ってます。

もっと若くて、もっと色々無理をしていた時期には、私はいつも薬を何種類か持ち歩いていました。

ちょっとでも風邪の症状が出たら飲み、
(しかも市販の薬は効きにくいから、といって通常の2倍飲んだり、病院に行ったときの抗生物質を少し取っておいて飲んだり…危険なので真似しないでくださいね)
アレルギーが出れば飲み、
頭痛がすれば飲み、
眠れなければ飲み…と肉体の声を、それも即座に押し殺すためにいくつも持っていました。

というか、薬を持っていると安心しました。自己管理も自分の能力のうち、世間に弱っているところを見られたら糾弾される、という強迫観念すらあったかもしれません。

ですが、カイロプラクティックとヒーリングで徐々に必要なくなってきました。
実際の症状も出なくなってきたし、発生しないから薬を持ち歩く必要もない。もちろん病気によっては飲み続けないとならない症状もあるかと思いますが、私の場合はほとんど薬を止めることができました。ついでに仕事も辞めちゃいましたが

冗談めかしてはいますが、命削ってまでいる職場ではないな、と判断したのです。同じ命を削るならば、削る価値のあるものに使いたい。というか、そもそも削る一択でもないでしょうし、ただ生きるために命を削る、というのもいくらなんでも人生もったいないな、と思ったのです。

さまざまな薬を飲み、肉体の危機を伝える声に耳をふさいでまで働く。
本当にやりたい事ならばまだしも、ろくでもない上司にの元で、何のためにやってるのかもよく分からない誰も喜ばない仕事でした。明らかに不毛です。

これからは、肉体の声に真摯に向き合い、自分の本当にやりたい事をしていきたいと思っています。