外資系金融って | 海外ポスドクの就職活動日記

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高学歴・高年齢・海外… 
2009年、
3Kのハンディと不況にアグレッシブにチャレンジする
海外PDの新卒(?)就活記録

「投資銀行」ってご存知でしょうか。

日本では、
ここ十年ほどで浸透してきた金融業の形態のひとつで、例えば
ゴールドマンサックス、JPモルガン、UBS、ドイツ銀行、など
は投資銀行と呼ばれることがあります。
見るからに、最近の世の中を騒がしている印象の企業です。

一方で、日系企業では
野村証券、大和SMBC、みずほ、東京三菱UFJなど
が投資銀行に相当する部門を擁しています。

***
日系企業を眺めると
証券会社+銀行
の合わさったものが投資銀行らしいと見当がつくと思います。
パッとイメージするような店舗で貯金や融資をするような銀行は
商業銀行と呼ばれたりします。

旧来の保守的な商業銀行業務をはみ出し、
また証券会社のような顧客への証券売買にも留まらず、
企業の売買収をビジネスにして自ら証券を作り出し
活動しているのが投資銀行です。
銀行って元々お堅い退屈な商売だったはずで、
投資銀行はITやグローバル化の時代が生んだ異端児と言えるのですが
同時に自分自身の世界をも傷つける強大な力を手にしてしまいました。
(海外では、ある形態の投資銀行は昔からありました。)

実際、
サブプライム問題と上記の企業の名前が切り離せないことから
だいたい予想がつくと思うけど、
証券と銀行という組み合わせには重大な欠陥もあります。

元々、(商業)銀行と証券会社というのは
債権を作る側と売る側、言い換えれば
リスクを逃避する側と隠す側とでもいうような
背反する機能をもった事業形態になっています。


古くは1929年の大恐慌でその弊害が顕在化したこともあり、
アメリカでは1933年グラス・スティーガル法の施行で
銀行業務と証券業務の分離を定めていました。
でも、
この法律は1999年に事実上撤廃されているのです。
時を同じくして、日本でも外圧で金融ビッグバンなんてやってました。

なんでこんなことになってしまうのかということのひとつの理由に、
アメリカの財務長官が
歴代、ゴールドマンサックスから来ているように、

金融界が時流の変化を捉えて政治的に働きかけてきたことがあります。
つい昨日、反省もあるのかないのか、
ウォール街の金融での過去最高の報酬がニュースになった(リンク)。
欲望を満たすシステムを自分たちで作って、
パンドラの箱を開けているのだから世話は要りません。

そうして膨張し始めたのが「投資銀行」です。

金融はITと並んで世界で
アメリカが優位性を保っている(いた?)主要産業でもあります。
ある瞬間に社会が生み出しうる余剰は一定なのだから、
米金融大手だけで報酬総額が12兆円にも達してしまう
彼らが作った金融技術というのは、社会の利益配分を
金融業に集中させる魔術であるという一面は否定できない。

だから、
今回の金融危機でやり玉に挙がったのか
上記の欧米系の巨大企業群だったのも当然だし、
不景気下で働く人々の怒りの声も何度聞いたことか。

***
ただ、投資銀行の時代は終わったという人もいるけど、
一方でその業務が必要だから成長してきたことも無視できない。

証券化という金融技術が暴走した。
それは大いに問題であることは疑いがない。

だけど(以下少し話が飛躍するけど)、
ほんとうの問題は僕らが価格またはリスクを
完全に算定することはできないという事実
にも行きつく。

身の回りに全てのもの、ジュースでもコメでもPCでも、
その価格は実は信用によってしか決めることはできない。
貨幣の価値とは本質的にそのようなものなのだから。

金融商品の価格、債権、株、利子率、それに限らず
ありとあらゆる商品の価格は、リスクの下で不確定なままだ。
そのリスクを避けるために、
例えば世界最初のデリバティブ取引は
江戸時代に大阪の米の売買の中で生まれた。

現代人はリスクの運用に失敗したから、
世界中の人の資産が泡のように生まれて、そして消えた。

本当は「適正な価格の設定」という地道な努力があって、
でもそれに限界があるところにマネーゲームが入り込んでしまう。
リスクを避ける努力が、新たなリスクを生むのだから皮肉だ。

投資銀行が悪なのならそれは必要悪ということになる。
善だ悪だ、と言う以前に
リスクを商品とする金融の役割は消えはしない。
馬鹿みたいに繰り返しているバブルによる
未来の被害を軽減するには、
金融というシステムをうまく操っていく方法を考えるしかない。


もやもやした内容のままだけど、今日はここまで。