今日、母は救急車で病院に運ばれました。





とても重い肺炎らしく、厳しい状況のようです。


明日、明後日までもつかどうかわかりません。





でも、医者に言われた一言に救われました。


「昨日か一昨日救急車で病院に連れて

 行ったら状況は変わっていたか?」


父は主治医に聞きました。


主治医は


「それは変わらなかったと思います。」


と言いました。



「むしろ、ぎりぎりまで家族との時間を

 大事にされたのがよかったと思います。」



そう言ってくださりました。





確かに昨日私は悩みました。


「ここで救急車を呼ぶべきかも。

 その方が母にとっていい選択か?」




でも、私はその場で覚悟を決めました。


「この家で母との時間を大事にする!」と。



母が元気だった頃に言っていました。


 「できれば家で看取ってほしい、

  という希望はある。でも家族に

  迷惑をかけるのは嫌だから

  ターミナルケアを受ける。」


本当は母も家にいたかったのです。



今朝は早く起きてお風呂を沸かしました。


そのお湯で母の体を拭いてあげたのです。


私と父と弟と三人で丁寧に拭いてあげ、

パジャマを着替えさせました。


 「体を拭いてあげたい!」


それは私たちの最後の希望でした。





私は3年前に祖父が亡くなった時、

いろいろと後悔はありました。


(今でも悔いが残っていて、

 引きずっているものあります。)


でも、祖父が最後に家を出る前に

よかったなぁと思うことがありました。


それは、


祖父をお風呂に入れたあげたことです。


湯船につかりながら体を洗って

あげている時に祖父は言いました。


 「申し訳ないね…」 と。


そればかり何度も何度も言ってました。


 「そんなことないよ。これまでありがとう。」


そういいながら私は体を拭いてあげました。


私はこれまで祖父から与えてもらった

数々のことを思いながら拭いてあげました。



どうも我が家は体を洗ってあげるということを

やらないと、どうしても気が済まないのです。





母もできればお風呂に入れてあげたかった

のですが、それはさすがにできませんでした。


でも、ベッドで体を拭いてあげられただけで

私たちはとても満足してました。



体を拭いたあとに、父が救急車を呼びました。





救急車を待つあいだ、私は寝室で母と

2人きりになる時間がありました。



その時間が母の意識がしっかりしている

最後の時間のような気がしました。


母にはどうしても伝えたいことがあったが、

でもそれ言ったら最後になるような気がして

言うべきかやめておくかとても悩みました。



悩みながらも時間は経っていきます。



とうとう救急車の音がしました。


「やはり言っておこう!」


そう決意し、母の耳元で声をかけました。



「お母さん、僕を産んでくれてありがとう。

 僕は今生きていてとても幸せです。

 おばあちゃんのことは僕に任せてください。

 お父さんや家も僕が責任持ってみます。

 あとは何も心配しないでいいからね。」


そう言いながら母を抱きしめてあげました。





母は無表情でしたが、涙をこぼしていました。


顔の表情を動かす力もなかったのでしょう。


でも涙で気持ちを表現してくれました。


それだけで私は十分です。





ふと、私が5年前に結婚して家を出る

時のことを思い出しました。


私が家を出る直前に母は言いました。


「最後に抱きしめさせて!」


私を抱きしめながら母は泣きながら

言ってくれました。


「産まれた時はあんなに小さかったのに、

 こんなに大きくなって…」


あの時抱きしめた母はまだ普通の

体格だったような気がします。



今日抱いた母の体は痩せ細って小さい。


こんなになるまで癌と戦った母を

私は誇りに思います。





私の母が癌だという話をすると、

私の周りの方は皆心配してくださります。


みんなそれぞれ、いろんな考えをもっているようです。


 「現代医療は何かが違う。」


 「ホスピスに早く入ってほしい。」


 「こっちの病院に入った方がいいのでは。」


皆さんに心配されて私は幸せです。

とてもありがたいことです。




確かに今の医療には問題があると思います。


昨日父も悔しそうに言ってました。


「うちは怠けてたわけでない。

 毎年癌検診に行ってたんだ。

 なんで早く気付けなかったのか。

 とにかく悔しい!癌が憎い!」



父の気持ちはわかります。私も悔しいです。


当時はまだ発見するのに医者の

能力に依存していたようです。


(今はどうなのかわかりませんが…)


抗がん剤もいろいろ副作用があるようで、

何がいいのかわからなくなります。





でも、母は自分で治療方針を決めて

今の主治医を信じてやってきました。


そして、今の主治医にやってもらった

治療に母は満足してると言ってました。


ここまで生きてきて、やりたい仕事を

やれたことにも誇りをもっています。





なので、私は母の決めた治療方針

に文句を言うつもりはありません。


本人が満足してるのなら、私は

それでいいと思っています。



どうか、皆さんも母が決めた道に

対して悪いことを言わないで下さい。




現代医療には、今の問題を解決して

進歩してくれることを期待します。


別の治療方法もあるのでしたら、

その道の進歩に期待したいです。


それぞれの分野でよりよくなるよう

改善していってくれることを祈ります。





きっと何年後かには癌は普通に

治る病気になってるかもしれません。


母はそれを迎えることができなかった

のは残念で仕方ありません。


でも、母は果敢に戦ってきました。


立派な生き方だったと思います。





私はちょっと思うことがあります。


 「癌」


という病気は関係ないと考えています。


きっと癌が治る病気になっても、きっと

次にまた不治の病は現れると思います。


結局、人間は何かしらの病気と戦う

運命にあるのかもしれません。


それは生き方を考えさせてくれる機会

与えてくれるものだと思います。




そういう病気と向き合いながら人間は

真剣に生きて、必死に生き方を考える。


悔いのない人生をどうやって生きるか。

そう思わせてくれるものだと思います。


不治の病がなくなったら、そんなことを

考えることもなくなるような気がします。



だから、


人間は病気と共に生きていくしか

ないような気がしています。


病気というものにもきっと何か

意味があるんだと思います。





私もこれまで病気というものを

いくつか抱えてきてます。


(いずれ、話せる時がきたら

 少しずつ話していきます。)


でも、病気を恨んだことはありません。

決して悪いことだけではありません。



何かしらの気付きを与えてくれますし、

時には思わぬギフトもあります。


きっと母も病気で苦しんだ代わりに

何かギフトを受けとってるのでしょう。




さて、


明日も朝から病院に行って、母の

顔を見てくるで、そろそろ寝ます。




最後に私が撮った写真を載せておきます。




家族で最後の時間があるとしたら、

皆さんはどんな行動に出ますか?



私は気付いたら写真を撮ってました。


父が母を介護してる姿。

一所懸命話しかける姿。



そんな写真を撮ったら父は

怒るかと思ってました。


最初の一枚を撮り始めるまで

かなり迷いがありました。


でも、思い切って撮り始めたら、

私はひたすら撮っていました。




今日、入院した母を病院に残して

自宅に帰ってきてから夕飯の時


「昨夜、写真を撮ってくれてありがとう。

 俺はそんなこと思いつきもしなかった。

 あれは家族の最後の思い出の写真だな。」


父はそう言ってくれました。



これは私が一番気に入ってる写真です。



スローライフ日記-夫婦の絆


私は夫婦の絆を強く感じました。