$神はいるか ブログ版突然ですが、高校のとき部活がいっしょだった女の子(ということは、今はオバサン)から、メールをもらいました。
同じ部活で、顔も名前も一応知ってましたが、高校生のときはたぶん一度も話したことのない人です。

個人特定できる部分を伏せて、一部転載します。

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私のこの20年は大変でした。

離婚をし、再婚して幸せになれたと思ったのもつかの間、長男が○歳半の時に脳炎を患い、私の事もわからない程の重い後遺症で寝たきりになりました。

その時お腹にいた次男も私のショックが影響したのか、○○性○○障害と診断され、今中○ですが4歳半の知能です。

長男については、私が保育園に預けてまで働なければ、こんな事にはならなかったかもと、自分を責め続けています。

夫が不規則勤務の為、長年介護を手伝ってくれた母も○○で眼が見えなくなってきたので、長男は○年前に施設に入りました。

過酷で歯を磨く時間もない介護生活の結果、前歯○本は差し歯になってしまいました。
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おれがMLで「自分の存在を肯定できない」と吐露したことがキッカケかもしれませんが、口をきいたこともないおれにこういうメールを出すというのは、普通のことではありません。

他のメールは後回しにして、彼女に返事を書きました。

返事を書く前に、このごろ手元に置くのをやめていた、
DJKさんに教わった、ポストイットだらけの、
ヘンリ・ナウエンの「愛されている者の生活」
を、久しぶりに開きました。

おれの返信です。
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そうですか。
お互いほとんど何も知らないおれに、
なぜそこまで話してくれるのか不思議ですが。

とても嬉しいです。
話してくれたことが。

>自分を責め続けて

きっとみんな、「自分を責めるな」と言うでしょうね。
けどそれは、ムリでしょう。

妻の父は、おれが探した病院で亡くなりました。

「おれがもっといい医者を見つけてれば・・・」
と思いましたが、妻と妻の母から、
「あなたがいたから、少し寿命が延びた」
と言われ、遺された人たちと、このことを
「分かち合う」ことが重要なのだと、考えるようにしました。
分かち合うことで、はじめてお互いが幸せになれるような
気がします。

だから、○○さんに起きたことも、「分かち合い」たいと思います。
話してくれてありがとう。

○○さんに起きたことひとつひとつが、
まぎれもなく○○さんご自身そのものですから。
○○さんを、分けてくれてありがとう。

おれは、「もう生きていてもしょうがない」と思い、
死に場所を決め、泣きながら遺書を書き、
いろいろ準備したことがありました。

準備の途中でキモチ悪くなって吐いたら、真っ赤な血でした。

誰かがおれに「死ぬな」と言っているのかと思いました。
這うように病院に向かう道すがら、気持ちだけは
なぜか羽根が生えたようでした。

何の根拠もないけれど、きっとおれにも生きる理由はあるんだ、
と思いました。
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いつも使っている、「神様」や、「生命を司るインセンティブ」や「偉大なる宇宙意思」w などという言葉は、使えませんでした。

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生きている、ということは、奇跡です。

我々生物は、アミノ酸の海に落ちる雷によって、誕生したと言われています。

しかし、地球の歴史と確率論から言って、いくらアミノ酸の汁に放電し続けても、偶然にミトコンドリアやDNAが発生することは、ほぼあり得ない、というのが定説です。

科学的に解明を進めれば進めるほど、「生命は奇跡だ」ということを、我々は追認し続けているにすぎません。

ゆえに、生きている、ということは、すなわち神(生命のインセンティブ、あるいは偉大なる宇宙意思、でもいいと思います)の愛を受けていることに他ならないのです。

そうでないと、我々がなぜ生まれたのか、説明がつきません。

この重大な事実は、普通に生活していると、意識にのぼることがありません。
だから、「祝う」ことで、この重大な事実を思い出す必要があります。

おれは、生まれてこのかた、誕生日が嬉しいと思ったことはありませんでした。
親に欲しいものをねだる口実、という以外、まったく、意味がわかりませんでした。

しかし今は、積極的に祝うことにしました。
そうすることで、神の意思を、愛を、確認しなければなりません。

人はみな、自分が生まれた意味を、知らなければなりません。
そうでなければ、人は生きていられません。

だから、祝いましょう!
命を授かったことを、この地上に生きている奇跡を!

、、、、、、、、、、、、、、、、(閣下、多用してすいません)

そして、生きている限り人は常に「傷」を負い続けます。
時に、小さな。
時に、致命的な。

そして、最大にして最後の「傷」が、死、です。

人は、「傷」から逃れることはできません。
むしろ、「傷」こそが、その人の個性であり、アイデンティティであり、人格であり、その人そのものです。

だから、「傷」から目をそらしたり、考えないようにして暮らすことは、ナンセンスです。

お金、地位、収入、学歴、流行の服装、家、クルマ、宝飾品、美しい配偶者、優秀な子孫・・・・

そういうものを得るのに必死になるのは、それによって「傷」を癒そうと、人は考えるからです。
「傷」から目をそらし、忘れて生きようとするからです。

しかしやがて必ず、そういうもので「傷」を消すことはできないことに、人は気付かされ、途方に暮れます。

、、、、、、、、、、、、、、、、

おれたちがすべきことは、その「傷」を直視し、白日のもとにさらし、信頼できる者同士で分かち合うことです。

そうすることでしか、「傷」を癒すことはできないと、信じています。



おれにメールしてきた女の子(今はオバサン)は、きっと、このことを本能的に知っているのでしょう。
誰かに話したくて、仕方なかったのでしょう。

こういう話をすると、普通は「引いて」しまう。

「KY(空気読めない)」などと言って・・・

おれは、いま流行の、「空気読めない」という言葉が、大嫌いです。

自分が生まれつき「空気読めない」から、というのも大きいですがw
「空気」の裏にひそむ、大切なこと、重要なこと、本当のこと、真実から、目をそらさせる言葉だと思ってます。
たのむから、やめてほしい。

そしてそれは、自分の「傷」はもちろん、他人の「傷」にも、触れることはタブーだと考えている人がほとんどだからだと思います。

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こういう時、まだまだ、どうするのが正解なのか、わかりません。

ほんの少しでも、傷ついた人を癒せるよう、自分の生を肯定できるよう、命の意味を確認できるよう、このブログで、DJKさんはじめ、皆さんと考えて行けたらいいな、と、思ってます。
(画像は、安藤忠雄の光の教会です)

なお、この記事の執筆にあたっては、大丈夫かなさん(おれはDJKさん、と呼ばせていただいてます)の多大なご協力、ご指導をいただいております。

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