次男の兄が退職するまで、そして退職したあと。


次男の兄は、2年半ほど前にベトナムへ来越。
兄がベトナムへ来て、父が発した第一声。
「何しに来た!?」
微力ながら力になろうと兄弟が集まったのだがそんな感じでした。
基本的に父は次男に厳しく?理不尽な言動が多かった。
その頃は僕たちも海外で仕事をするにあたってはさほど気にはしなかった。
兄は、フラマのカジノで会計を学んでいった。
そんな会計長の仕事を2年ほど続けスキルを身につけていった。
そんな時昨年、父がカンボジアのカジノを始めた。
勿論、スタッフは大半がカンボジア人。
カンボジア人の属性なんてわからずに始めた。
騙し騙され運営はうまくいっていなかった。
会計も信用のできる人間はいなかった。
その時、次男の兄は真面目に仕事をこなしていてフラマで必要とされる存在になっていた。
そんな、兄を父は欲しがった。いや、彼の頭の中では「自分を助けに来て当たり前だ。使ってやるから来い」という考えだろうか。
兄は悩みに悩み父を手伝うことに。
安定した、収入、仕事、年に一度の日本への帰国、そんな会社から再び父のところへ行ってしまったのだ。
しかしカンボジアはもう手遅れになっていた。
カンボジア カジノを失い、日々何をすれば良いのか?何の仕事をしているのかわからず言われた調べごとをする程度の仕事。
仕事のやりがいもなく、収入も6分の1程度に。
また、立替のお金も多々あり集金しても何か文句を言われ次第にやりづらくなっていった。
その頃兄は月に3日ほど会計を教えに行っていた。それはそれで貴社のほうから報酬があった。
そんな、兄を父は高給取りだ!なんだと罵倒していた。
そんな暇があるなら俺の仕事を手伝え!と。タクシー代や食事代は兄が払うことが多々あったとか。
帰宅しても帰る家が同じなので、酒を飲みながらチクチクと毎日言われてしまう。
父とベトナム人女の喧嘩も耐えなく毎日のように喧嘩が繰り返されていたという。
兄はノイローゼのようになり心配で、電話で話しながらすぐに航空券を取り会いに行った事もある。
そんな兄も半年以上たち限界が来て、両者同意の下退職した。
しかし、知り合いの話しによると、「息子はいきなり蒸発してしまったんですよ!」と言いふらしているらしい。
何をどういわれようがあのまま彼についていっても駄目だっただろう。
万が一にもこれから再び立ち上がり成功を手にしたとしても常人なら虚しさ等何かしらのやるせない気持ちは残るだろう。常人ならば。
今現在兄は、海外の地で再就職し新たな道を自分の力で切り開き進んでいる。