今日の“日刊・今日の浜”でも書いたとおり、3月1日は愛知県の公立高校の卒業式です。
卒業式といえども、高校は義務教育でないので、みんなで卒業式に出ることができない人もいます。
このような話を書くのはどうかと思いますが、自分の友達もそうでした。
その前に、自分の卒業式を簡単に。
高校の卒業式はというと、とても簡潔なものなんですよね。
「卒業生入場」と共に卒業生が入場し、「開式の辞」の後に国歌を斉唱し、「卒業証書授与」がありました。
ちなみに、この「卒業証書授与」の総代というのが、自分の友達でした。
その後に「校長先生の話」、「PTA会長の話」とあり、在校生代表からの「送辞」と卒業生代表の「答辞」がありました。
「送辞」は生徒会の会長さんがやっていたのですが、「答辞」の人選はとても許せなかったですね。
「卒業証書授与」が“理系の男子”であったにもかかわらず、「答辞」は“理系の女子”(国公立大学の推薦合格者)でした。
これでは、自分たち文系の人間がバカにされているようで。
個人的には、Kちゃんを推したかったんですけどね。
あの人はとても頭がいいんですよ。
まぁ、そんなことはさておき、その後は「卒業の歌」として仰げば尊し や蛍の光 を歌い、最後に校歌を歌った後、卒業生の退場となりました。
後は、教室に帰って、先生の言葉や卒業証書を1人ずつもらい、クラスや部活ごとに「お別れ会」をしていました。
と、書いていると、文面の割にとても薄っぺらい記憶にしかありません。
というのも、その翌日には国公立の後期試験の勉強の為に、再び学校に来ていましたからね。
ただ、自分の場合は、「もう1つの卒業式」の方が印象に残っています。
実は、自分の友人がその卒業式に出ていまして。
彼は1年の頃から、あまり学校に来られなかったんですよね。
彼の場合、昼夜の生活が逆転していて、遅刻や欠席が多かったんですよ。
3年生でも、その生活が続いていて、大学への合格を得ても、卒業できるかどうかということが問題でありました。
なので彼は、先生から与えられた課題を終えるまで、卒業ということになれなかったんですよ。
ということで、みんなとの卒業式には出られませんでした。
ただ、彼もよくがんばりました。
自分が休憩がてら彼がいる部屋に行ったら、彼も勉強していました。
自分が最後に勉強しに行った日にも、よくがんばっていましたね。
そして、その日から1週間後、彼の卒業が決まり、自分も「もう1つの卒業式」に参加しました。
クラスメイトの半分近くや、3年生の頃の多くの先生が出席していて、式次第はほとんど「自分の卒業式」と同じでした。
ただ、「総代」(彼に直接証書を渡していました)や「PTA会長さんの話」、「送辞」がなく、担任の先生や父母の言葉があるというものでした。
先生や父母の言葉が聞けるというのは、とてもよかったので。
そうして式も終わり、自分たちの時といっしょに教室に行きました。
その後はみんなで彼を胴上げしたり、写真を撮ったりと、彼の卒業を祝っていました。
「自分たちで作った」感があったので、自分としては「もう1つの卒業式」の方が記憶に残っています。
卒業式のシーズンでなくても、この話は記憶に残っています。
彼とは、球技大会のソフトボールでバッテリーを組んだり、普段でもいろいろな場面でコンビを組んだりと、多くの場面でいっしょにいました。
高校の思い出といえば、KちゃんやAくんとの思い出もそうですが、彼との思い出も忘れられませんね。
明日は卒業式ですが、卒業されるみなさんには、いい思い出を残してほしいと思っています。
緊張しないで、楽しんできてほしいです。
かなりの長文になってしまい、失礼しました。