読売日本交響楽団
第17回大阪定期演奏会
【日時】
2017年6月26日(月) 開演 19:00
【会場】
フェスティバルホール (大阪)
【演奏】
指揮:シモーネ・ヤング
ピアノ:ベフゾド・アブドゥライモフ
管弦楽:読売日本交響楽団
(コンサートマスター:長原幸太)
【プログラム】
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
R.シュトラウス:アルプス交響曲 作品64
読響の大阪定期を聴きに行った。
指揮は、シモーネ・ヤング。
ヴァーグナー「ニーベルングの指環」やブルックナー交響曲全集の録音で魅せられて以来、彼女は大好きな指揮者の一人である。
去年の大フィル定期のブラームス交響曲第2番も大変素晴らしかった(そのときの記事はこちら)。
そんなわけで、今回も楽しみに聴きに行った。
前半は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。
ピアノは、1990年タシュケント(ウズベキスタン)生まれのピアニスト、ベフゾド・アブドゥライモフ。
この曲の録音では、私はポリーニ/マキシム・ショスタコーヴィチ/N響1974年東京ライヴ盤(CD)、アレクサンデル・ガジェヴ/高関健/東響2015年浜コンライヴ盤(Apple Music)、あとCDではないけれども、クレア・フアンチの2013年のAmerican Pianists Associationガラ・コンサートの演奏(こちらの動画の48:00頃から)、あたりが好きである。
今回のアブドゥライモフの演奏は、これらの録音に劣らぬ名演だと思った。
ロシア風のいわゆる「爆演」というよりは、確実なタッチ・コントロールと雄弁な表現力で勝負するタイプの演奏で、少し乾いたような音色も曲に合っていた。
終楽章の再現部以降は、上記ガジェヴやフアンチのようにぐいぐい攻めるスリリングな演奏(ガジェヴに至っては最後オケとずれてしまっているほど)というよりは、ポリーニのように比較的落ち着いたテンポを採っていた。
その分、ポリーニ同様、和音がしっかりと押さえられ、かなりの迫力をもって鳴らされていた。
私は、どちらのやり方も好きである。
後半は、R.シュトラウスのアルプス交響曲。
この曲の録音では、私はフルシャ/都響2013年東京ライヴ盤(CD)が好きである。
今回のシモーネ・ヤングの演奏は、これまた大変に素晴らしかった!
「洗練された自然さ」とでも言いたいような上記フルシャ盤とは、また全然違う演奏。
ヤングはもっとぐんぐん進んでいくというか、推進力がある。
それでいて、そっけなくなったり、細部をおろそかにしたりするようなことは全くなく、各声部のフレーズ感や楽器間のバランスまでしっかりと注意深くコントロールされており、完成度が高い。
クライマックスの最強音の箇所でも、響きが実によくコントロールされていて、とかくうるさいだけになりがちのこの曲がしっかりと引き締まっていた。
なおかつ、非常に重要なことに、彼女の演奏からは重厚さ・豊潤さのようなものが聴かれる。
「ドイツ的」としか表現しようのないような、充実感があるのである。
彼女が読響から引き出す重心の低い音色は、読響常任指揮者のカンブルランが同じ読響から引き出すフランス風の洗練された音色とは、全く異なるものである。
カンブルランの薫陶を長年にわたって受けてきたはずの読響から、このような「自分の音」をさらりと引き出してくるヤング、やはりさすがである。
オーストラリア出身のはずの彼女が、このような音を出せるというのは、驚きである。
ドイツで長年活動しているために、身についたのだろうか(若い頃はベルリン国立歌劇場で、バレンボイムのもとで研鑽を積んだようだし、今ではハンブルク国立歌劇場で芸術監督を務めている)。
いずれにしても、彼女の音楽の推進力、細部や全体の完成度の高さ、そしてドイツ的味わい、これらの要素の高度な融合を目の当たりにすると、20世紀初頭より始まり少しずつ成熟してきたノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)の、最高の結晶の一つなのではないか、と思えてくる。
思えば、R.シュトラウス自身もまた指揮者であり、ノイエ・ザッハリヒカイトの創始者の一人だったのである。
今回、読響の大阪公演の指揮者に彼女が選ばれたということは、今後彼女が常任指揮者になる可能性が高いということだろうか。
カンブルランとの契約が更新されないとすると、彼の後を継ぐに足る人材は、現在読響と関係の近い指揮者の中では、ヤングしかいないように私には思われる。
彼女が読響の常任指揮者になり、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲はもちろんのこと、ヴァーグナーの「指環」や「マイスタージンガー」、あるいはR.シュトラウスの各オペラを振ってくれることを想像すると、私などもうそれだけでワクワクしてしまうのだった。
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