今日で母の手術から49日目。

あの日もし助からずに命を落としていたら、今日という日は悲しみに暮れて、ひとつの区切りの日となっていた。

命を繋いで下さった先生、病院スタッフの方々、神様に心から感謝したい!


自分も結構いい歳なので、『人の死』は今までにも数多く見てきた。
祖母、親戚、知人など、小さい頃は自分の遠くの存在だったそれが、
歳を追うにつれ、友人、友人の親、仕事先の方など身近な存在となってきた。


しかし『慣れる』という事は一切なく、同じ歳の友人の時もそうだったが、今までに味わった事のない感覚を味わった。
加えて、元気に接していた者が『突然いなくなる』という事は、そう簡単には受け入れられない事だった。。。


人は何らかの障害や絶望に襲われた時、『どうか神様助けて下さい!』とすがりつく。
そして『後悔』『責め』『自分の今までの行いを見直し』などをする。


自分も母の手術中の4時間ずっとそうだった。

(別に自分は宗教や占いなどは全く熱心ではなく、趣味の寺社・仏閣巡りで神様・仏様に普通に手を合わせる程度)



しかし、人はその心が次第に薄れていき、日々の平穏な生活(満足)の中で忘れ去ってしまう。
そして新たな『欲』が出てくる。



自分自身も、今回の母が患った病気から大きな気持ちの変化がある。
色んな事に気づかされたり、実感したりしている。
やはり、今まで生きてきた自分の『人生の障害』の中で1番キツイものだからだ。。。。

『今をどう生きるか』
『今をいかに大切にするか』

いきなり『無』は襲ってくるものだという事を改めて実感した今、この2つは自分の考え方、生き方の軸となった。


それと『1人では生きてはいけない』という事。

周りの皆さまの支えがあってこそ、人生は成り立つものだと、より一層感じた。

母の場合も、数多くの方々から温かく支えられている。


このブログも少しでも同じ境遇の方々への参考になればと思い、乱雑な文章ではあるが綴っていっている。
でもそれと同じく、いやそれ以上に、自分も皆様に支えられて毎日を頑張れています。




文面にうまくできないし、言葉にしてしまうと全て何だか薄っぺらくなってしまうが、

『感謝の気持ちを忘れず、日々を大切に生きる』

人としての基本かもしれないが、
これを常に心に置き、薄れ忘れる事なく前に進んでいこうと思う。




本当に助かって良かった。