僕がGLAYと出会ったのは96年、小学校6年生の時でした。
学芸会で使われるBGMに友達が「グロリアス」を持って来たのが始まりです。

月並みな言い方ですが、単純に「いい曲だなぁ」と思いました。
当時の僕が「良い曲」だと感じるのは異例の事で、何故なら普段は音楽を聴かない。聞いても嘉門達夫さんだったり、ゲームやアニメの曲だけだったからです。いわゆる“一般的な”曲は聴かなかったわけです。

そしてその年の春休み。中学の入学祝いで貰った1000円を握り締めて「グロリアス」を買いに行きました。
そんな僕でしたので“普通の”CDを買ってきたものだから、姉に「何アンタ、GLAY買って来たの!?」と指を指して笑われたのを昨日のように覚えています。

でもまだ僕はGLAYの熱狂的なファンにはなっていませんでした。
あくまで「グロリアス」が好きな少年だったのです。

中学になり、当時の僕のクラスにはGLAYを知っている人間は2人しかいませんでした。好きな人ではなく、知っている人が、です。夏休み前か始め頃にWOWWOWでGLAYのアンプラグドライブの映像をやっていました。勿論、録画してそれを観ていると、演奏された全曲が僕の中で溶け合うのが感じられました。

普通、好きなミュージシャンでも1曲や2曲は好きじゃない曲があるのが当たり前ですが、GLAYにはそれがない。
そしてバラードが嫌いな僕でも最後に流れた「HOWEVER」に心を打たれました。

「これだ!」

と感じた僕はCDレンタル屋さんに駆け込み(お金がないので。。)、GLAYのアルバムを全部借りてきました。
そこで更に衝撃を受けるのですが、やはり何を聞いても全て気に入ってしまう。もう完全に虜になりました。

タイミングよく「HOWEVER」とベストアルバム「REVIEW」がリリースされ、爆発的なヒットを飛ばしたのでクラス中、いや学年中でGLAYの話が多く出されました。
僕はGLAYを自分だけで閉まっておけず、とにかく普及活動(笑)を行いました。多分卒業までに2、30人くらいは引き込んだんじゃないかなと思います。

僕と話をしたことがない人でも「くまちょん=GLAY」の図式が成り立っていました。
中三になるとそれぞれ好きなミュージシャンが出来てきます。僕の目的はとにかくGLAYの楽曲を聴いてもらうことでしたので、「GLAYが1番じゃないなんて!」という気持ちは全くありませんでした。何故なら多くの人がまず僕が普及したGLAYを通ったからです。全然仲良くもない女の子から「ねえ、GLAYのCD貸して欲しいんだけど・・・。」と言われたくらいですから。それが何よりも嬉しかったです。

当時から飽きっぽい性格でしたので、正直自分でもいつかGLAYから旅立つ日が来ると思っていましたが、それから14年経っても未だにGLAYが1番です。

成人式で一番聞かれた質問が、「今、何をしているのか?」ではなく「まだGLAYを好きなのか?」には笑ってしまいました。当然「勿論だよ」と答えましたが・・・。

よく「何の曲が1番好き?」と聞かれますが、1番好きな曲なんてその時の自分の心情や季節、状況によってコロコロ変わるものです。まして僕はGLAYの楽曲全て気に入っているわけですから。。
ですが、1番感謝している曲は一つだけです。

当然、GLAYと出会った「グロリアス」しかありませんね。
なのでそういう意味合いを込めて、何が1番好きか?と聞かれたら「グロリアス」と答えています。