一昨日で交通事故に見舞われて1年が経ちました。

早いなぁ。。。
あっと言う間の1年間

これまで、何気にあまり触れてなかった事故の話を、今日は話そうかなと思うよ
日記や当時の事をメモした物があるから、凄く具体的に書けると思う

2017年5月4日お昼(12時09分)
その日はとてもいい天気でした
バイクにまたがり、いつもの交差点で信号待ち、
信号が青に変わり、前の車に続いてバイクを進める…

俺の記憶は、
ここまで…

お昼だったし、割と大きな交差点って事で人(目撃者)もたくさん居たみたい
のちに、警察の人から聞いた話

俺は、交差点の半分くらいまで進入した所で、信号無視をしてきた車に追突され
バイクごと撥ね飛ばされたとの事

俺の乗っていたバイクの車両重量、推定150キロにプラス俺の体重
合計、約200キロが10メートル飛びました

ブレーキ痕とかで分かるらしいんだけど、ノーブレーキで当たったんだって
結構な大通りって事でスピードも、そこそこ出てたようで
その状況でも命があって本当に良かったって
警察の人が話してくれました

ちなみに、俺の意識としては、気付いた時には病院のベッドの上…
それまでずっと眠り続けてたと思ってた

だったんだけど
後日、救急隊の人の話だと、救急車の中で意識が朦朧としながらも
救急隊の人の受け答えをしていたみたい
「名前言えますか?」「どこが痛いですか?」
こんな質問に答えてたとの事

でも、1年経って最近思う事があるんだ
今になって確かに、そんな場面を知ってるような、見たようなって思えてくるの
当時は夢を見ていたと思ってたんだ
「昼間に外で寝る夢」
アレはきっと現実だったんだ

「交差点で途切れた俺の記憶…意識が戻った時には病院だった」
この話は、もう何十人に話した…
でも、実際はこの時も殆ど憶えてないんだ

とりあえず、痛かったって事
そして事故ったって事を病院の誰かが説明してくれた
ってのはボンヤリと憶えてる

会話を出来るくらいまでに目を覚ました時は、どのくらい経ってからだろう
病院の人に家族の人間と話しをしたいと言われ
実家の固定電話の番号を教えた

病院で一番重症な患者が入る部屋にいるようだ
常に看護師さんが近くに居る
ただ、不思議なんだけど、この辺の事はあまり思い出せない
いろんな看護師さんと会話もしてたはずだし
凄く偶然、この日東京に来ていた母親が、ワリとすぐ来てくれたはずなんだけど
憶えてるのは「痛み」と「渇き」のみ

そう、痛い、何処が痛いとかではなく全身が痛い

そして、手術の関係で一切の飲食が出来ない
渇きだ…
お腹は減ってない…、とにかく、渇きが苦痛だ

看護師の人が、口を濯いで良いと、と水を持ってきてくれる
看護師の人が首元?顎?に受け皿を当てくれて
そこに含んだ水を吐き出す

俺は全てを吐き出さず、そっと口の中に水を残した

勿論、一滴程の量
それでも、その時の俺の渇いた喉に少し潤いをくれる

手術が終われば水も飲めるし、ご飯も食べられるようになるからと
看護師さんが励ましてくれてたような…
しかし、その手術がなかなか始まらない

「痛み」「乾き」に続く第三の感情が生まれる

それは「苛立ちだ」

ゴールデンウィーク中で他の病院が機能していない為
全ての急患がこの病院に運ばれてくるらしい
そう、この病院はTVドラマの医療モノとかで出てくるような超大病院

従って、俺より酷い急患が入ってしまえば優先せざるを得ないという事で、なかなか出番が来ない

しかし、今思うと、俺もそんな大病院で一番重症な患者が入る部屋に入ってて
そんな、俺より酷いって思うと…
恐いね。。。

ただ、その時はそんな事考えてる余裕も無く
第一に痛みとの闘い、第二に渇きとの闘い
手術が始まらない事への苛立ちが込み上がる
しかし、どうしようもない…

待ちに待った手術は、事故してから10時間以上経った後だ

手術室までの搬送が、凄く緊張したのを憶えてる

そして、点滴からの全身麻酔
酸素マスク(←こっちが麻酔かと思ってた)

再び目が覚めたのは病室のベッドの上
手術前に入っていた、一番重症患者が入る部屋とは別の部屋のようだ
時間は朝方4時
身体も少し楽になった気もして、そのまま眠りにつく

そう、ここまでが事故した日の出来事

そして、5月5日のお昼にやっと水を飲める許可がおりて
とにかく狂ったように水を飲んだ事
同じく、お昼に初めてご飯が出てきた
1日半~2日間くらい何も食べてなかったけど、食欲は無くご飯には一切手を付けなかった

5月6日(土)
日記には「一番地獄」と書いてある
とりあえず、朝から38.5度の熱が出てたよう
そして、本日2回目の手術なんだけど
1回目同様、なかなか手術の出番が来ない…

体力も落ちきってる所に
身体の痛みと、一切の飲食禁止
そして、高熱がプラスされた中、決まらない手術の開始をひたすら待つ…

手術が決まったのは21時だ

地獄を知ってるか?
と言われたら、俺は迷わずこの日の事を話す
そんな1日

2回目は手術室への道のりも全く緊張せず
そして、麻酔が効かない…?なかなか眠くならない…。

担当の先生が何か準備をしている…
洋楽が流れてる…
聴いた事ある曲な気がするんだけど…
そんな事を考えてたら眠る

日記にもこう記してある


ただ、今でもたまに思うのが
その時、本当に音楽なんて流れていたのだろか
流れていたとしても、流れてなくても、あの曲は何だったのか

そして、今度は1回目の手術と違って手術直後、手術室にて目を覚ます
とてつもなく寒い…
手術の影響だって、先生が言ってた気がする
サウナスーツみたいな物に身をくるまれ暖められる

そして次に連れていかれたのは第三の部屋
ここで初めて、隣に別の患者さんが居る部屋になる
痛い…

5月7日(日)
痛い…痛い…痛い…痛い…
痛みで起きる
足の痛みが辛くて何とかしたいと看護師に相談すると
「気分転換に車椅子に乗ってみる?」
と言われ、挑戦する事に

人生初めての車椅子はまず乗るまでに凄く時間がかかった
でも、今までの寝たきりの状態から、ここで初めて身体を起こし、座るという姿勢になり

嬉しくなる。。。

しかし、この時点では車いすに座ってる事も1時間が限界…

そして、この日のお昼にいよいよ一般病棟に入れる許可がおりる

5月8日(月)
一般病棟1日目、母親が新しい携帯電話を持ってきてくれて
ここからは、皆もある程度知ってる通り
 

 

 

いろいろな人が心配してくれて

いろいろな人に助けられ、支えになってもらって

今があります

 

本当に感謝してます

 

事故から1年、まだ跳んだり走ったり出来なかったり、階段を上るのが凄く大変だったりするんだけど

着実に良くはなってきてます

 

必ず完全復活した姿を届けます