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昭和プロレス

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プロレスラー

ラッシャー木村さんが

亡くなった。68歳。


昭和プロレスの第三の男。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木

と並んでプロレス界を

引っ張ってきた人。


東スポにて各選手がコメントしているので

ラッシャー木村選手というプロレスラーの

男の生きざまを感じてほしいし
知ってください。


「金網の鬼」「マイクの鬼」と呼ばれた。


国際プロレスとしてTBSテレビや東京12チャンネルと契約し
看板レスラーとして金網デスマッチなど身を削るファイトで踏ん張る。

東スポ柴田記者は
その勇姿に言い知れぬ男の哀愁、すべてを背負った男の生きざまを感じた。
とあり、


激闘の対決を繰り広げた
アントニオ猪木は
何日か前に夢に出てきた。不器用な部分もあって、一つのキャラクターで独特の魅力を持っていた。

と。

新日本プロレス・坂口征二相談役は
また一人、昭和プロレスの選手がいなくなった。残念です。人間的にも独特でいろんな人から人望があった。

ノア・永源 遥相談役は
半世紀近くも一緒でしたから、(訃報を)聞いた時は涙が出てきました。
ひと言で言うと、侍だった。痛いかゆいを絶対言わないし、ケガをしてても試合に出ていた方でした。

と、

藤波辰爾選手は
リング上はタフだけど、リングを降りたら怒ってる姿を見たことない。それくらい温厚な人。こういうニュースは非常に残念です。

全日本プロレス和田京平レフリー
馬場さんが親父なら木村さんは弟みたいな感じ。また身内がいなくなってしまった。
木村さんは「みんなに会いたくない」と言ってると小耳に挟んだ。ゴツイ体のレスラーが細くなった体を見せたくなかったのだと思う。  
            プロレス好きな巨人・原辰徳監督。
マイクパフォーマンスの分野を確立させた第一人者ともいえるでしょう。



盟友・アニマル浜口さんも「何度も連絡をとったんですが、最後まで会ってくれませんでした」。

と、

三沢選手のノアの旗揚げメンバーに参加し、その恩を三沢さんは忘れず、引退後も木村選手に年金未納期間があり、このままでは年金が受けとれないため、払い込みが完了するまでノアの社員として雇用することを決めた。

とかスゲー話が

たくさんある。


俺自身も

全日本プロレス時代のマイクパフォーマンスはスゲー印象に残っているし、楽しみだったのを覚えてる。

体が頑丈でカッコいい最前線で身を張った奥深い歴史のある昭和のプロレスラー
ラッシャー木村選手!


心よりご冥福をお祈り致します。