10.ありえない休日


HIKARUの妹だと言えないまま、アッキーとマユの話しを聞いていた。二人は、本人が目の前にいるなんて夢にも思っていないはず。もう言えない。このまま黙っていよう。と思ったその時だった……

「結菜ちゃん。やっぱり上条結菜ちゃんだよね」

それは、知っている声―――最近、お昼休みになると一年の教室に来るあの人……
確か、さっきまでアッキーとマユが話していた会話にも出てきていたような……
結菜は、背中から嫌な汗が流れ出るのを感じながら、後ろを振り返った。

「省吾先輩――」

結菜は、省吾のあまりのタイミングの悪さに唖然としていた。
いつもと変わらない省吾の完璧な笑顔が、今は憎らしく思えてしまう。

「結菜ちゃん、ここで何してるの?」
「せ、先輩こそ……」

結菜は、省吾の質問に答えながらも、二人のことが気になり視線を移した。
二人は驚きのあまり固まり、何かを言いたいのか金魚のように口をパクパクさせている。

-どうしよう

「あ、あの。ごめんなさい。隠すつもりじゃなかったんだけど。言い出せなかったっていうか……その……」

「ひ、HIKARUの妹!?」

マユが大声で叫ぶと、周りにいた人達が一斉にこちらに注目した。

「う……ん」

アッキーとマユは未だ信じられないと言った様子で、大きな目を更に見開いて結菜を見ていた。
どう言ったら二人が納得したくれるのか、頭をフル回転させて考える。しかし、こんな状況で良い案が浮かぶ筈もない。
-兎に角、何か言わなくっちゃ。
気持ちばかりが焦ってしまう。
「あ……あのね」
結菜が言いかけたその時だった。

「HIKARUの妹だってよ」
「えーマジで?どの子?」
「あそこにいるのって、塚原省吾じゃない?」
「ホントだ。ちょっと写真撮ろうよ」

周囲にいた知らない男の子や女の子たちが携帯電話をこちらに向けている。
どうしようと慌てているうちに、騒ぎを聞きつけた人達がどんどんと集まってくる。

-こうなったら……

「省吾先輩、逃げるよ!」

結菜は省吾の手首を掴み、そのまま人垣をかき分け、全速力で走った。




***

「ねえ。結菜ちゃん。どこまで行くの?」

ここまで来れば大丈夫だろう。
こんなに走ったのは久しぶりだ。結菜は、息が上がり大きく上下する身体を、公園の芝生の上に転がした。省吾も同じように芝生の上で大の字になっている。
暫く呼吸を整えてから、省吾が口を開いた。

「さっきの子たちって、結菜ちゃんの友達?放ってきて良かったの?」

友達……今日知り合ったばかりだけど、憎めない良い人たちだった。
結菜にとって、『HIKARUの妹』としてじゃなく、一人の女の子として気軽に話しが出来たのは、綾以外に初めてだったかもしれない。
でも、きっと二人は怒っているだろう。

「いいの。もう会うこともないと思う」
「そう……」

省吾は深くは追求してこない。そういうところは、やっぱり二つも年上だと感じる。

「僕が結菜ちゃんに声を掛けたからだね。やっぱり失敗だったか……結菜ちゃんを見つけてから10分ぐらい、どう声を掛けようか悩んだのに」

10分悩んであのタイミング??――ありえない。この人って……

「ちょ、結菜ちゃん泣いてる?」

省吾は、小刻みに揺れる結菜の身体を見て慌てている。

「はははははっ。省吾先輩って省吾先輩って……」

-おもしろい。

「えー笑ってたの?本気で心配したのに」


この人も良い人なんだと思う。優しいし、素直だし、モテて当然かもしれない。
結菜は一頻り笑うと、雲がゆっくりと流れている青空を眺めた。
まだ四月の終わりだというのに、日差しがやけに暑い。時々吹く風は、そんな火照った身体をひんやりと冷ましてくれる。

「先輩って二人兄弟?」
「そうだよ。純平と二人」
「ふ~ん。純平くんとケンカとかしないの?」
結菜は、芝生に寝そべったままで顔だけ省吾に向ける。省吾は上を向いたままで、風が心地良かったのか目を閉じていた。
「ケンカか……僕は争いごとが苦手だから、いつも純平に譲ってた。何もかも。でも、それがいけなかったのかな……中学の時に純平のやつ、ああ見えてもグレてた時期があってね。その時の口癖が『俺なんか……』だよ。今じゃ信じられないけど」
閉じていた目が開けられ、結菜と目が合った。
クスッと笑っているけど、いつもとは違う寂しそうな顔……

「でも、どうして。先輩は悪くないよ」
「親がね……そんな僕を褒めるんだ。僕が褒められる度に、純平は寂しかったんじゃないかな。自分も見てほしい、褒めてほしい……って」
あの、いつも明るい純平くんが――
「みんな、いろいろあるんだね」
「結菜ちゃんは、お兄さんとはケンカしないの?」
「うちは――ケンカというか、私が一方的に言ちゃうの」
「結菜ちゃんが?」
「うん。最近私って変なんだ。自分の考えていることが分からないの。構わないでほしいって思っているのに、いざそうされたら、どうして私のこと放っておくの?って思ったり……おかしいでしょ?きっと我が儘なのよね」
言っていて涙が出そうになる。
「違うよ。我が儘なんかじゃないよ。結菜ちゃんも純平と一緒で寂しいんだよ。自分の気持ちが分からないのは誰だってあることだし、おかしくなんかないよ」
-寂しい?
このもやもやとした気持ちは寂しさから来るものだったの?
「それにもう一つ。結菜ちゃんって今まで反抗期ってなかったでしょ?」
「反抗期?」
「そう。無性にイライラしたり、そのイライラを他人にぶつけたり、そういうことを今まで一度もしてないんじゃない?」
「そうかも……」
広海に引き取られてからも、こんなことは一度もなかった気がする。
両親が亡くなり、ヒカルと一緒に、少しずつ少しずつ時間をかけて沈んだ心を前向きにと頑張ってきたつもりだ。その時間の中には反抗という文字は存在しなかった。

「だから。大丈夫だよ。きっとお兄さんも分かってくれてるよ」

-『大丈夫だよ』
-この人はやっぱり純平くんのお兄さんだ。

いつもの完璧な笑顔を見ながら、結菜は不思議と気持ちが落ち着くのを感じた。



「喉乾かない?ジュース買ってくるから待ってて」
また、しばらくの間、お互いなにも話さず芝生の上に寝ころんだまま空を眺めていた。不意に、省吾は起きあがるとそう言い、背中に付いた芝を手で払うとジュースを買うために歩き出した。
「あっ先輩……」
結菜が引き留めると、省吾は「なに?」と振り返った。

今、どうしても言っておきたい―――

「先輩、ありがとう」

結菜は起きあがると笑顔で素直にそう言った。

「やだな。ジュースでそんな顔しないでよ」

……そういう意味じゃないんだけど。まっいいか。

省吾の背中が見えなくなるまで見送ると、結菜はまた芝生の上に寝ころんだ。
-良かった。今日先輩と話が出来て。
あの時、自分の名前を呼ばれたのには寿命が縮まる思いをしたが、考えれば始めから妹だと言わなかった自分がいけないのだ。一緒に走らせてしまって、悪いことをした。

そんなことを思い、心地良い風を感じながら目を閉じた。
公園の中には、少し離れたところに遊具もあり、遊んでいる小さな子供の声が聞こえる。結菜のいる芝生にも、バトミントンをしたり、フリスビーをしたりと、休日を楽しんでいる家族の声が聞こえていた。
-みんな幸せそう。
その一人一人の幸せが伝染したかのように、結菜も暖かい気持ちになっていった。

-それにしても、先輩遅いな。
ジュースだけなら、公園の中にも自動販売機がある。こんなに時間はかからない。もしかすると、そのまま帰ってしまったのか?まさか、先輩に限ってそんなことはないだろう……まさか、事故?

結菜は、勢いよく起きあがると、省吾の背中が消えていった方向を見た。

すると、同じ場所から一人男の人がこちらに向かって歩いてくる。
良かった。帰ってきた。と胸を撫で下ろしていると、それは省吾ではなく――蓮だった。
-えっ?どうして?
徐々に近づいてくる蓮を見つめていると、向こうも結菜に気づき目が合う。そして、結菜の前をそのまま通過していく。

「蓮くん!」

思わず声をかけてしまった。
なんだと言わんばかりのその怒ったような表情に一瞬身を引いたが、結菜はいつものことだと開き直る。
「あの。向こうの方で、省吾先輩を見なかった?」
「…………」
相変わらず、蓮は無口だ。
「見なかったなら、いいんだけど……」
蓮とのこの重苦しい沈黙はあまり耐えられない。
「いや。見なかったけど」
「そう……ごめん。呼び止めて」
「…………」

蓮がまた歩き出そうとしたその時、蓮が来た方向からまた一人の男の人が来るのが見えた。遠くからでも省吾ではないことが分かった。その男の人は黒いスーツに身を包み、頭はスキンヘッドでサングラスをかけていた。どう見ても、素人ではなさそうだ。

目の前にいる蓮もその姿を見ている。結菜はあまりジロジロ見てはいけないと思い、視線を逸らした。一方の蓮は男の方を向いたまま微動だにしない。なにか嫌な予感がした。

「もう一度考え直して下さい」

通り過ぎるとばかり思っていた男が蓮の前に来ると、その風貌からは想像出来ないような優しい声で言葉を発した。

「蓮くん……知ってる人?」
まさか、この人――
結菜は純平が言っていたことを思い出した。
-『組長に気に入られ、中学生にして、その道へ足を踏み入れた……』
まさかこの人が組長ではないだろうか。『もう一度考え直して下さい』とは、なかなか組に入らない蓮くんを勧誘するために付きまとっているとか?組長にしては若いかな?いや組員かもしれない……

結菜の頭の中で妄想が膨らんでいく。

「しつこいよ。おっさん」
「いえ。承諾してくれるまで、引き下がれません」
「だから、嫌だって言ってるだろ?俺、ぜってー無理!」

-やっぱりそうだ。間違いない。
結菜は確信する。
この人は蓮を組に引き込もうとしている。

「ちょっと!あなた!蓮くんは嫌だって言っているの!それに、まだ高校生なのよ?それを分かってる?」

こんなことを言ったからといって引き下がってくれるとは思わないけど……

「こちらのお嬢さんは?」
「関係な……」
蓮が言いかけて止めると、結菜の顔をジッと見てきた。
「関係ないことはないでしょう。こちらの事情が分かっていらしゃるようで」

-な、なに?
未だに見つめられる蓮の視線に耐えきれなくなり、視線を外す。

「こいつには、全部言ってある。こいつは、俺の彼女だから……そういう訳で、その話はなかったと言うことで」

蓮はそう言うと、此れ見よがしに男の前で結菜の肩を抱き、髪にキスを落とした。

-何?なんなのこれは?
あまりにありえない展開に脳がついて行けない。

「動かないで……」

蓮の囁くような甘い声が自分のすぐ耳元で聞こえた。