第四章 導き
真夏の夜の夢が始まった。
今日で最後の三日目だ。
どうやら、今夜も晴れるらしい。よかった。やっぱり今年も雨は降らなかった。
私はリビングの窓から夏の青空を眺めている。冷えたハーブティーがお供だ。午後からのカウンセリングは入っていない。ゆっくりと本でも読もうか。
リリリリ、リリリリ…。
内線だ。
「先生、突然まりもさんがいらっしゃって。泣いてるんです。どうしましょう。」
「泣いてる?そう、すぐに行くからカウンセリングルームにお通しして、『少彦の命』を淹れてあげて。」
突然やってくるなんて、まりもさんらしくない。なにがあったんだろう。本を読むのはまた今度にしよう。よかった、予定が入っていなくて。
私はお気に入りのレモンイエローのワンピースに着替え、下へ降りた。
カウンセリングルームには、グレーの地味な服を着たまりもさんが、うなだれて座っていた。化粧もほとんどしていないようだ。
「まりもさん、もう大丈夫ですよ。ここは宇宙のゆりかごです。安心して、さあこれを飲んでくださいね。」
テーブルに置かれた『少彦の命』を手渡した。癒し効果のあるハーブをブレンドしたものだ。
まりもさんはゆっくり一口飲んだだけで、カップを置いてまた泣き始めた。
私は様子を見守りながら、まりもさんが泣き止むのを待った。
「先生…、私こわいんです。怖くて、怖くて…、いてもたってもいられなくて…。ごめんなさい、突然に…。」
「大丈夫ですよ。今日はカウンセリングの予定が入っていませんから。ゆっくりお話が聞けます。」
ティッシュペーパーの箱をまりもさんの横に置いて話しかけた。
「どうぞ、好きなだけ泣いていいんですよ。まりもさんは今まで我慢しすぎてしまったんです。」
「私…、怖いの。どうしたらいいかわからないほど…。」
「そうですか。怖いんですね。なにがそんなに怖いんでしょう。」
「分からない…。わからないんです。蛍祭りが始まったら、急に胸のなかがざわざわして…。何も手につかなくなって…。なんだか、亡くなった主人が呼んでいるような気がするんです…。」
蛍祭り…。亡くなったご主人か…。
もしかしたら、霊現象かもしれない。エデンスペシャルを使えば、なんとかなるかも。でも、それにはまりもさんの強い意志が必要だ。
「まりもさん。自分の恐怖をみつめる勇気はありますか?」
「恐怖をみつめる?」
「そうです。なぜ怖いのか、その原因を自分で探すんです。」
まりもさんは、じっと私をみつめて考えているようだ。もう一度カップをとってお茶を飲む。
「原因が私に探せるかしら?」
「できますよ。やろうとさえ思えば。」
今度は視線をカップにむけて、残ったお茶をごくごくと飲み干した。そして、小さなため息を一つ。
「やってみます。先生、助けてくださる?」
「もちろんです。それじゃ、こちらの長椅子に座ってください。」
まりもさんにエデンスペシャルを試してみよう。彼女を苦しめている恐怖の原因がわかるかもしれない。
私は内線で好ちゃんにエデンスペシャルを頼んだ。
「今から特別なお茶をご用意します。それを飲むととても気持ちが良くなって、体がなくなったような気がします。でも、安心してください。私がずっとそばにいますし、声で語りかけますから。まりもさんは私の言うことを聞いて、見えたものを声に出して説明してください。怖くはありません。私がそばにいます。」
「わかりました。先生の言うとおりにやってみます。」
好ちゃんがエデンスペシャルを持って入って来た。私はにっこり笑って、頷いて見せた。好ちゃんがまりもさんを気遣っているのが分かったからだ。
「さ、ではこれを飲んでください。特別に作ったハーブティーです。このお茶がまりもさんに必要な映像を見せてくれるんです。」
まりもさんがお茶をゆっくりと飲み干すのを見届けて、私は誘導を始めた。
「目を閉じてリラックスしましょう。体を椅子にあずけて…。ゆっくり息を吸って、そしてゆっくり吐きましょう。心がどんどん自由になっていきます…。」
まりもさんの波動が変化してきた。せかせかと動いていた粒子が、ゆったりと舞うようなリズムに変わって来たのだ。だんだんと、輝きも甦ってきた。
「あなたの心はどんどん自由になって、自由に自由に飛び始めます。どんどん、空へ空へと昇って行く…。そして、雲をつきぬけ、上へ上へと昇って…、いつしか心は宇宙まで飛んで来ました。」
まりもさんはゆったりと深い呼吸をしている。大丈夫、宇宙へ到着したようだ。
「ここは、宇宙のゆりかご…。平安とやすらぎと、温かさのある場所…。安心して…。今、目の前にあなたの知っている人が現れます…。」
「……お父さん…。」
「お父さん。」私はまりもさんの言葉を繰り返す。
「ええ、お父さん…、主人です。亡くなった主人…。」
「ご主人が現れた…。」
「主人…、怒ってるの…。とっても怒ってる。」
呼吸が乱れてきた。
「大丈夫です。ご主人の幻が見えているだけ、ご主人はなにもできません。安心して…。ご主人はなぜ怒っているのか分かりますか?」
「私が…子供たちを…きちんと育てられなかったから…。子供たちはみんな私たちを置いて出て行ってしまったから…。主人はそれを怒っている…。」
「そうですか。今、そこにいるのはご主人の幻です。この幻になにか言いたいことはありますか?」
「私…、私も一生懸命…、子供たちを育てました。でも、あの子達にはあの子たちの人生が…あるんです…。もう、私を責めないでください…。」
声がふるえている。全身の勇気をふりしぼって、本当の気持ちを伝えているのだ。
「そうですね、あなたはよく頑張ってきました。偉かったですね。ご主人もわかっています。もう、ご自分を責めなくてもいいんですよ。」
優しく、ささやくように語りかけた。
「ご主人が、あなたを責め続ける理由がわかりますか?」
「どうして…、どうして…。」
まりもさんは口の中で呪文をとなえるように繰り返している。大丈夫、エデンスペシャルが力を与えてくれる。
「あの人…、本当は自分に怒っているんです…。自分が許せない…。校長までやったのに。自分の子供たちが、親を捨ててくなんて…。自分はいったい何をやってたんだって…。」
「そう、ご主人はご自分を責めているんですね。その思いが死んでしまった今も、まだ消えずに残っているのです。これから、私が言うことをそのままご主人に伝えてください。」
まりもさんが、ゆっくりと頷いた。
「あなたは自分を責め続けてきた…。長い間…。でも、もう自分を許していいんです。あなたがお子さんを愛する気持ち、それが深ければ深いほど自分が許せなかった…。神様はあなたの美しい心を知っています。さあ、自分を許し神のもとへ帰りなさい。」