いし大モリ | 石見銀山のそばにて

いし大モリ

おおだまるごと みちくさ日和のプログラムの一つ「いし大モリ」に参加しました。


土曜日は、もったいないくらいの晴天音譜


代官所からスタートし


代官所前広場の「西南の役の記念碑」へ


石見銀山のそばにて

いつも存在感のあるこの碑。明治20年の建立です。

下は自然石。上の部分は大屋石(大田市)と聞いています。

島根県には西南の役の記念碑はもう一か所松江城の敷地の中のあります。

でもこんなに大きくはないそうです。

立派な字は当時の県令(県知事)「籠手田安定氏」のものです。

明治時代、この大森が行政の中心であった証ですね。


城上神社の手水舎です。

この手水の裏側には、皇紀2600年記念と刻んであります。

という事は、戦前に寄進されたものですね。

花崗岩だからでしょうか? 今でもとっても綺麗ですビックリマーク
石見銀山のそばにて

城上神社の石垣です。

修復されたのでしょうね。ある位置から積み方がまったく変わっています。

どのように積みなおしたのでしょうか? 不思議ですはてなマーク
石見銀山のそばにて


すこし町並みへ進んで、永泉寺の砂防堰堤です。

平成3年に造られたものです。

本来は、コンクリートで工事をしてしまってもいいものですが

ここが、「重要伝統的建造物群保存地区」であることに配慮して

無茶苦茶こっています。

下の川まできちんとした石積みですよ。


石見銀山のそばにて


最後はやはり「石」 といえば羅漢寺。ということで羅漢寺へ

反り橋はやはりいつ見ても綺麗です。


石見銀山のそばにて


という事で、今回のプログラムは終了。他にもたくさんの場所を回りました。

普段、見過ごしてしまいがちな「石」たちにゆっくり目を向け、耳を傾けました。


日本が大陸から完全に離れて現在の形になったのは、約7000年前

このあたりの火山群が100万年~150万年前に活動していることを考えると

いったいこの石はいつの時代にできたんだろうか?

北前船で運ばれてきたのか?

とか考えるとなんだかすごい事ですね。



 今日はスタッフYでした。