関西電力は昨年から中島みゆきの名曲である『糸』黒部ダムの映像に重ねて使っていたらしい。今年の映像には美浜原発が使われているという。原子力関係者は著名文化人を取り込み、国民を洗脳して原発に漬け込む工作をしていたが、。中島みゆきは内面の痛みを感じているのか、自らの不用意を後悔しているかもしれない。関西電力ではこれまでも阪神淡路大震災からの復興をテーマに、チューリップの「青春の影」(希望の光編)、アンジェラアキさんの「手紙」(15歳の君へ編)があったと言う。

この「糸」の詞に関して、「「仕合わせ」「幸せ」に日本語の妙を感じる人もいる。「仕合わせ」とは辞書では「運命の巡り合わせ」という意味があり、「幸せ」の言葉を上手に「繋いでいる」と感じ取ったらしい。数十年前の歌詞には、縦の糸と横の糸に、様々な思いを巡らせる一つの言霊があった。

■中島みゆき 「糸」

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私織りなす布は 

いつか誰かを  暖めうるかもしれない
なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささく
こんな糸が なんになるの 心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中
縦の糸はあなた 横の糸は私  

織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私  

逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます


 そして、今なお国民に不安感を抱かせる「フクシマ」、IAEAや国内原子力村の思いを複雑に交差させながら蠢いている。その中で反原発・脱原発の動きも翻弄されている。1997年加藤登紀子は「原発ジプシー」を発表している。この年にはWWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)評議員に就任、2000年にかけて、「さよなら私の愛した20世紀たち」と銘打った10枚シリーズのアルバムを次々と発表している。さらに、NEP(国連環境計画)親善大使に任命された。

■『原発ジプシー』 作詞:加藤登紀子

見えない光 体に受けて 赤いブザーの鳴り響くまで 闇の世界で仮面を着けて
旅するサイレンス さまようサイレンス

名前は知らない、その日限りの 体に刻む傷を数えて ガラスの壁に地獄を覗く
震えるサイレンス  聞こえるサイレンス 

海辺の街の小さな宿に 仕事求めて流れ着いたよ うまい話しかそれとも命取り
見えないサイレンス ざわめくサイレンス

夕日は赤く海は輝き 久遠の波寄せる浜辺に 巨大な影は悪魔の贈り物
旅するサイレンス さまようサイレンス


発売当時、放送禁止扱いされていた、歌手・加藤登紀子による”反原発ソング”である。原発作業従事者、所謂”原発ジプシー”の大量被曝の実態が見えてくる。原発事故直後に斎藤和義の”反原発ソング”『ずっとウソだった』が話題となったが、さすが”活動家”加藤登紀子である。ただ、中島みゆきと比較するのは可哀そうである。後残るは沈黙する小田和正の動向である。

昨年1月12日、グーグルはオフィシャルサイトで、中国のgoogle.cnの検索内容に対する検閲に耐えられず、中国語グーグルは完全撤退する、と公表した。このとき、グーグルはすぐには撤退せず、水面下で長い交渉を展開していた。そして3月23日、無名の人々が次々とグーグルの北京本社にやってきた。大きなグーグルの標識を取り囲み、花や記念品を置いていく。メッセージカードには「Thx 谷歌for Freedom of info」(情報の自由をもたらしたグーグルに感謝する)「純なあなた方に敬意を表する」「グーグルはりっぱだ」と書いてある。ガーベラについていたカードにはこう書いてあったという。「花は捨てることができるが、春の到来は止められない」

■これを書いた学生は「このことばはぼくのことばではない。プラハの春を推進したアレクサンデル・ドプチェクが『希望は死なず』で言っていたものだ。現状が困難であることはみんな知っている。しかし趨勢は変えられない。そうだろう? ただ(自由の)代償が小さいことを願うだけだ」

彼は以前はこうしたことに注意をしていなかったが、ごく自然に使う習慣から、グーグルか百度かの選択でグーグルを選んだ。だが、この数年「壁」の存在をひしひし感じたという。

「検索がなぜか何度もできないことがあった。敏感ワードはないと感じたり、あると感じたりすることがあり、こういうことに気づくようになった。それでグーグルに花を捧げに来ることになった」中国のネットユーザーは言う。

「国は変わらないが、歌はもうあの歌ではなくなった」(グーグルの中国語名が「谷歌」である)。