彼がいなくなって17年。。。
時が経つのは早いなあ。今日は尾崎豊の命日。


彼がいなくなった4月25日、私は翌日の春の天皇賞
世紀の対決トウカイテイオーvsメジロマックィーンの
ことで頭がいっぱいでした(^^ゞ。
出かけ先から帰る駅で、東スポの見出しに、”尾崎”文字。
気になって買ったら、死亡のニュース・・・。
かなりショッキングなニュースだった。


彼を初めて知ったのは、『卒業』を聞いて衝撃を受けたとき
からである。当時、菊池桃子、斉藤由貴、倉沢淳美も
同タイトルをリリースしており、4人が『卒業』という
タイトルをリリースするという珍しい現象になっていました。

尾崎の『卒業』を聞いて以来、彼の詞の世界に感動、
共感してしまいました。
当時ちょうどレコードからCDへの転換期で、
初めて買ったCDは、尾崎豊の『回帰線』でした。
『十七歳の地図』、『壊れた扉から』と
CDを買い、いつしか彼のライブに行きたいという気持ちが
高まっていました。

そんなとき、彼が1986年1月1日の福岡国際センター
でのライブを行ったあと、無期限活動停止宣言をする
ということ聞き、当時サッカー部だった私は、
なぜか野球部の友達5人と一緒にライブ観に
福岡国際センター行きました。

これが、人生初めてのライブでした。


ライブは大変盛り上がり、友達仲間でサックスを弾く
真似したり、すごく楽しかった思い出があります。

そのライブ以降彼は、N.Yに単身で住み込み。一年以上
彼の歌を聴くことはありませんでした。
そんな空白の一年を埋めてくれたのが、相沢友子さんでした。
たまたま雑誌で彼女の存在を知り、彼女のCDを買って聞く
とまさしく、女性版尾崎豊の詞の世界でした。
そのときの感動も忘れられません。


彼は、N.Yから帰ってきたあと、福田社長が設立した
『Mother&Children』に所属することになる。
そのレーベルには、HoundDog,The Street Sliders,
Red Warriesなど草々たるメンバーが所属していました。
ちなみに、元尾崎のマネージャー空田満(路上のルールのPV
に出ています)がマネージしていた私が大好きな
THE HEARTも所属していました。
ちなみに、THE HEARTのVo&Gの井口一彦くんがライブで
使っていたオべーションのギターは服役中だった尾崎豊の所有のもの
であった。ちなみに、尾崎復帰後、返せ!といわれ、
尾崎の元に戻っています(笑)。


尾崎が逮捕から復帰後、東海ラジオで出演するということを聞き、
電波の悪い中深夜チューニングを合わせて聞いた覚え
があります。そのとき、『街路樹』が流れ、聞きながら
その歌詞を書き留めてました。

ただ、その復帰あとの彼は変わってしまった。
私は追い求めていた彼ではなかった。
アルバム『街路樹』のあと、私は彼の歌を聴くことは少なくなった。

それから4年経ち、彼の訃報を知るとは思いよらなかった。
そんな17年前の4月25日でした。


尾崎豊が亡くなったあと、渡辺美里さんが自身のFM番組で、
彼の思い出話をしてくれました。

美里さんが、ある日吉川晃司さんから飲み誘われて、仕事場から遅れて
待ち合わせのバーに行って、中に入ると、カウンターには、
吉川晃司、尾崎豊、岡村靖幸の3人が座って
仲良く話ながら、一緒に飲んでいたそうです。
それを見た美里さんは、やっぱり仲良し3人組だなあと
思ったそうです。それから、4人で夜明けまで飲んだという
エピソードを話してくれました。

そのあと、尾崎のためにこの曲を。と言って流してくれたのが、



『Lovin' You』/渡辺美里


僕の中のロックンロール
口ずさむメロディ
帰り道はいつも華やいで
尖った心癒してくれる君に出会うため
生まれてきたんだと思うのさ


この曲を聴きながら、あのときは、泣いたなあ。。。