願兼於業と日本人 | ギッコンガッタン 

ギッコンガッタン 

日々、気の趣くままに綴る雑記帳

 この記事を読んでちゃんとした歴史教育さえあればと言う思いを強くしました。なんとか自虐教育を廃してちゃんとした教育さえあれば日本人はもっと誇りを持ち強く世界をいい方に変えられる国になるのではと思えてきましたね。ソースは"ねづきちの ひとりごと"からです。URLは下の通りです。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1552.html


≪転載開始≫

願兼於業と日本人



表題の「願兼於業」は、「がんけんおごう」と読みます。
もともとは天台宗の思想なのだそうです。

最近、10代後半から20代前半の若者と話をする機会がありました。彼らはアルバイトの学生さんや、求職中の若者達です。真面目で優秀な若者たちで、バイトの仕事ぶりも、まさに君たちは日本人だ、といいたくなるほど、きちんとこなします。ところが、です。どこか虚無的で、排他的です。なぜだろう、と思いました。そこで彼たちに、歴史の話を振ってみたのです。


彼らが異口同音に語ってくれたのは、
「昔の日本人は悪いことをやった。朝鮮半島や支那、東南アジアの国々を侵略して酷いめにあわせたではないか。悪逆非道の数々を尽くして来たではないか。自分たちは、そういう過去を持った国に生まれてきた」ということでした。

「それは違うよ、日本の軍人は誇り高い皇軍兵士だったのだ、非道はただの一件もしていないんだ」と話しました。
けれど、なかの一人がこう言いました。
「軍人さんはたくさんいたのだから、大勢の中にはそういう酷いことをする人が、いても不思議はないんじゃないですか?」

たくさんいても、誰一人、悪事ははたらかなかった。
そんな奇跡のような軍隊が、まさに日本の軍隊であり、皇軍兵士だったのです。

「じゃあ、君ならするかね?」と聞きました。
おどろきました。
彼らの中のひとりが、「上から強制されたなら、します」と答えたのです。
どうみても、できそうにない(笑)若者です。
おそらくは、「さもありなん」という思い込み、刷り込みが、彼にそう答えさせたのでしょう。
今更ながら、教育の恐ろしさを痛感させられた次第です。

こうした思い込みが、今の日本の若者全部に共通するものとは言いません。
たまたま私が接した若者に、そういう思い込みがあったというだけのことかもしれない。

けれど私が感じたのは、勉強が出来る出来ないは別として、学校教育の場やメディアを通じて、戦争を「絶対悪」と決めつけ、「日本の軍人は過去に悪いことをしてきたのだ」という刷り込みを幼いころから与え続けた。
そのひとつの「成果体」がここにある、ということです。

一方、日本の家庭はかつての三世代、四世代が同居する大家族主義から、戦後は親子だけの核家族化が促進されました。
私などがまだ幼かった頃の昭和30年代頃は、まだ日本中、そこここで大家族があたりまえにあったものです。
教師も、戦前からの教師がたくさん、まだ現役で残っていました。

ですから、左巻きに染まったようなおかしな教師が、おかしな屁理屈を生徒たちに教えても、家に帰れば、おじいちゃんやおばあちゃんから、「そんなことはないよ。事実はこうだったんだよ」と教えてもらえた。
これは、左翼洗脳しようと企む者たちには都合が悪かったろうと思います。
日本の子供達を洗脳しようとしても、大家族という家庭が、ある意味「防壁」になっていたからです。

ところが高度成長の時代に、核家族が奨励されました。
理由なんてありません。
それがかっこいいことと宣伝されたし、そりゃあ親や祖父母の束縛のない家庭の方が、気楽でいい。

いつの間にか建築基準法も変わり、土地は30坪、上物25坪が標準的持ち家単位ともされました。
住居対策と称して、かつての人情味豊かな長屋は、団地と名前を変え、コンクリートの高層住宅に変わりました。

家庭は、親子だけとなり、夫婦共稼ぎによって鍵っ子(なつかしい言葉です)があたりまえになり、祖父母との対話どころか、親子の対話さえもなくなっていきました。

もしかすると、マッチ箱といわれた小型住宅の推進や、ミニ住宅開発そのものが、日本解体のトラップのひとつだったのかもしれません。

結局、家庭が核家族化し、夫婦共稼ぎで一家団欒さえも失った日本人は、家庭内の親子の対話さえも失い、子供達の教育は、もっぱら学校教師だけに付託されることになったのです。
そしてその学校教師が左傾化し、過去の日本を悪だと決めつけ、子供達に日本悪玉説を刷り込みました。

これに対抗する家庭という環境を失った日本の子供達は、いつのまにか、そうした左傾化した教師によって、「過去の日本は悪い国」という誤まった認識を「常識として刷り込まれ」ていったのです。
そしてそう刷り込まれて育った若者達が、今度は教師となって、次の世代の子供達を教えている。
考えてみると、おそろしいことです。

その結果がどうなるか。
若者達は、青年期の一番大切な時期に、本来なら胸を張って誇れる歴史を持った日本を、頭ごなしに「悪い国」と決めつけ、誇りどころか「自分たちは犯罪者の子供達なのだ」と思い込まされて、世に送り出されています。

先日、アイデンティティ(identity)について書きました。

アイデンティティとは「自分は何者なのかを知ること」です。
誇りある伝統と文化を知った若者、つまり自らのアイデンティティを確立した子供達は、自らをその誇れる大いなる存在に同化させようとします。
その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、「公」を大切にし、社会や国家に対して健康な忠義心を持つようになる。
こうしてできあがった社会は、きわめて健全性の高い社会となり、高邁な精神文化を持った国家を形成することができるのです。

このアイデンティティを説いたのは、米国のドイツ系心理学者のエリクソンです。
彼は同時にこうも説いてます。

~~~~~~~~
青年期にアイデンティティが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、時に熱狂的なイデオロギー(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。
~~~~~~~~

では、自分たちは「犯罪者の子孫である」と、歪んだアイデンティティを刷り込まれた子供達はどうなるのでしょうか。

ひとつ言えるのは、本来、人生経験の豊富な年寄りや先輩、上司たちの権威の失墜です。
なにせ、その年寄りや先輩、上司たちは、殺人鬼であり、強姦魔なのですから。

そして多くの子供達は、過去から目を背けようとします。
「見ないようにする」のです。

過去を見ず、未来も見ない。
あるのは、目の前の一瞬の享楽だけ。

国家の建設や、地域の再生、あるいは経済振興といった大義や公に身を捧げようなどとという意識など、決して芽生えません。
なぜなら、「考える」ということをすれば、またぞろ「侵略した」「殺人した」「強姦した」という暗い事実と面と向かわなくちゃならないからです。
純真で素直で、心のきれいな若者であればあるほど、そうしたことに耐えられない。

もっともなかには、気の強い子もいます。
そういう子はどうなるか。
ひらきなおります。
「自分たちが悪人の子だって?ざけんじゃねーよ! んなの、やってらんねーよ」というわけです。

人は、教育によって歪んだアイデンティティを植え付けられると、個体差によって、2つの極端な方向に別れると言われています。

ひとつは虚無的、排他的になり他を受け入れないという現実逃避に走る。
もうひとつは受けた教育を全否定し、極端な反社会的行動に走り、周囲のあらゆるものに対して攻撃的になる。

どちらも、決して健康なものとはいえません。
むしろ、異常です。

しかもその異常は、意図的に歪められた歴史観によって、育成されているのです。

インパールで、ガダルカナルで、多くの日本兵が飢えて死にました。
餓死したのです。

これがもし、支那兵兵だったら、餓死はありえません。
なぜなら、彼らは腹が減れば、死んだ仲間の人肉を食うからです。
秦の始皇帝や三国志に出て来る数十万の軍団は、通る道の村々の農作物や家畜、果ては人肉までむさぼり食う、悪鬼の集団だったのです。

ところが日本兵は、銃を持って武装していたにも関わらず、誰一人、現地の村人を襲おうとしなかったし、農作物も盗まなかった。まして人肉など食べなかった。
だから、飢えて死んだのです。

なぜ食べなかったのか。
答えは簡単です。
そういう文化は日本になかったし、ひとりひとりが「我は皇軍兵士なり」という強い信念と自覚に支えられていたからです。
だからこそ、いまでも現地の人々は、日本人をとても誇りに思い、尊敬してくれている。
それが事実なのです。
だから死んだのです。

欧米の植民地支配を脱し、東亜諸国の平和と繁栄を希求した日本軍の兵士たちは、常に味方に十倍する敵の軍隊と戦い続けました。
誇りを胸に。
栄光を胸に。

私達日本人は、そのおかげで、いまでも日本語を話し、日本人としての名前をいただき、平和な日本で生活することができています。
繰り返し申し上げていることですが、戦後日本の70年近い戦争をしない平和な時代は、日本に憲法9条があったから、実現できた平和ではありません。

なぜそう言い切れるか。
これも答えは簡単です。
戦争は相手があるからです。
こちらが戦争をする気がなくても、相手国が攻めて来たら、殺されるか戦争になるかの選択しかない。
それが現実です。
片方が戦争を放棄したからといって、戦争がおこらないなんてことにはならないのです。

にもかかわらず、日本に戦争がなかった。
なぜか。
これも答えは簡単です。
かつての日本が、あまりにも強かったからです。
その恐怖の前に、「寝た子を起こすな」という精神がはたらき、日本は戦争しないで済んだ。
つまり、戦後70年の日本の平和は、他の誰でもない。勇敢に戦い、散って行かれた英霊たちのおかげで、いまの日本の平和がある。

そしてその日本ただ一国の勇敢な戦いで、東亜諸国は植民地支配を脱し、国家としての独立を手にし、世界から人種差別がなくなった。

これはものすごいことです。
そのものすごいことを、私達の父祖は、現実にやってきたのです。
その父祖たちが築いた日本に「誇りが持てない?」
そんな馬鹿な話はありません。

私は、すくなくとも、いまの若者達の現実を招いた教育やメディアの責任は、果てしなく重いと思います。
まさに万死に値する。
同時に、そういう戦後思想というか、歪んだ教育を放置し、容認してきた私達自身の責任も、たいへん重いと思うのです。

繰り返しますが、日本人のDNAを持った彼らは、もちろん仕事は誠実にこなします。
約束も守る。
時間も守る。
キチンとした仕事をしようとします。

けれど、過去の日本は醜い国家であったと刷り込まれた彼らは、ひたすら過去から目を背け、いまの瞬間だけを、ただ誠実に生きることしか残されていない。

あるいは、アイデンティティを失った若者にとって、「覚醒した、目覚めた」といっても、それはもしかすると異常行動の発露としての、もっと言えば、いわばカルトの代替物としての保守思想に走っているだけかもしれない。

このブログでも、支那や南北朝鮮、あるいは在日外国人が行なった、あるいはいま現に行なっている数々の非道の数々を書いています。
それらは事実であり、史実だからです。

けれど気をつけたいのは、だからといって、支那人、朝鮮人の全部が全部、異常者ではない。

北朝鮮のことはよくわかりませんが、すくなくとも韓国においては、韓国保守派と呼ばれる、真実に目を向ける、まっとうな人々がいます。
彼らは、過去の朝鮮半島を美化するようなことはしません。
李氏朝鮮時代の事実と正面から向き合いながら、あるいは日本統治時代の真実に目を向けながら、韓国が真に独立国となり、独立自尊を得るためには、韓国人自体が、世界に受け入れられる「まっとうな民族」に成長していかなければならないと主張しているし、日韓関係についても、真の友好を希求しています。
決して火病に陥ることはないし、むしろ勇気を持って過去と向き合い、未来を建設しようとしている。

支那にしても、私は中共政府というものは、決して許すべきものではない。
けれど、支那にも、過去と現在の異常な国柄を憂い、誇りある支那の伝統や文化を尊重し、まともな政治の実現に向けて努力しようという人々が、いまやネットなどを通じて数多くの情報発信をするようになってきています。
世の中、馬鹿者ばかりではないのです。

ただ、日本にしても、支那にしても韓国にしても、あるいは在日コリアンにしても、いずれの場合も気をつけなければならないのは、アイデンティティに歪みを生じている場合、それらの行動は、否定や過激にしか走らない、ということです。
そこに、未来への建設は、ないのです。

たとえば、在日朝鮮人について、彼らがきわめて多くの犯罪を犯しているという事実は、見過ごすことができない事実です。
ならば、在日朝鮮人を全員、日本から出て行かせれば、問題はすべて解決するのかというと、実はそうでもない。

現実問題として、どこからどこまでが日本人で、どこからが在日朝鮮人といえるのか。
日本人と朝鮮人との間に生まれた子供達、そのまた子供たちとなるクォーターは、どうするのか。
線引きはすでに、きわめて困難なレベルにまで達しています。
だからといって、在日朝鮮人たちの反日活動について目をつぶって良いことにはなりません。

私は、そうした活動が、意味をもたない、なんの経済的メリットさえも生まないというだけの、峻別がキチンとできる日本の建設が大切だと申し上げているのです。

極端な話、日本人の純血種だから反日主義者ではない、ということでもないのです。

では、何が大切なのかと言えば、他の誰でもない。私達自身が、私達の国日本の、あるいは日本人であることのアイデンティティをしっかりと取り戻すことなのではないかと思うのです。

日本は、世界最古の国家であり、その世界最古の文明を、いまにまるごと伝えている歴史と伝統のある国です。
そして他のどこの国さえも実現し得なかった、植民地支配主義と、奴隷という人類最古の風習を、貧しい中で、知恵と勇気をもってまるごと撃滅させた国です。

そういう史実をちゃんと普及する。
日本人としての価値観と歴史を取り戻す。

たったそれだけのことで、日本の、特に日本の若者の元気が、未来を築く要となり得る。
そう思うのです。

「願兼於業(がんけんおごう)」という言葉があります。
支那の唐代の天台宗の僧侶、湛然(たんねん:妙楽大師ともいう)の言葉なのだそうです。
「願って業を兼(か)ぬ」と読みます。
人はこの世に生まれてくる前に、自分の人生を決めて生まれて来るという概念なのだそうです。

そういうことが本当にあるのかどうかは私にはわからないけれど、もしその「願兼於業」なるものがあるとするならば、大東亜戦争を戦った大和の魂は、この国を守るため、そして植民地支配という世界の悲劇をこの世からなくすために、あえて戦乱の時代に生まれてきた「武人の魂」たちといえるのかもしれません。

同様に、戦後の復興期を担った大和の国の魂たちは、戦争で焼け野原と化した日本をハード面で復興する「工人の魂」たちということになります。

そして、その後の経済復興と成長を担った魂たちは、日本の産業を復興し成長させる「商人の魂」たちだったのかもしれません。

であるとするならば、平成不況からいまを、そしてこれからの未来を担う大和の国の魂たちは、日本の精神面の復興を担うことを使命として生まれてきた「心の復興を担う魂」たちなのかもしれない。

終戦の詔勅で、昭和天皇は「確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ 」と述べられました。

口語訳すると、
「神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけよ」です。

日本は、戦後の焼け野原から、ハードと経済についての復興は果たしました。
けれど、気高さと清廉を美質とする日本の精神面での復興は、いまだ成し遂げていません。

いま、40歳代の半ば以上の年代の方は、みなさん、バブル期をご経験されてきました。
大なり小なり、好景気の恩恵に預かり、高価な買い物をし、海外旅行をし、中には高級クラブでお酒を飲んだ方もおいでになるかもしれませせん。

しかし考えてみると、そのバブル期の好景気は、単にそれ以前の時代を担った先輩達が、泥にまみれて必死になって我が国の再興のために汗水垂らして働いて貯えてくださった国富を、ただいたずらに食いつぶしただけです。
そして日本は、あるいみ、再び無一文に近い状態となっています。

本来なら、ハード面の戦後復興のあとに、私達日本人は、精神面の復興(これこそが我が国の国体の精髄)を果たすべきでした。
それをしないで、単にバブルの好景気に浮かれたことが、結果として、天譴(天の制裁)を招き、それがその後の20年の我が国の停滞と不況となっているといえるのかもしれません。

ならば、いまこそ私達は、私達に与えられた本来の使命である「日本精神の復興を担う」ために働かなくてはならないのではないでしょうか。
でなければ、冒頭に述べたような、次の世代を担う、日本の若者達が、歪んだ歴史観のまま、人生をすごすことになってしまう。
日本から、永遠にアイデンティティが失われてしまう。

江戸時代、日本は、日本文化の、まさに花を咲かせました。
しかし幕末の開国は、日本が他の有色人種の国々と同様、欧米列強の植民地になるかどうかの瀬戸際の中で、窮余の一策を担い、我が国の歴史と文化を護り抜いたものであったといえようかと思います。

そして日清、日露、第一次、第二次の大戦は、人類普遍のテーマである人種の平等を、見事に実現してみせた我が国の父祖たちの戦いの歴史であったといえます。

そして大東亜戦争で、なるほど我が国は焼土と化したけれど、その後のわずかな期間で、私達の父祖たちは日本の見事なまでの復興を実現してくれました。

あとは、そうしたことを実現した背景にある、日本の強靭な精神文化を取り戻すこと。
私達日本人は、すくなくとも、それを実現できる体制下に生きています。
日本のいまの政治は、選挙によって国政を担う体制だからです。

選挙が近づいていますが、いま私達が選択しなければならないことは、消費税や小沢派云々の茶番に付き合うことではありません。
大切なことは、日本が日本精神に目覚め、日本の真の国力を発揚できる国益を重視の、日本の歴史伝統文化を守り育み、これを復活させる政治を実現することではないかと思います。

英国の元首相のパーマストンは言いました。
「国家には、永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだ。」

歪んだ歴史観を正し、国益をきちんと守ってくれる政治。
たったそれだけのことを実現するだけで、日本の政治は大きく変わり、竹島も、北方領土も、日本の領海に眠る向こう1万年の埋蔵量を誇る大規模海底資源も守られ、活用でき、新たな日本の建設が推進され、経済も音を立てて復興できるのです。

そのための戦いは、すでに始まっている。
私はそう思います。



≪転載終了≫