ジャイアンナイトインタビュー 西山エヌ(@キャンタマコ)編
佐久間トーボ:どんな子供でしたか?
エヌ:「すげえネクラでした。親が仲が悪くて、その原因が自分なんじゃないかと思ってて、そう思うと、自分が嫌われ者なんだって思うようになって、だったら自分から嫌われてやろうって、でもその半面、凄く目立ちたがり屋でした」
それはどんな所で発揮されました?
「合唱コンクールとか発表会の時に、急に目立って主張したりして。あの教室で泣き虫だった西山さんが・・・ってよく先生に言われました。」
小さい頃に好きだったものは?
「絵を描いたり、あと雑誌が好きで・・・それは今でも好きなんですけど、FOOL’S MATEとかSHOXXとか、上京する時にこれだけは持っていかなきゃって…で、小さい頃はワッツインとか見てて」
ワッツイン?小さい頃で?エヌちゃん兄弟いるの?
「お兄ちゃんいるんですけど、それお兄ちゃんのじゃないです。だってお兄ちゃんとも仲悪かったし、未だに取っ組み合いのケンカとかするし」
それは逆に仲良いんじゃないかと思うけど(笑)
「だから、おこずかい貰うようになってから、自分で買ってたんですけど、なんでそこに興味持ったかっていうと、ミュージックスクエアっていうラジオ番組があったんですよ。そこが音楽との出合いで
それはいつ頃?
「小学校5年くらいかな。うち、親が仲悪かったんで、お父さんの部屋に入れなかったんですよ、でもお父さんの部屋にしかTVがないから、部屋でラジオを聴いて。ラジオ聞けば、当時流行ってたシャ乱QとかSPEEDとか聴けるっていうのがあって。普通にヒットチャートの音楽を聴く子供でした」
そこからどうやってV-ROCKに出会うの?
「ミュージックスクエアが終わってから、別の局でGLAYのTAKUROさんがやってたレディオファクトリーっていう番組があって、GLAYはHOWEVERぐらいから好きなんですけど、でもその時はヒットチャートの一部っていう認識なんだけど、そこでTAKUROさんが泉谷しげるさんの春夏秋冬を流したんですね。その時に「音楽とは生活のBGMである。娯楽ではなくて、自分の人生があって、その中で演歌のように流れてる音楽が音楽。例えば母親が鼻歌を歌いながら夕飯の用意をして自分を育ててくれて、そういうのが音楽である」って意味の事言ってて、私は両親二人ともいたんですけど、上手くいってなかったっていうのもあって、自分を勇気づけてくれる音楽って言う存在とダブったんですよ」
凄い子供だね。
「あははは!でも無茶苦茶共感して、それを期にGLAY集めだしたんですけど、革命的だったのが、私岐阜県出身なんですけど、中学の時に岐阜は岐阜でも凄い田舎に引っ越すんですよ。1学年25人しかいないようなところに。そこで登校拒否になっちゃって」
何で?
「こんなクソ田舎で生きててもしょうがねえって(笑)」
ひどいね(笑)
「で、その時は部屋にTVがあったんで、GLAYが出てるTVとか凄い見まくって、その時、バンギャって存在を知るんですよ。」
何で知ったの?
「NHKでGLAYのドキュメントやってて、99年かな?社会的に凄かった頃。そのドキュメントは勿論GLAYも映すんですけど、そのGLAYを追っかけている人も同じくクローズアップしてて、初めてバンギャ見た時に、私はこれになりたい!って思ったんですよ」
いきなり!
「私はずっと部屋にとじこもって、親に学校行けって言われてる時に、TVにバンギャが出てて」
凄く楽しそうに見えたんだ。
「それもあるし、誰に何て言われようとも、好きなモノを追っかけるんだっていう感じがカッコいいって思ったんですよね」
GLAYと並行して好きになったものはあったの?
「もうその頃はビジュアルブームだったんで、ラルク、PIERROT、ディル・・・TV見たらカウントダウンTVとかベスト10の中にたくさんビジュアルがあるんで、手あたりしだいに聴いてって…。田舎なんで、本とかCDも発売日になったらお母さんに「これとこれ買いたい」って言って、街まで連れてってもらって」
それは言ったら連れてってもらえたんだ。
「だって親からしてみれば子供引きこもってるから、生きる喜びを与えないと!みたいな感じだったんじゃないかな?あははは。あと自分たちが田舎に引っ越させたからこんなになったみたいな罪の意識もあったんじゃないかって思うけど」
で、そこからどうやって外に意識がむき出すの?
「変わりたい!バンギャにならなきゃ!っていう意識が高まって、そこでバンギャになるには高校行かなきゃいけないって思うわけですよ。だって高校に行くって口実が出来たら、毎日駅のある所に通えるっていう考えがあったから、中学に行かなきゃ!って」
でも行きたくなかったわけでしょ?
「だから、部屋にあったGLAYのポスターを細かくビリビリに破いて、学校に行ったら1枚貼るっていう行動に出たんですよ」
あははははは!最高!
「大好きなGLAYのポスターを破るっていうのも踏み絵なんですけど、何とかこれを完成させないと!って。で、それの繰り返し、古いの終わったらまた新しいやつ破いて」
すげえなあ!
「で、中学3年の時に初めてナゴヤドームにGLAYのLIVE見に行って。チケットの取り方も分からなかったから、新聞とかくまなくチェックして、チケット取って、バス乗って行きました」
最高だった?
「(嬉しそうな顔をして)5階席で、メンバー凄く小さかったんですけど、感動して…」
初LIVEの思い出は?
「その時に斜め前のお姉さんがヘドバンしてたんですよ、これが生ヘドバンか!カッコいい!って。出てきた時から号泣でした、終わった後に周りの人に「出て来た時から泣いてて感動しました」って言われて、それで良い気になっちゃって、「私はGLAYファンのトップになった!」って(笑)」
それで高校でLIVE行きまくるんだ。
「そうです、LIVE行くためにバイトして、その時はラルクとか。でもその時も岐阜の田舎なんで、まだLIVEHOUSEには接してないんですよ。東京ドームとかレインボーホールとか、ホールのLIVEばかり行ってて、それがLIVEだと思ってました。その時はコンサートスタッフになりたかった(笑)」
GLAYへの熱がおちつく事はなかったの?
「うーん、でもGLAYを中心に聞きつつ、でも普通にドラゴンアッシュとかも聞いてましたよ、その頃まだミュージックスクエアとか聴いてたから」
俺みたいにミュージックスクエア聴いてロック好きになる人もいれば、Vを好きになる人もいるんだね。
「凄いですよ、だって普通にPIEROTTとか流してましたから。だから大学行くまではそんな感じですね」
大学はどこ?
「京都ですね。最初は音楽に携わりたくて、専門学校に行きたいって言ってたんですね。バンギャって専門学校行くっていう偏見があって(笑)でも高校3年の時にハッて気づくんですね、「私が働いて親を幸せにしなきゃいけない!」って、急になんですけど。だから就職するために大学は行こうって思って」
音楽友達みたいなのは周りにいたの?
「高校のときには携帯持ってたんで、沢山って言ったら語弊あるかもしれないけど、いました。学校で上手く取れないコミュニケーションを、趣味の中では音楽って共通項があるから取れる、みたいな」
それはV-ROCK友達?
「そう、でも大学行って音楽への向き合い方がちょっと変わるんですよ。その時に銀杏BOYZとかホルモンとかに出会うんですよ。LIVEHOUSEとかフェスとかで」
男が出来た?
「あはははは!いや、いや、いや、まあそうですけど。大学行って」
ほとんど同い年だから分かるけど、あの時って青春パンクだもんね。でもV-ROCKは並行して聴いてるの?
「そう。だって私のコミュニケーションの取り方がそこにしかなかったから。中学も高校も。でもその子と付き合うきっかけになったのは清春さんなんですよ。後期黒夢ってパンクよりじゃないですか」
コークスクリューとか、新宿ロフトのLIVEアルバムとか
「そう、清春さんが一回V-ROCK否定したんですよ、「自分たちは見かけだけで音楽やってるんじゃねえぞ」って。今はちょっと戻りつつあると思いますけど」
そういう事言うアーティストに対してエヌちゃんはどう思うの?
「正直、今だったらそう思うわないと思うけど、火中にいた頃は凄く否定してたと思う(笑)」
因みに、エヌちゃんのバンギャデビューっていつなの?
「中学の時にLIVE行き出した頃に、集会ってあったんですよ。名古屋のテレビ塔に集まるんですけど、LIVEで知り合った人に「集会あるけど行く?」って言われて、分からないけどとりあえず行って」
集会って何やるの?
「写真撮って、プリクラ撮って、情報と名刺交換して、大学の時はそればっかり」
彼氏はダメとか言ってなかったの?集会なんて分からないやつ行くなよって。
「一回離れた(笑)私が仲間を裏切った。でもすぐ戻って、ごめんって」
で、就職は?
「京都で就職したんですけど、LUNA SEAのライヴ見て、私このままじゃダメだ!って思って」
なんで?
「パソコンの事務の仕事してたんですけど、向いてないなと思ってたんだけど、まあいいや、給料もらえてるし、少しずつ地位もお金も上がってくし、人生謳歌出来るなって思って過ごしてたんですけど。で、その時バンギャも卒業してたんですけど、LUNA SEAの復活だけは見たくて」
復活っていつ?
「2007年ですかね、久しぶりに夜行バスで東京行って、ドームで見た時にこのままの人生じゃいけないって思って、仕事辞めて、前からやりたかったデザインの勉強を独学で初めて、デザインの仕事を出来るようになった頃に東京に出てきてって感じですね」
何がそんなに響いたの?
「奇跡って起こせるんだ!って思って。だって7年間待ったんですよ。もう集まらないって思ってた人たちが、しかも昔のコピーでもなく、劣化版でもなく、進化してたんですよ。
バラバラになって、それぞれが未来に向かって歩いてたっていうのが、LUNA SEAってバンドからは確かに現れていて、これは凄い!って。中学の頃とか、バンギャだった自分が抱いてた音楽に夢を持ってたって事思い出して、何か変えなきゃ!って」
ジャイアンナイトに出会ったのは?
「で、東京来ても意外とつまんなかったんですよ(笑)仕事のやりがいはデザインって事で変わったんですけど、気持ちはあまり変わらなくて。その時にLIVE以外にもDJイベントとか行き出して、その中の一個がジャイアンナイトで」
なるほど。
「その他にも爆寸とか一般の方がやってるDJイベントとか行ってたんですけど、その中でhideさんの曲がかかるイベントで、hideさんとかX-JAPANの曲以外にもホルモンとかマリリン・マンソンとかもかけるDJがいたんですけど、X以外の曲になったら、お客さんが外出て写真撮りに行ったり、お話いしに行ったりするんですけど、私は前の彼氏に教えてもらったのがあったから、好きな訳ですよ。だからその人たちとの温度差があって、変だなあって」
その時にジャイアンナイトに出会って。
「そう、ジャイアンナイトでも同じ事が起こってて、ホルモンとか流したら「何でこんな曲流してるんだろう」って顔でお客さんがステージ見てて」
初めて行った時の事憶えてますか?
「2009年の5月、大塚Deepaで浅井さんとか佐久間さんもDJやってて、大地さんがいなくて大谷さんだけでDJしてました。後から知ったんですけど、V-ROCKのイベントには岩瀬さんだけで大丈夫って事になってて、ダンサーも岩瀬さんだけで」
その時他に印象に残ってるのは?
「まずびっくりしたのが大谷さんがバンギャに「ヘドバン試しにやってみろよ」って言ってて。バンギャにだよ!?こっちの方がプロだよ!とか思いながら、でもこの人はバンギャのためにやってるんじゃないんだって気付いた時に、周り見渡したら、V-ROCK好きじゃないけど、大谷さんだから、ダイノジだからって理由で来てる人もいて、何か違和感というか、他のイベントとは違うなって思って、終わった後大谷さんにメールしたんです」
なんて?
「他のイベントとは違う事をしようとしてるんですね、って事と、それはそれで良いと思う、私の友達とかは否定してたけど、私はそれでいいと思います。って」
ちょっと上から目線だけどね(笑)
「そしたら、それがブログに載ったんですよ。いつも行ってる友達と反対意見じゃないですか!それが名前付きで載ったのが怖い!って思って。何てことするんですか!消してください!もう二度と行きません!ってメールして」
それも凄いね。
「そしたらブログ消えてたんですけど、「とてもムカつくメールが来たが」って書いてあって(笑)私は私で3日くらいショックで会社休んで。で、休んでるうちに、大谷さんに一言言ってやんないと気が済まねえって感じになって。それで岩瀬さんのブログでスタッフ募集してたんで、それに応募したんです」
それがきっかけだ。
「そう、だから初めて岩瀬さんに会った時も「私スタッフやりたいんじゃなくて、大谷さんに一言言いたいだけなんです」って言ったんですよ」
大谷さんに初めて会った時は?
「下北のGARDENのジャイアンナイト3周年で、その前に普通のイベントのDJダイノジを見て、感動しちゃうんですよ。「すげえ!」って。で終わった後に挨拶行ったら、大谷さん、楽屋で寝てたみたいで、目が血走ってて、顔色も悪くて。その顔見たら「ああ、この人こんなに全身全霊かけてイベントやってるんだ」って思って。何も言えなくなっちゃって」
そのままスタッフに。
「そう、そして色々考えて、もっとイベントに真摯にならなきゃって思って、会社辞めちゃったんですよね。」
なるほど、じゃあV-ROCKの楽曲の話を聴きたいんですけど、一番好きな歌詞ってなんですか?
「(長く考えて)・・・hideさんのMISERYですかね。「ハレルヤ ラ ミゼラブル」って部分。ハレルヤは賛美、ラミゼラブルは悲劇とか無情とか。TAKUROさんが言ってくれた音楽は生活のBGMだって話にも繋がるんですけど。自分にとって音楽って楽しい事とか、嬉しい事とかの傍にあるわけじゃない。私、仕事辞めて精神的に不安定になった時、何者でもない自分になった時に、そのギャップに苦しんで、音楽なんか聴けないって思ったんですよ。別に音楽聴いたって家賃払えるわけじゃないし(笑)」
そうだね。
「楽しんだり、夢見たりしてる場合じゃないなって思った時に、佐久間さんのTwitter見て」
僕?(笑)
「音楽って楽しい時とか嬉しい時に聴くもんじゃないって」
全然覚えてない(笑)
「その時にTAKUROさんの話思い出して、自分も、上手くいかない時に音楽、ビジュアル系に助けられたって考え直して。で、hideさんの話に戻るんですけど、その曲は病気の女の子にhideさんが団体を通して知り合った時に、その子に向けて作った歌で。病気を治そうとか前向きに生きろとかそういうんじゃなくて、運命を受け入れる事から全て始まるって事なんだって感じとって。私は何をしても言い訳つけて、曲とは真逆だったので、凄く響きました」
例えば、エヌちゃんって曲が好きなの?それともバンギャとか全部含めてV-ROCKが好きなの?
「全部含めてって言うのはないですね、だったら私イベント行った時に違和感感じないと思います」
じゃあ、V-ROCKなんで好きになったんだろう?
「それは私の持つネクラな部分を肯定してくれるジャンルだったからですよ。」
マイノリティーな自分を肯定してくれるってこと?
「そう、凄くポップだったhideさんですら、その部分は凄く大事にしてたって思ってて。だからマイノリティーに向かなくなった瞬間に、V-ROCKかっていう定義は少し崩れるんじゃないかと思ってる。」
例えば一見ポップに見えるバンドもそうだって事?
「そうですね、SuGだってVoの人がメッセージ性強くて、嫌われ者でも良いじゃん!って感じの歌詞あるし」
仙台貨物も?
「あれは全員ゲイっていうのがあるんで」
なるほど、マイノリティーなんだ、能天気なのってないんだね。好きな人ってそこに共感があるんだね。・・・じゃあ、ジャイアンナイトに足りないと思う事とかあります?
「そんな偉そうな事思った事ないけど、パフォーマンス性の強い方が撤退した事で、今凄くフィジカルになってると思うんですよ。でもたつやさんとかサメさんとか大地さんとか上手い人がいらないって訳じゃないと思うんで、そこをどう残されたメンバーでカバーできるかっていうのもありますね」
あとは?
「私凄くジャイアンナイトに甘えてるんで、私がいなくなる事でジャイアンナイトが飛躍すれば良いかなって思う時はあるんですけど、でも正直そこにまで達してないので、もう一歩上の位置に行きたいですね」
最後にV-ROCK初心者に薦めたい3枚と、自分の人生を変えた3枚を教えてください。
「初心者はLUNA SEAの「MOTHER」か「STYLE」、「WORST OF MUCC」DIR EN GRAYの「Withering to death.」ですね。MUCCは多分初めて聴いた方びっくりすると思うんですよ。「こんなに幅広いのか!」って。ディルは圧倒されてほしいですね。LUNA SEAは日本のV-ROCKの最高傑作だと個人的には思ってて。世間的にはってアルバムだと思うんですけど」
なんで個人的に最高傑作なの?
「バンドである理由がしっかりしてるのってLUNA SEAなんですよね。V-ROCKにありがちなVoだけが主張して、Voが目立つみたいなのがLUNA SEAにはなくて。それぞれが張り合ってるんですね。SUGIZOはINORANに負けないって思ってるし、JはSUGIZOに負けたくないっていうのがきちんと曲に出てて。何でわかるかっていうと、SUGIZOとINORANのギターは絶対同じ所奏でないし。ベースはベースは主張するし、ドラムは無茶苦茶上手いし、と思ったらVoは楽器持たないで無茶苦茶主張してるし。」
で、何でMOTHERなの?
「ROSIERが入ってるからですね。これに尽きます」
人生のベスト3は?
「さっき言ったhideさんの「MISERY」ホルモンの「恋のメガラバ」」
メガラバ?
「あれ聴くと泣いちゃうんですよ。ジャンルの壁を壊そうって私が悩んでる時に、その突破口になった曲だからですかね。ホルモンなら私のモヤモヤを伝えられる!って。あとはLUNA SEAの「TONIGHT」かなあ」
GLAYは出ないんだね(笑)
「いや・・・私の中でGLAYはもう楽曲とかそういうの超越してるから」
なるほど・・・ってならねーよ!(笑)