民主党の皆さんへの惜別の辞 | 霞が関公務員の日常

民主党の皆さんへの惜別の辞

 あいかわらずブログ更新が滞っていてすいません。
 まだ読んでおられる方はいますでしょうか?


 衆議院が解散すると、国会議員は大忙しでしょうが、官僚は仕事がなくなるのでヒマになります。
 議員相手の仕事(国会答弁の作成、議員からの資料・レク要求、政党主催の会議への出席)がなくなりますし、新しいことを決められなくなるので、省内での新しい政策の検討作業もストップしますし。


 ここ1カ月ほど仕事が大幅に減りそうなので、ブログはまめに更新したいですね。



 さて、私が役所で働きだしたのは1995年4月。その後、これで6回目の総選挙です。
 若い頃は、選挙の結果がどうなろうが「ふーん」という感じでしたが、それなりに年を重ね、議員との接触も多くなってくると、いろいろな感慨を覚えるようになります。


 特に今回は、与党・政府という関係でお世話になった民主党議員の多くが、落選してしまうでしょうから。
 私がいちばんお世話になったのは、7月まで私が出向していた、大きな湖のあるS県選出のT議員ですが、今後3年はお会いする機会はないのでしょう。寂しいですね。


 さりとて、民主党政権の失敗、力不足は誰が見ても明らか。
 今回の選挙は大惨敗して野に下るのは、当然のことと言えましょう。


 役所内でも、民主党の評判は正直あまりよろしくありません。
 大幹部から若手の下っ端まで、政治の話になると「これだから民主党はダメだねえ」という話ばかりです。


 解散の一報を聞いて「せいせいした」とおっしゃった方もおられました。
 私も、役所の歯車の1つとしては、早く今の民主党政権が終わり、もろもろの仕事が前に進められることを願っています。



 しかし、しかし、なのです。
 私は、1人の日本国民としては、民主党が掲げたバラバラな夢のいくつかのかけらを、このまま捨ててしまうのは惜しいと感じるのです。


 自助よりも公助・共助を強調する社会保障であったり、「コンクリートとから人へ」であったり、国家は後景に引いて草の根の役割を重視する「新しい公共」であったり、排外的にならず相手の主張も聞いて妥協点を見出そうとする外交であったり。


 自己責任を強調して弱者保護を敵視したり、公共事業の大盤振る舞いをしたり、重々しい国家を前面に出して国民の忠誠を求めたり、毅然とした強腰外交一辺倒で戦争責任すら否定したり、そういう政治勢力が勢いを増していると感じるだけに、なおさら。


 安倍自民党総裁が好きな「美しい国」という言葉が象徴的だと思います。
 怠惰なホームレスやニート、国家権力を毛嫌いする自由人、意のままにならない外国、日本の過去の戦争責任は、日本国を統治する人の目から見て美しくはないでしょう。


 そういう美しくないものを排除して、統一感ある美しい日本を求めるか、美しくないものを丸ごと飲み込んで、多様で猥雑で騒々しい日本を求めるか。
 私個人としては正直、後者の方が好きなんですよね。




 民主党の議員の皆さんへ。


 私は公務員ですから、選挙の結果に従い、おそらくは勝利するであろう自民党に尻尾を振って、淡々と自分のやるべき仕事をしていきます。
 昨日までは民主党に尻尾を振っていたのに。官僚とは犬にも劣る薄情な動物とお思いかもしれませんね。


 しかし、官僚も心ある人間で、個人的には多様な政治的意見を持っています。
 その中には、少数派かもしれませんが、私のような、自民党や保守的な第三極の掲げる日本の姿に疑問を持っている人間もいるのです。


 今回の選挙ではぜひ大惨敗して野に下っていただき、永田町の喧騒を離れて暇になって、頭をよく冷やしてみてください。
 3年後か4年後、夢のかけらのいくつかを実現する力を蓄えた皆さまと、もう一度お会いできる日を楽しみにしております。


 ま、無理でしょうけどね(←蛇足)。