再稼働反対デモに送るエール | 霞が関公務員の日常

再稼働反対デモに送るエール

 先週日曜日、大飯原発が再稼働しましたね(←だから書くのが遅い)。
 現地で、そして、毎週金曜日には首相官邸周辺で、大規模な再稼働反対デモが行われているそうです。


 今回は、このデモをどう見るかについて。



1.デモは閉塞感の打破に向けた大きな第一歩。がんばれ!
 再稼働自体に対する私個人の意見は、原発ゼロを無理なく実現できるのは10~20年後と見ており、今年の再稼働はやむなし、というものです。
 なので、デモの方々とは意見を異にするのですが、政治的主張を積極的に表現する人が増えるのは意見の中身が何であれいいことだと思うので、がんばって欲しいです。


 日本社会が閉塞感に満ちている理由の1つは、政治はどうせ国民の意思と関わりなく進んでいくという無力感、あきらめ感のようなもの。


 デモをする人が増えたというのは、無力感、あきらめ感を乗り越え、国民の意思で政治を変えたい、変えられると思う人が増えたということ。
 閉塞感の打破に向けた大きな第一歩だと思います。



2.次の一歩として、具体的な対案が必要
 しかし、第一歩目は「再稼働反対」でいいと思いますが、それだけでは世の中を変えることはできません。
 やはり、原発をなくす場合のエネルギー供給について、具体的な対案が必要です。

霞が関公務員の日常 ←「対案」のイメージ画像


 消費税でも何でもそうですが、「○○反対」は運動のエネルギーを高める第一歩としてはよくても、それだけでは多くの人から支持され、採用に至ることはありません。


 「対案なら出してる」と言いたいかもしれませんね。
 確かに、節電と火力のフル稼働で電力が足りるという試算とか、再生可能エネルギーを大幅に拡大する提案も出ています。


 しかし、私には「本当にそれを信じて大丈夫か?」という感が否めません。他の多くの方々もそうでしょう。
 十分な節電ができるのか、節電疲れでリバウンドしないか、燃料費増による景気への影響、天然ガスの大幅拡大によるエネルギーセキュリティの問題、再生可能エネルギーはどれだけ導入でき、そのコスト負担に合意が得られるのか、などなど。


 「うまくやればできる可能性がある」ことと、「実際にやって大丈夫」なことには、大きな差があります。
 ひとことで言えば、評論家の気楽さと、当事者の慎重さの違い


 「対案」と呼ばれるものの多くが抱える弱点は、
現実の壁(国際環境などの外部制約とか、急激に政策の舵を切ることによる軋轢とか、企業や国民は思い通りには動かないこととか、財源とか)
意見集約の難しさ(多様な利害を調整して一つの案に集約するのは容易ではない)
の2つを軽視していること。


 膨大な情報を調べ、複雑な要素を考慮してと、とても面倒くさい議論が必要です。
 また、コストとか経済への悪影響とか、耳に痛いこともあらわになってしまい、いい格好ばかりはできなくなります。


 しかし、そこを「やる気の問題。何とかなる」と(「財源はナンボでも出てくる」とか「最低でも県外。腹案はある」とかのように)スルーしたのでは、信じて大丈夫かという疑問を払拭できず、その対案は採用されないことでしょう。


 「再稼働反対」の次のステップとして、「実際にやって大丈夫」なレベルの対案を作り、そのデメリットやリスクも説明した上で、多様な脱原発派の主張をその対案に一本化することが必要だと思います。



3.一官僚としての思い「切磋琢磨するライバルがほしい」
 「実際にやって大丈夫」なレベルの対案を作り、さらにその案で多様な人々の意見を集約するというのは、簡単ではありません。


 官僚は、清濁混じり合う現実の壁と格闘して実現可能な案を練り上げ、利害を主張する人々を説得して案を1本に集約することが(曲がりなりながら)できる唯一の存在として、力を持ってきました。


 これは、官僚が優秀ということではなくて、単に、そういう人達を育てる他のシステムがなかったというだけです。
 その結果、競争がないことに安住し、現状の微修正と利害調整だけを仕事と思い、激変する社会に合わせて大胆に政策を見直したり、直接の利害のない大多数の国民を説得することを怠ってきました。


 競争のないところでは、人も組織も成長しません。


 私の感覚でも、仕事は脳の表面だけ使えばできる感じで、奥底まで使ってない感じがして、社会人として成長しているか疑問です(私が働いてないだけ? そうかも)。
 スポーツやクイズをやるときの方が、よっぽど頭の奥まで使ってる感じがします。


 原子力に限らずあらゆる政策で、大胆だけど実現可能な対案を作れる集団(アメリカのシンクタンク的な)が生まれ、官僚組織と切磋琢磨するようになることを、一官僚としても望んでいるところ。

 何事も、手強いライバルがいなきゃおもしろくないじゃん。

 現実味のない主張を相手に、「それって現実的じゃないよね」と言うだけで、何となく仕事になってしまうの、もう飽きました。


 「○○反対」という強いエネルギーを持った市井の人達が母胎となって、そういう専門家集団が生まれないかと、期待しているところです。


 そうなったらお前なんかクビ? そうかも。
 クビになっても、体力には自信があるので肉体労働で稼げる、だから仕事でムチャしても平気、というのが自分の支えなのですが、甘いか?