社会保障と税を考える(16.ベーシックインカムは数字上は実現可能)
ベーシックインカム(以下「BI」)については、以前、「ベーシックシックインカムは実現不可能」と言うのは、推理小説の犯人をバラすようなもの というエントリーを書きました。
その時の結論は、「BIそのものの導入はおよそ不可能であるが、BIについて深く考えることは、簡素で政府の裁量の小さい新たなセーフティネット制度の発想につながる可能性があるので有益」というもの。
あらためて、なぜBIの導入は不可能と考えるのか、BI的な簡素で政府の裁量の小さい制度の現実的な選択肢は何があるのか、考察を深めておきたいと思います。
1.BIは数字上は実現可能
BIは、数字の上で実現が可能か不可能かだけを問われれば、可能です。
例えば、国民1人当たり8万円を支給するとして、12か月、1億3000万人を掛けると、125兆円。日本のGDP500兆円の25%です。
この費用が全部追加的に必要(既存の費用はまったく削減しない)と仮定しても、現在(2009年)の国民負担率は38.3%なので、63.3%にすればいいわけです。
高福祉高負担の代表的な国、スウェーデンの国民負担率(2009年)は、62.5%。
数字上は実現可能であることがわかります。
2.具体的な制度の形にしてみる
(1)大人月8万円、子ども月5万円で、給付総額は年115兆円
1人当たりいくら配るかでBIの性格は大きく変わりますが、それだけで最低限の生活ができるという理念から考えると、月5万円では明らかに足りない。
住に3万円、食に3万円、+αと考えると、8万円は最低限必要でしょう。
子どもは、親と同居すると考えると8万円より少なくてもいいでしょう。
仮に、高校生までは5万円としておきます。
人口は1億2700万人、17歳以下が2000万人、18歳以上が1億700万人なので、
(1億700万人×8万円 + 2000万人×5万円)× 12か月 = 115兆円
ということで、「それだけで最低限の生活ができるレベル」のBIの給付総額は、年115兆円ぐらいということになります。
(2)BIにより削減できる社会保障給付費は25兆円
もちろん、115兆円すべてが追加的に必要になるわけではなく、既存の費用がいろいろ削減できます。
複雑怪奇な社会保障はBIに一本化で全部廃止というのは乱暴すぎで、現行制度がどういう機能を果たし、その機能はBIで代替可能なのかを見る必要があります。
現在(2009年度)の社会保障給付費
は、99兆8507億円、要するに100兆円です。
その内訳をざっくり見ると、
【BIで代替できない】 医療 30兆円
介護 7兆円
労災 1兆円
【BIで全部代替可能】雇用保険 3兆円
児童手当 1兆円
【BIで一部代替可能】年金 50兆円(基礎年金19兆円、2階部分31兆円)
生活保護 3兆円
医療、介護、労災の機能は、BIでは代替できません。
逆に、雇用保険と児童手当は完全に代替でき、廃止できるでしょう。
全部は代替できないけど一部は代替できるのが、生活保護と年金。
生活保護は半分の1.5兆円が医療扶助なので、全部は代替できません(←重要。BIを導入しようが「貧困者を行政が選んで助ける仕組み」は残るということ)。
仮に、3兆円の生活保護の中で、2兆円を減らせるとしましょう。
基礎年金は、高齢者の最低限の生活を守るという機能だけで言えば、代替できます。額も基礎年金が月6.6万円、BIが月8万円でほぼ見合います。
年金の保険料を払った人も未納の人も8万円という不公平さが残りますが、40年の移行期間を設ければ最終的には解消できるので、いちおう廃止できるとします。
年金の2階部分は、BIでは代替できません。
年金の2階を廃止して年寄りは月8万円で暮らせというのは、BIで代替したのではなく何の代償もなく切っただけ。BIにより削減できる費用にカウントするのは変。
ということで、BIで削減できる社会保障給付費は、雇用保険3兆円、児童手当1兆円、生活保護3兆円のうち2兆円、基礎年金19兆円の計25兆円となります。
(3)社会保障以外の削減はあまり期待できず、多めに見積もっても5兆円
雇用保険、児童手当、生活保護の一部、基礎年金を廃止することで、それに携わる公務員の人件費も減らすことができますね。
一方で、全国5000万世帯にBIを給付する事務が新たに発生します。
事務量の見極めは難しいですが、雇用保険&児童手当の事務減を多めに、BIの事務増を少なめに見積もり、両者の増減が見合っていると仮定して、生活保護と基礎年金の分が純減すると仮定します。
生活保護を担当するケースワーカーは、約1万5千人。
医療扶助が残るので全部は減らせませんが、多めに見て1万5千人全員を減らせるとしましょう。
基礎年金の給付と保険料の徴収を担当しているのは、社会保険庁改め日本年金機構。その職員数は、1万2千人(そのほか、年金記録問題担当で4千人)。
ここは厚生年金と国民年金の事務を担当していて、人数が大きいのは廃止しない厚生年金ですが、多めに見て1万2千人の半分、6千人を減らせるとしましょう。
両方を合わせると、減らせるのは多めに見て2万1千人ということになります。
人件費を1人1千万円としても2000億円。仮にその2倍いようが3倍いようが、BIの給付総額115兆円という数字にはあまり影響しません。
事務費も減らせますが、日本年金機構の予算は人件費を含めても2400億円なので、これまたBIの給付総額を大きく減らせるレベルではない。
他に、失業対策的な意味合いのある公共事業とか、その他もろもろの税金を使って行う事業を削減できるみたいな意見もあります。
その理由でそんなに減らせるかかなり怪しいですが、多めに見て公共事業の2割!を減らせるとしましょう。国と地方を合わせて15兆円ぐらいなので、3兆円。
要するに、社会保障給付費以外で減らせる額は、BIの給付総額115兆円に比べれば微々たるものにしかならないということ。
もっとあれもこれも減らせると言いたい人もいるでしょうから、ひたすら多めに見積もり5兆円としておきましょう。社会保障給付費の25兆円と合わせて、30兆円。
つまり、BIにより削減できるのは多めに見積もっても30兆円、給付総額115兆円から差し引いて85兆円の増税が必要になるということです。
(4)消費税なら税率64%分、所得税ならすべての控除を廃止して税率35%分
85兆円を何税で調達するかは、いろいろ選択肢があります。
仮にすべて消費税とすると、消費税を1%上げると税収は2.5兆円ですが、うち4000億円程度は政府支出の消費税負担増分に消えるので、実質2.1兆円。
また、消費税を上げた分は、BIの給付も上げないと生活できません。
消費税率をα%上げるとすると(現行の消費税率は増税成立後の10%と仮定)、
BIの給付総額 : 85 + 85α/110 兆円 = 消費税収 : 2.1α 兆円
よってα=64%、すべてを消費税でまかなう場合には、消費税率を64%上げて74%にすることが必要です。
次に、すべて所得税としてみます。
ネット上では、BI論の第一人者、小沢修司・京都府立大学教授の試算、すべての控除を廃止して一律に所得税率45%というものがよく見られます。
総所得総額 245.7兆円 × 45% = 111兆円 ということのようです。
これは、BIの給付総額をすべてまかなう場合ですね。
削減できる費用を差し引いた後の85兆円だと、85兆円÷245.7兆円 = 35% で、所得税率にして35%分が必要ということになります。
なおこれは、「追加的に35%必要」ということであって、「所得税率を35%にすればいい」のではありません。
2009年度の所得税収は12.9兆円、住民税収は12.4兆円なので、合わせて25.3兆円。245.7兆円の10%分なので、35%と足して所得税率は45%になります。
また、医療と年金の保険料の負担も残ります。
医療(健康保険)の保険料率は職業によって違いますが、だいたい8~10%。サラリーマンなら半分は会社が負担するので、個人負担は4~5%。
厚生年金の保険料率は、2017年度以降18.3%となります。そこから基礎年金の保険料がいらなくなるので、月16,900円は減らせます。
月収30万円の人で見ると、(300,000×0.183-16,900)÷300,000 = 0.127 で、12.7%まで下がります。これも半分は会社負担なので、個人負担は6.3%。
医療と年金を合わせて約10%。
ということで、所得税率45%と保険料率10%を合わせて、年収の55%を納めれば、医療と年金の2階部分を維持しつつ、BIも実現できることになります。
(5)平均的な収入の人は、所得税が5倍になるイメージ
ところでみなさん、今の所得税率ってどれぐらいか知ってます?
所得税率の表
を見ると、多くの人が所得税率10~20%の範囲に入っていると思います。住民税率は一律10%です。
足すと20~30%なので、「所得税率が45%になる」って言っても、なんだ2倍じゃん、大したことないと思うかもしれません。
しかし、「すべての控除を廃止して」という前提を忘れてはいけません。
税込み年収600万円の独身のサラリーマンで見てみましょう。
給与所得控除 600万×0.2 + 54万 = 174万円
基礎控除 38万円
社会保険料控除 72万円(医療と年金を合わせて年収の12%と仮定)
600万-174万-38万-72万 = 316万円(課税所得)
所得税の税率は、195万円以下が5%、195~330万円が10%なので、
195万×0.05 +(316万-195万)×10% = 21.85万円
住民税は、本来は控除が多少違いますが無視して10%として、
316万×0.1 = 31.6万円
21.85万 + 31.6万 = 約53万円 ですね。
すべての控除を廃止して税率45%になると、600万×0.45=270万円。
だいたい、所得税と住民税を合わせたものが5倍になります。
税込み年収ごとの、現行とBI導入時の所得税(住民税含む)を示しておきます。
現行の所得税 BI導入時の所得税
年収 200万円 9万円 90万円
年収 400万円 27万円 180万円
年収 600万円 53万円 270万円
年収 800万円 83万円 360万円
年収 1000万円 115万円 450万円
年収400~800万円あたりの平均的な収入の人を想定すると、所得税(住民税含む)が4~6倍になるイメージのようです。
(6)家族構成ごとの損得勘定を見てみる
すべて所得税を財源にした場合の、家族構成ごとの損得勘定を見てみましょう。
←「損得」のイメージ画像
子なし・高所得が不利、子あり・低所得が有利になるのは明らか。その分岐点は年収何万円ですか、ということ。
【子どもなしの場合】(年収=α万円。以下同じ)
追加的に取られる所得税 0.35α万円 = もらえるBI 96万円
になるのは、α=274万円。
単身で274万円、夫婦で548万円以上の年収の人は、不利になります。
【夫婦+子ども1人の場合】
追加的に取られる所得税 0.35α万円 = もらえるBI 252(96×2+60)万円
になるのは、α=720万円。
夫婦で720万円以上の年収の人は、不利になります。
【夫婦+子ども2人の場合】
追加的に取られる所得税 0.35α万円 = もらえるBI 312(96×2+60)万円
になるのは、α=891万円。
夫婦で891万円以上の年収の人は、不利になります。
単身 夫婦+子1 夫婦+子2
年収 0万円 +96万円 +252万円 +312万円
年収 100万円 +61万円 +217万円 +277万円
年収 200万円 +26万円 +182万円 +242万円
年収 300万円 - 9万円 +147万円 +207万円
年収 400万円 -44万円 +112万円 +172万円
年収 500万円 -79万円 +77万円 +137万円
年収 600万円 -114万円 +42万円 +102万円
年収 700万円 -149万円 + 7万円 +67万円
年収 800万円 -184万円 -28万円 +32万円
年収 900万円 -219万円 -63万円 - 3万円
年収 1000万円 -254万円 -98万円 -38万円
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以上、BIの具体的な形の一案を示してみました。
こう見ると何だかできそうな気がしてきます。BI賛成に宗旨替えしようなかぁ。
しかし、「数字上は実現可能」であることと、「政治的に合意を得て実現できること」の間には、巨大な溝があります。
次回は、やっぱりBIは限りなく不可能に近いと思う、という話をしてみます。