社会保障と税を考える(13.医療費抑制の行き着く先は混合診療か保険免責制) | 霞が関公務員の日常

社会保障と税を考える(13.医療費抑制の行き着く先は混合診療か保険免責制)

 前回 は、主に対GDP比の医療費という指標で見て、日本の医療・介護の規模は小さすぎると書きました。


 しかし一方で、当然ながら、日本の経済規模に限りがある以上、医療・介護に回す費用を無限に増やしていくことはできません


 国民医療費(公的負担だけでなく自己負担分も含む。介護も含む)の対GDP比は上昇の一途をたどっていて、これをいつまでも続けられないことは明白。
 どうやって医療費の伸びを抑制していくかが重要な課題です。


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(※)棒グラフ(額)では急増しているように見えますが、インフレ率を差し引けばそれほど急増はしていません。折れ線グラフ(対GDP比)の方を見てください。



1.政府がやろうとしていることは「効率化」
 ちょっと古くて恐縮ですが、厚生労働省は2007年に「医療・介護サービスの質向上・効率化プログラム 」というものをまとめています。
 その中で、現行制度の範囲内で費用の抑制を図るメニューが網羅されています。


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 うん、とても常識的な内容ですね。
 いくつか重要なものをピックアップしてみます。


 1と2は、予防
 医療や介護のお世話にならずに済むよう、ふだんから健康に気をつけるという話。


 3~7は、過剰な医療行為を減らすみたいな話。
 他国と比べて長い平均入院日数を減らしたり、医療行為を標準化したり。


 9は、高い薬を使うのではなく、同じ成分でも特許が切れて安くなった後発医薬品(ジェネリック医薬品)の使用を拡大するという話。


 12の診療報酬の「包括払い」というのは、同じ病気の治療には同じ額の診療報酬しか支払わない仕組み。
 その対義語は「出来高払い」。検査や投薬など医療行為をやればやっただけ支払われるので、ムダな医療行為が行われる場合があるとされています。


 これらをまとめて言うと、プログラムの名前にもあるように「効率化」。
 患者が受けたい医療を制限するのではなく、不必要・ムダなものを削っていこうということですね。


 それはもちろんやるべきことで、それで十分なら誰も損せず万々歳なのですが、それだけで十分なの?という疑問が残ります。


霞が関公務員の日常 ←「万々歳」のイメージ画像


 重要な議論は、この外側にあります。つまり、「効率化」を超え、患者が受けたい医療を制限することまで必要なのではないか、ということ。



2.医療を制限するなら、選択肢は「末期患者」「高度医療」「低額な医療」
 日本の医療制度の根幹は「国民皆保険」。


 文字ヅラだけ見ると、「国民全員が公的な医療保険に入っている」ということですが、その本質は、保険でカバーされる医療の範囲が広いことにあります。

 その「広さ」の特徴は3点。


 1つ目は、患者が医療を受ける場面での広さ
 1人の人がどれだけ高額な医療を受け続けても、医師が必要と判断して行ったものであれば、どこまでも保険で面倒をみてもらえます。


 2つ目は、保険の対象となる医療行為を政府が指定する場面での広さ
 どれだけ高額な費用のかかる高度医療であっても、治療の効果があると判断されれば、政府はすべて保険の対象として指定します。


 3つ目は、保険でカバーされる額の広さ
 高度な手術から風邪の診察に至るまで、あらゆる医療行為について、自己負担は一律に1割~3割で済みます。


 「『効率化』を超え、患者が受けたい医療を制限する」というのは、この3つのいずれかの点に変更を加えるということです。



(1)患者が医療を受ける場面で制限するなら、末期患者の延命治療
 単純に経済合理性だけで考えれば、まもなく亡くなることが確実な患者をわずかに延命するために高い費用をつぎ込むことはムダなことです。


 どこまでも保険で面倒を見てもらえる現行制度をやめ、これ以上この患者に高い費用をつぎ込むのはやめよう、という仕組みを作るとすれば、おそらく、そのターゲットはそういった末期患者になるでしょう。


 ただ、こういう治療に費やされている額はかなり大きいと推測しますが、現実には、患者や家族の意思に反して治療を制限することができるとは思えません。


 患者と家族が望むなら望むだけ治療を施すという大原則は変えないまま、それを望むかどうかを意識的に確認するようにすることで、望まない患者にまで自動的に延命治療が施されてしまうことを防ぐのが限界でしょう。



(2)保険対象の指定の場面で制限するなら、高度医療の自由診療化
 現在は、高度医療を含めあらゆる医療行為が公的保険の対象になっているので、すべての国民が同じレベルの医療を受けられます。


 さて、「すべての国民が同じレベルの医療を受けられる」。
 この文章からどういう印象を受けたでしょう。


 「貧しくても高度な医療を受けられていいね」でしょうか、「高いお金を払ってよりハイレベルな医療を受ける選択肢がないなんてひどい」でしょうか。
 どちらが正解ということではありません。価値観の問題です。


 そして、後者の「高いお金を払ってハイレベルの医療を受ける選択肢があるべき」という価値観に立てば、公的医療保険の対象は通常レベルの医療に止め、よりハイレベルの医療は保険対象から外し自己負担(自由診療化)という選択肢が出てきます。


 現に、アメリカではそれと似た仕組みになっています。
 国民全員が加入する公的医療保険がないので民間の医療保険に入っていて、支払う保険料によって松・竹・梅の差があり、あなたが入っている保険は梅レベルだからこの医療は受けられません、ということが起こります。


 日本でも、そういう仕組みに変えようという動きがあります。
 ストレートに言うと「貧乏人は死ね」と聞こえて反発が高まるので、「混合診療の解禁」という形で主張されています。


 混合診療というのは、保険診療と保険外診療(自由診療)を併用すること。現在は禁止されています。
 例えば、通常のガン治療を受けているとき、わらにもすがる思いで保険対象でない最先端の抗ガン剤の投与を受けると、通常の医療も全額自己負担となります。


 これだけ聞くと「最先端の医療をそんな形で制限するのはけしからん。混合診療は解禁すべき」と言いたくなるかもしれませんが、そう素朴には考えないでください。


 混合診療を解禁すれば、必ずや、高度で高額な費用のかかる医療が保険の対象に指定されにくくなり、貧富の差で受けられる医療に格差が出てきます。
 混合診療の解禁は十分あり得る選択肢ですが、それを主張する方は、貧富の差で医療の格差が生まれることを認めた上で主張してください。


 ということで、一般的なレベルを超えた高度な医療を公的保険がきかない自由診療にする、というのが医療費の抑制に向けた大きな方向性の1つです。



(3)保険でカバーされる額を制限するなら、少額部分の保険免責制
 現在は、医療を受けた場合の自己負担の率は年齢や収入ごとに1割~3割と決まっていて、風邪の診察だろうがガン手術だろうが同じ負担率です。


 そういう仕組みに慣らされていてあまり疑問を感じませんが、よくよく考えると、そうである必然性はありません。
 手術で100万円の医療を受けたら保険がきかないとたまりませんが、風邪で内科に行って数千円ぐらい、保険がきかなくても困らないという考え方はあり得ます。


 以前書きましたが 、社会保障の本来の役割は「リスクに対する保険」であるわけで、数千円ぐらいリスクとちゃうやろ、というわけです。


 そういう考え方で、保険でカバーする額を減らそうという動きがあります。
 「安い医療は全額自己負担!」というのはさすがにひどいので、1回数百円までは保険では払わないという「保険免責制」という形で主張されています。


 例えば、1回1,000円まで保険免責したとして、自己負担の額を見ていきましょう(自己負担率3割の場合)。


【5千円分の医療を受けた場合】
  現行    5,000 × 0.3 = 1,500円
  保険免責 (5,000-1,000)× 0.3 + 1,000 = 2,200円


【10万円分の医療を受けた場合】
  現行    100,000 × 0.3 = 30,000円
  保険免責 (100,000-1,000)×0.3 + 1,000 = 30,700円


 要するに、1回当たり一律700円自己負担が増えます。
 結果として、高額の医療を受けた場合は誤差の範囲ですが、低額の医療を受けた場合は目に見えて負担がアップするという形になります。


 (2)の自由診療化が高度で高額な医療での費用減を指向するのに対し、こちらは低額な医療での費用減を指向するという、もう1つの大きな方向性です。



3.個人的には少額部分の保険免責制を支持
 ということで、「効率化」だけでは足りず、医療にかかる費用をもっと抑制したいなら、大きな方向性は2つ。

 高額な側で削りに行く(高度医療の自由診療化)か、低額な側で削りに行く(1回数百~千円の保険免責制)か


 もちろん効率化だけで済めば万々歳ですが、どちらかを選ばざるを得ないとすれば、私は、低額な側で削りに行く保険免責制を支持します。


 社会保障の本質は、「リスクに対する保険」です。
 重病というリスクが現実化して「良い医療があるんだけど、良い医療保険に入っていないので受けられません」と言われる人がいるのは、私には堪えられません


 逆に、医療に数千円程度かかるのは何らリスクではなく、他の支出と天秤にかけて、病院に行きたきゃ行けばいいし、食事や携帯電話に使いたきゃそうすりゃいい、病院に行きたくなるよう保険でゲタを履かせるのは大きなお世話だ、そう思います。


 えっ? 高い保険料を払ってリスクに備える覚悟のある人が、その覚悟のない人と同レベルの医療しか受けられないことこそ堪えられない?
 なるほどぉ、確かにそうかもしれませんねぇ。価値観の相違ですね。


 それはともかく、保険免責制も、実現に向けたハードルは高いです。
 昨年、外来診療1回につき100円を徴収する「受診時定額負担」という、保険免責制に似た仕組みが提案されましたが、見事につぶされましたから。


 仮に導入されていれば、1回100円の負担で、4,000億円の医療費が削減できたそうです。


 お年寄りや病弱な人の負担は大きいとか、軽い病気での受診を避けると重症化してからの受診が増え(風邪は万病の元)かえって医療費は増えるとか、いろいろ反対の理由はあるのでしょうが、100円ですけどねぇ……。


 反対の急先鋒、日本医師会が出した反対ペーパー にリンクを張っておきます。


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 今回、私が伝えたかったのは、自分の主張ではなく、
 ・現に政府がやろうとしているのは「効率化」
 ・効率化で足りないなら、高額側の自由診療化か低額側の保険免責制
という、医療の抑制の手段についての選択肢です。


 効率化で済めばそれに越したことはありませんが、そう甘くないでしょう。
 皆さんは、どういう社会を望みますか。


(1)受けたい医療は制限せず、そのために必要な負担増を受け入れる社会
(2)貧しい人は最先端の高度な医療は受けられなくなる社会(自由診療化)
(3)軽い病気の自己負担が増え、気軽に病院に行けなくなる社会(保険免責制)



 ということで、ここまで順に年金と医療を見てきました。
 次回からは、生活保護などの貧困者へのセーフティネットについて。