議事録作成かぁ……そういえば自分も作ってなかったなぁ | 霞が関公務員の日常

議事録作成かぁ……そういえば自分も作ってなかったなぁ

 政府が東日本大震災に関連する会議の議事録を作っていなかった、というニュースがありました。


震災関連会議、10組織で議事録作らず(1月27日読売新聞)

 政府は27日午前、東日本大震災に関連する10組織で会議の議事録が未作成だったとする調査結果を発表した。

 このうち、首相が本部長を務める原子力災害対策本部、緊急災害対策本部、防災相がトップの被災者生活支援チームの3組織では議事概要さえなく、2組織は議事概要の一部を作成していただけだった。

 民主党政権のずさんな対応は、震災対応を検証するうえで支障となる。野田首相は同日の国会で陳謝した。


 1000年に一度の大地震、未曽有の原発事故という歴史的事態であることを考えれば、記録を残して将来の検証に堪えるものにしておくべきなのは間違いない

 多忙を極めたという理由はあったとしても、ICレコーダーだけ置いて録音だけしておくとか、やり方はあったはず。批判はまことにごもっともだと思います。


 さて、この件そのものへ感想はそれで終わり。今回書きたいのは私自身の経験。
 私は数年前に内閣官房に出向し、この手の首相官邸で行われる会議の事務局を多数やりましたが、そういえば昔も議事録は作ってな
かったね、というお話。



 私が内閣官房に出向したのは2回。2003年~2005年の2年(小泉内閣当時)と、2008年~2009年の1年半(福田内閣、麻生内閣当時)


 私がいたのは、全省庁からの課長級1~2人と課長補佐以下1~2人、計40人程度の出向者を、事務次官級のトップ2人が率いる組織

 社会保障だのIT戦略だの地球温暖化だの、首相や官房長官が出席して首相官邸で行われる会議は基本的にその組織が事務局をしていました(専門の事務局が置かれている閣議、経済財政諮問会議、危機管理関係の会議を除く)。


 民主党政権になって、政治と官僚の関係も変わったし、国家戦略室ができたり組織も大きく変わったので、いまどうなっているかは知りませんが。


 さて、私がいた組織では、議事録の作成について、おおむね次のような習わしがありました。
 ・有識者で構成される会議は議事録を作成する(速記を入れて録音もする)
 ・大臣など政治家で構成される会議は議事録を作成しない(録音もしない)


 今回の震災関連でも、有識者で構成される「復興構想会議 」は議事録を作成していますから、同じような習わしに沿っていたと想像されます。

 なぜ政治家で構成される会議の議事録を作成しない習わしなのか、定かではありませんが、理由はおそらく次の3つ。
 ・議事録を作って公開することで大臣の発言を縛るから(作るべきでない)
 ・作っても役に立たないから(作っても使い道がない)
 ・作らなくても誰が何を発言したかはだいたいわかるから(作らなくてもわかる)



 まず1つ目。

 誰でも、自分の発言をメモ・録音されて公開されるのは嫌います。人気商売である政治家は特にそうです。


 公開されるとなれば、発言内容は街頭演説や国会答弁のような当たり障りのないものにならざるを得ません。

 街頭や国会ならともかく、政府内部で大臣がよりよい政策を求めて議論する際に、当たり障りのないことしか言えないのでは問題です

 ということで、事務方が議事録を作ることで大臣の発言を縛ることのないように配慮しているものと推察されます。


 民間企業なら重要な会議の議事録を作るのは当然という意見も散見されますが、じゃあ、ぜんぶ公開する前提でもそうかというと、そうではないでしょう。
 政府は、情報公開法ですべての資料の公開が義務付けられているのが民間企業との大きな違いです。なので、公開すると発言の一部を
切り取って批判を受けそうな議事録の作成には、どうしても慎重になりがちです



 2つ目。

 議事録って作るの面倒なわりに、使い道がなくて役に立たないんですよね。

 政策の決定までの過程で誰が何を言おうが、結局は最終的に決まって合意したことだけが重要ですから。


 合意の内容に影響しない発言を記録しても、後で使わないんですよね。
 歴史的検証の役に立つかもしれないという意見もわかるのですが、内部の会議で○○さんが何を言ったなんてことを検証する意味がある場合はごく限られます。


 なお、有識者で構成される会議の場合は、発言内容をまとめる形で報告書にするので、議事録がないと困ります。報告書の案が書けませんから。



 3つ目。

 ぶっちゃけ、大臣が何を発言するかは予想できます。だいたいは事務方の振り付けどおりに発言しますから。

 事務方が振り付けたペーパーはこっそりもらっているので、要するにペーパーのとおりねということで、議事録を作るまでもなく誰が何を発言したかはわかります


 当然、振り付け以外のことを発言することもあります。
 その場合はもちろんメモを取りますが、わざわざ議事録までは作りませんね。



 ということで、私が所属していた組織では、大臣の発言を縛るから作るべきでない、作っても使い道がなくてムダ、作らなくても発言はわかるので作る意味がない、という3つの理由のためなのか、議事録を作成しないのが習わしでした。


 私が担当していたのは、平時の時間的余裕がある状態で行われ、お約束の茶番のような発言が続く会議だったので、それでもよかったのでしょう。

霞が関公務員の日常 ←「茶番」のイメージ画像


 ただ、これがもし緊急時で、予測のつかない大臣の発言で即座に事態が動くような会議でも、議事録がなくていいんだろうか、という問題意識は持っていました。


 今回問題になった震災や原発対応の会議は、上の議事録を作らない3つの理由がすべて成り立ちません。

 緊急重大事態の会議では議事録で発言を縛られると気にするわけがないし、誰が何を言ったかを検証する歴史的な重要性は明らかだし、発言の振り付けもないので作らないと発言内容がわからないし。


 ということで、今回の件については、最初にも書いたように、議事録を作って将来の検証に堪えるものにしておくべきで、批判はまことにごもっともだと思います。


 さらに言えば、「今回は緊急重大時で歴史的重要性があって発言の振り付けもないので議事録を作ろう」なんてことを、その場で的確に判断するのも難しそう。
 平時から議事録を作っておく習わしにしておくのが、やはり正しいのでしょうね。


 う~ん、どれぐらい詳細な議事録を作るべきか、悩ましい会議もありそうですが…



 何だかよくまとまりませんでしたが、今日の結論は、
 ・議事録は必ず作るようにしましょう
 ・首相官邸の会議の議事録を作らないのは、昔からよくありましたよ
ということでしょうか。