大学での講義

癌との闘病生活を始めて1年が過ぎた。余命半年から1年と言われ1年が過ぎた。未だに健在でブログを書いている。自分の生きた痕跡を残そうとブログを書いているが、いつしか抗がん剤治療の副作用との対処方法や医学的な知識が増えてきた。闘病生活に慣れてくると意外や意外、講演の依頼や大学の授業の依頼が増えてきた。講演は市民向けで同じように病気で苦しんでいる人々が聴衆である。また大学は薬学部が対象である。共に患者の視点に立った抗がん剤治療の話である。更に、現在の暮らしの取材も多くなった。季刊誌「楽」から取材依頼が来て話すことになった。

横瀬浦での暮らし

西海の人々

不思議なことで死を目前に意識した時から、生の使命が次から次へと与えられる。まーー、これも与えられた人生だから流れに任せ、身体が動く範囲で貢献したいと感じている。

 

 

植物との会話

夏野菜を作っている。キュウリ、ナス、トマト、シソ、枝豆などである。その他、安納芋とかもある。比較的少ない種類である。多くの人は、それに加えてカボチャ、スイカ、オクラ、ピーナッツを植えている。四季折々に植える野菜が違ってくる。土づくりから始まり、肥料、そして苗植え、根が張るまで風や雨、それに害虫と睨めっこしながら手を加えないといけない。農業は演繹的で努力しないと実らない。愛情が必要とされる。ウッカリ手を抜くとキュウリはヘチマやゴウヤの大きさに変身する。脇芽を丁寧に管理しないとジャングルになる。害虫や病気になると途端に葉が枯れる。とにかく観天望気によって注意深く野菜を観察しないといけない。

また土地の人は、ビワを収穫しない。ビワゼリーなど一個100円ほどの代物も収穫しないで鳥の餌となる。

贅沢な暮らしである。今の時期は海に行けば、イサキ、アジ、鯛が釣れる。かご漁をするとメジナ、アラカブ、メバル、タコが入っている。時にはワタリガニが入っている。

 

そんな暮らしをしながら癌との闘病生活だ。延命治療で抗がん剤点滴を繰り返し、1年が過ぎようとしている。余命、半年から1年と告知されて1年が過ぎた。これからの余命は誰も解らない。意外と自分自身が身体の変化から一番わかるのかもしれない。夏野菜と毎日会話しながら野菜の健康的な成長を見守り、それと同時に身体の調子をうかがい、暮らす日々である。どうなる事やら……‥。

ひこばえ 第1回しゃべくりナイト

切り株などの根元から生える新芽のことを「ひこばえ」と言う。主催者ひこばえの谷川さんが、九死に一生を得た経験からつけた夫婦で運営しているCafeの名前である。パン作りにこだわり、有機野菜を栽培し、森のポツンと一軒家で暮らしている森林浴ができる素敵な店である。

cafe-hikobae.comFacebook

 

谷川さんと何気ない人生の話をしていると「人との出会いによって、誰にでも今がある」ということになり、それをテーマにしたトークショウをしたいということから闘病生活をしている私が第1回目となる定員20名からの会が始まった。

 

話の内容は、私が闘病生活の暮らしの中で人生を振り返ると多くの人との出会いによって、現在の私がいるのを改めて再確認し、節目節目で出会った人によって大きく人生が変わる話しである。

 

癌によって半年から1年の余命宣告を受け、心と身体が切り倒されてから、次第にひこばえの小さな小さな新芽を出して、闘病生活の新たな人生を歩んでいることに感謝と希望が湧いてくる。聴衆の中には、自らの闘病生活と重なり涙を流して聞き入っている人もいた。人は誰にでも波があり再生の人生がある。そして私は、話せるまでに体調が回復したことに感謝である。

 

 

ミモザの家

我が家の玄関の色は黄色である。そして黄色の旗も立っている。幸せの黄色いハンカチをモジった黄色い旗である。実は、フランスのミモザ街道のミモザに憧れて、庭にミモザを植えている。年に一度のミモザが咲き、菜の花が咲いた時に派手な玄関の黄色と旗の黄色がトータルでカラーコーディネートする景観となっている。3月8日は「ミモザの日」であるり、感謝、真実の愛が花言葉である。今年が最後のミモザの花かもしれないと感じる時にインドのガンジーの言葉を新聞で見かけた。「明日死ぬかのように生きよ、そして永遠に生きるかのように学べ」である。

 

第17回目の抗がん剤点滴を終えた。今年からは月に一回の点滴に変わり副作用の苦しさが少なくて済む。過去半年の頑張りのおかげで肝臓、胆のう、十二指腸、大腸、膀胱などに散らばっていた癌が、次第に消えて胆のう部分だけに縮小したようだ。それによって今まで手術が不可能な状態から胆のう摘出手術ができる可能性が出てきた。つまり延命治療から完治する治療へと期待が持てるようになったのである。しかし、いつ思わぬ副作用が起きるか分らないので油断はできない。現在の点滴はイミフィンジ点滴治療へと移行している。

 

冬の蝉

 4週サイクルの抗がん剤治療を始めて約半年が過ぎた。今回で第14回目の抗がんガン剤治療となる。振り返ると最初は癌に対して現代医学の攻撃と防衛の総力戦で癌と戦ってきた感じである。それが、途中で免疫隊が健康な甲状腺まで破壊したために保留となり、攻撃部隊のジェムザール(G)とシスプラチン(C)のGC部隊だけとなり、チラージンS錠125の補給を開始し甲状腺の回復を待って防疫部隊のイミフィンジ(D)を使った。ところが右の耳から夏に一斉に鳴くクマゼミのような高音域の耳鳴りが24時間し始めた。そこで白金を含むCを中断して、GD部隊へと編成し対応している。今後は、攻撃の方法を免疫部隊優先の戦略へ変える予定である。そして免疫部隊を増強して半年後の6月頃に抗がん剤治療を終了し、自然治癒力(体内にある免疫力による攻撃)へと移行する計画である。それと並行して、いつでも在宅介護で寝たきりになっても直ぐに対応ができるよう市役所に介護保険の申請をした。今、余命半年から1年と宣告されて半年が過ぎている。果たしていつまで生きることができるのか楽しみである。70歳であることから、お迎えが来たときは、留守にしていると言いたい。

鬼火焚き

 

 

 

 

 

 

癌との暮らし⑥

抗がん剤治療⑩回目となる。腫瘍マーカーCA19-9の数値

5月30日 11,095u/㎖⇒11月14日491u/㎖となった。ここ1か月で激減している。少しずつ抗がん剤治療の効果が出てきている。そして抗がん剤治療薬と体の相性も良いようである。そして問題の副作用は、シャックリ、目のかすみ、編頭痛、便秘が起きる。運よく髪の毛が抜けないことが精神的な負担を軽くしている。私は癌患者であることを公開して生活していたが、最近では聞かれるまでこちらから癌患者であることを敢えて話さないことにしている。次の段階に差し掛かっていると言える。癌患者の精神世界も段階があって、その都度、変化にそった対応が必要となる。医療現場では、段階ごとのエビデンスがあり、おおよその予測がつくが、心の世界はまだまだこれからである。腫瘍精神科学がこれからの課題であり遅れている。これを患者視点から精神科学をまとめる必要がある。それが私の役割なのだろう。

気晴らしにみなで絵を描いた。

 

 

 

【進行性胆のう癌】ステージ4

先日、抗がん剤治療8回目を終了した。GC療法とイミフィジン療法の3種類の抗がん剤点滴だ。最近、少しずつ副作用との使いあい方が解ってきて、副作用の痛みやだるさが解消されつつある。(↓の崩し文字)

しかし抗がん剤治療により、健康な部分が破壊されている部分もある。甲状腺ホルモンが出なくなった。したがって生涯にわたって甲状腺ホルモンを薬(チラージン)によって補給しないといけない体になってしまったのである。

シャックリは3日ほどで収まる。便秘は1週間で治る。熱は無い、しかし頭痛と倦怠感が取れない。常に頭がボーッとしている状態である。それ以外は、吐き気がなく、髪も抜けなく至って健康であり、毎日、元気に海まで散歩をすることが楽しい。

(↑ バンクシー展 ハウステンボスにて)

文章を書いたり美術館に行ったり、そしてスケッチをして過ごしている。いずれ書籍を出したいと考えている。

抗がん剤治療の副作用

 私の場合、ステージ4であり根治できない「進行性胆のう癌」のために延命治療としてGC療法とイミフィジン療法の3種類の抗がん剤を使って治療している。

 GC療法は、癌に直接働きかけて発生を抑制するもので、イミフィジン療法は、癌に対する自分自身の免疫力を高める療法である。

 私の副作用は、①シャックリがでる。これは吐き気止めの薬を用いている薬の影響である。②身体のだるさ ③偏頭痛、それに④便秘 この4点ぐらいになる。

 

運よく、髪が抜けないし、吐き気もほとんどない。しかも定年退職をしており仕事もないので癌患者として楽な日常生活を送っていると言える。

 

多くの人のブログを拝見すると吐き気が酷い、味覚が変である、そして髪が抜けるなどの苦労は計り知れないものがあるようだ、それが私には無いのが救いである。一口に副作用と言っても人によってバラバラである。

 

しかし、毎回 微妙に副作用が変化する所に注意が必要だと言える。

 

【アラカブのケーキ】        ケーキいわした

 

【抗がん剤治療の副作用】

ステージ4の進行性胆のう腫瘍に対して抗がん剤治療を受けている。GC療法とイミフィジン療法の3種類の抗がん剤をCVポートから点滴している。そして私の場合は副作用として、毎回 違う症状がでる。①毎回シャックリが3日間起きる。②身体が重く頭がボーッとしている。③便秘になる、そして④時々、足と顔のむくみがでる。大体 ①から④の副作用である。それも1週間で治ってくる。そして治った2週間後に、新たな抗がん剤治療が始まる。この繰り返しで4か月が過ぎた。幸いなことに髪の毛が抜けることは無い。そして心は至って元気である。うつ病になることもなく、自閉症になることもない。

毎日、八の子島まで散歩して心地よい風に吹かれながら日々を暮らしている。兎に角、本を書いている。今まで整理できていないことを時系列で整理している。そして多くの人々が東京や京都など遠くから見舞いに来ていただき、恐縮している。感謝ですね。

「進行性胆のう腫瘍」

余命半年から1年と宣告された時から死が身近に感じる。

 

と同時に生きるとは何なのかと問いかけられている。

信じられない善意に溢れた人々に支えられた結果、今がある。それに対する深い感謝の気持ちを味わい、今までに出会った人々との関わりを知ることで自分が存在する意味を醸し出してくれる。

 

人生は意外と無駄がない

その時、気づかない浮き沈みは全て意味が在り、それをどのように受け止めるかによって人生が形成されていく。

今はステージ4の根治しない身体ながら、抗がん剤治療を受けて延命治療を楽しみたいと考えている。

 

根治しない延命治療なら副作用が少なく、できるだけ楽な日常生活が送れる抗がん剤治療を楽しく、しかも長く続けて延命したい。

 

そして残りの人生を癌患者は則、「死」のイメージに写る社会的な偏見を無くし、誰にも普通に起こりうる出来事として日常を発信したいと思う。