宮城県多賀城市の被災地へ  前編 by 山中コ〜ジ | GENETO

宮城県多賀城市の被災地へ  前編 by 山中コ〜ジ

宮城県多賀城市の被災地へ行きました。
そもそも行くことになった理由は、ひとつのメールをGENETO BLOG(3月24日)に掲載した事がきっかけでした。
それは、宮城県多賀城市で今回の震災で被災された方からのメールでした。

このメールを掲載した事で、僕の知人数名から義援金が手元に届きました。
そこで、僕の関わっている様々なイベントから集めたお金をその地域へ送ろうということになりました。

最初に動いたのはAS2(アートを肴に酒を飲む)です。
その後、京都アートカウンシルが加わったりで、京都の一部ではあるものの、ひとつの力になりそうな動きです。
今回はそんな事からある程度集まった義援金を現地にお届けする事と、現地の状況についてしっかりと知って来ようという想いからでした。

そんな事から、AS2メンバーで他にも活動をしている有志で被災地へ行きました。
近藤泰岳/竹本新吾/門谷和泉/僕の4名です。

京都から目的地までは約800キロあり、行くのに12時間かかりました。
途中、車中泊をしながら行きました。

$GENETO-宮城県多賀城市


高速道路を走っていると北陸辺りから救援の車とすれ違いだしました。
だんだん被災地へ行くんだと、実感が湧いてきます。

宮城県に入ると、高速道路から津波で押し流されたエリアが見えだしました。
テレビでは見ている被災地の様子ですが、実際に見ると言葉を失います。

宮城県多賀城市内は、一見復興したかの様に見えます。
しかし、よく見ると建物一階の硝子が全て割れていたり、軒に車が引っかかっていたりしていました。
海岸近くまで車を走らせると、道路の脇には津波で流され大破した車の残骸がそこかしこに見えます。

4名とも複雑な気持ちで車窓から被災地を見つめました。
途中、車から降り何も無くなってしまった住宅地の後を歩きました。

$GENETO-宮城県多賀城市

これほどまでに自然は恐ろしいものなんだと実感します。
巨大な津波は、情け容赦なく人や住宅や車など、人の生活感や思い出など全て、何も無かったかの様に流しています。
残ったのは微かな残存の様なもの。
自然は本当に人間では操作できないことを、痛感させられます。

$GENETO-宮城県多賀城市

誰かが戦争の後みたいだと、テレビを見ながらつぶやいていましたが、何とも言葉で表現し難い風景であり、ただただ心を整理するばかりでした。

$GENETO-宮城県多賀城市

実際に行く事で分かった事は、津波で流されたエリアから通りを隔てると、全く何もなかったかの様な風景だった事です。
勿論でしょうが、津波が来たか来なかったかは、紙一重の場所もあったという事です。
ほんの少しの差が人の生死を分けたんだと。
日頃感じない事ですが、死や生という誰もが持つ運命は、如何に我々のすぐ側にあるものかを実感しました。
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GENETO BLOG(3月24日)



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