前回から数えると二日ぶり?
いやまぁ、気まぐれに書いていくんで毎日は書きませんが。

私ね、文章書いてる時の文体って言うんですか、読みにくい気がしているんですよね。

 

自分が物書きを自称していることもあって、たまに気にするし、自分の書いた夢物語を読み上げて振り返るのが好きなんですけれども。

皆さんは文章を書くときに、句読点に気を付けて書いたことはありますか?

私は出来るだけ読みやすいように心がけて句読点を打つようにしています。

というのも、幼少期の自分の文章はあまりにも句読点が無さ過ぎて読みにくかったり、逆に切り過ぎて読みにくかったり、と言うのを経験してきました。

一文、一文、話題の転換?や区切りごとに「、」を打つように気を付けています。

そして、文の終わりには「。」を付けますが、「。」ごとに段落を変えているのが個人的に気になったのが、今回の話題のきっかけです。

 

「こんな形で『人の言葉』として文章を打つときは、変に区切らないように気を付けるんだけど、こういう言葉って長くなりがちだよね。でも、段落変えないほうが一人の言葉として読みやすいのも事実なんだよね」

で、セリフという形で文章を書く場合、ある時から気を付けるというか、やらなくなったのは「」の文の最後に「。」を付けなくなったことですね。

昔、夢物語を書いてる時はよく「~~。」という書き方をしていたのですが、専門学校で物語構成や文章の書き方のようなものを学んでから「~~。~~」という書き方をするように心がけるようになりました。

あとは、箇条書きにならないようにする、ということもですね。

 

それこそ、専門学校時代の文章構成的な授業で先生に「箇条書きになることが多い」と注意されたことがきっかけで、「箇条書きとは?」を考えるようになりました。

私が物語を書くにあたって、今まで自己流に書き殴っていた内容のほとんどは登場人物の一人の視点や、俯瞰視点での物語が多く、その両者の視点が混ざり過ぎていて読みにくいとも言われたことがあります。

どちらかに固定するよう気を付けたこともありますが、その過程で箇条書きにならないようにとも言われたような記憶。

 

当時は本当に「箇条書きとは?」を学んでもどういうことか分からなくて頭を抱えました。

体言止めという文法を多用しすぎていることがきっかけだったのかもしれません。

「~~していた。~~する。」そういう形の文章が体言止め、だったはずです。

未だに曖昧な形で記憶していたり、間違って覚えたままだったりするので、自身は全くないですが。

何せ、授業として学んでいたのはかれこれ7年も前のことですから。

 

専門学校に通っていたのが7年も前とは…。

卒業は出来ましたけれど、卒業式には出ていないのでね。

当時の同期たちと合わせる顔が無かったので出なかったというのが事実です。

入学時とは違う学科での卒業ですし、転科した学科に同期は居ませんでしたし。

その学科にとって、私の存在が異例だったようなものです。

学校の名簿としてデータ上の所属は同期と同じでしたが、実際の時間割は転科した年に新設された学科の時間割でした。

それでも生活リズムというものは直らず、仮病欠席、無断欠席、授業遅刻はほぼ当たり前でした。

ラノベ作家を先生としていた授業も同じ学科の後輩と二人。

その後輩は授業内容が合わなかったのか、途中から授業を受けなくなり(事実上の理由は不明ですが)、結局私一人になってしまって、先生を怒らせて帰ってしまわれる事態にもなりました。

私の行動次第で翌年のその授業の存続を問われることになり、責任重大となったのですが、結局のところ今でもその授業が残っているかは不明です。

一応、私が宿題という形で物語を書いて、それを提出し添削してもらうという異例な形でその年は存続させてもらいました。

その先生には本当に申し訳ないと思う反面、私はその授業が好きだったんです。

厳しいながら、作家としての先生の目線で、物語を添削してくれる、それが非常に勉強になりました。

先生の書かれたライトノベルも内容にハマりましたしね。

読書感想文も宿題としてあったくらいです。個人的には得意な部類でした。

 

 

私が専門学校に入ったきっかけは声優を目指していたからです。

声優科のある授業で、自分の書いた台本を読んでもらうことがあり、それが転科する理由の半分でした。

もう半分は苦手な同期との舞台練習の苦痛でした。

声優という職業は諦めたわけではありませんが、個人的には向いてないというのが事実だったと思います。

声優にはなれなくても、声を使うことって結構あるので、それなりに考えてできることに挑戦していきたいですね。

 

私が声優に憧れたのって、顔を出さなくても仕事ができることだったのですが、今の声優って顔を出すのが当たり前じゃないですか。

俳優と全く同じ環境なのが、今の声優という職業なんです。

俳優よりアイドルとかの方が近いかもしれませんが、今の声優という職業に私の憧れた面影はありません。

当時もそういう風潮は強かったですが、比較的裏方という認識が強かった時代です。

時代は移り変わるんですね、仕方の無い事です。

 

 

 

 

私は今、二次創作の物語を実妹と構築中だったりします。

作品としては「黒子のバスケ」「家庭教師ヒットマンREBORN!」「夢王国と眠れる100人の王子様」「夢職人と忘れじの黒い妖精」「ウインドボーイズ!」辺りが今の主ですかね。

自分の中のオリジナルキャラクターは、元は完全オリジナル…というかリアルをモデルとした派生が最初でした。

そのオリキャラと結びつけ、世界を広げたのが「家庭教師ヒットマンREBORN!」という男子中学生が主人公を務めるマフィアのお話。

二次創作としてオリキャラとオリジナルの視点を生み出したのが、同じ「家庭教師ヒットマンREBORN!」でした。この話は中1の時に生まれて6年近く書き続けて、今凍結中の終わりの見えない物語です。好きなのでいつか終わらせたいのですが…。

未だに派生を生み出し続けてるオリキャラの原本的な素体が生まれたのが、「黒子のバスケ」を主体とした二次創作です。

私”舞香”と共に”管理人”として存在する”霊姫”も、二次創作内のオリキャラが素体です。主役の6人の中でもお気に入りの子を”管理人”として一部要素だけを抜き取って置いています。

今こうして文章を打ち込んでいるのが”私”として、「こう喋る形で管理していたり、素体や物語内部で管理する係が”俺”って感じ」と思っていただければ幸いです。

 

私には”私”という人格と”霊姫”という人格、その二人が管理する”管理室”とそこから派生し扉で繋がる”二次創作物語”という世界が複数、実妹の世界とつながる”道”、複数ある扉の先の世界のキャラが別の世界のキャラと会話する”管理室”の真下に位置する”ロビー”及び”談話室”のような空間が存在しています。

電脳空間のようなものを思い浮かべていただければ、わかりやすいのかなと。

イメージ画像として何かしら作れたらいいのですが…いかんせん、そういう造形には弱くて…。できないわけではないんですがね、脳内の物を具現化するのがどうも苦手なようで。

二つの人格、管理室、複数の世界までは自覚しているのです。

今こういう形で紹介するにあたって、”道”、”ロビー及び談話室”というのはこの場で形作ったようなものです。存在していることは確実ですが、不明瞭で説明するにあたってなくてもいい空間でした。

ただ”管理室”と世界へ繋がる扉が同じ空間にあってはならないという認識なので、真下には合流する空間はあるなという認識でした。

そして、実妹の世界と繋がる”道”。これは”管理室”と直接繋がってるイメージです。

管理人である”私”が移動し、別の管理室で”実妹の管理人”と世界を構築する、そんな感じ。

”管理室”と真下の空間とは直接の繋がりはありません。”管理室”にはポッドのようなものが存在しており、これを通じて下界に降りる感じでしょうか。それをイメージしてもらえると。

普段この”管理室”には”私”のみが存在しており、もう一人の管理人である”霊姫”は存在していません。なぜなら、彼の素体は”管理室”には無いからです。

正直、私自身も確認はしていませんが、彼自身の素体は真下にある”ロビー”か、メインとなる二次創作世界の中にあります。

私の中の電脳空間の話は、またいつか詳しくメインの話題として置いておきましょう

 

 

 

流石に長くなりました。

今日はここらでお開きとしましょう。

気に入ってくれたなら幸いです。

ではまたいつか、おやすみなさい。