「マンちゃん、その痣、どうしたん? 昨日まで無かったよな?」
「ん? あ、ほんまや。なんでやろな?」
「マンちゃんも気づいてなかったんか」
「気付かんかったわ。でも、あれやんな。痛みないから、どっかでぶつけたとかそんなんちゃうみたいやわ」
「マジで? 痛そうに見えんねんけど、痛くないんや」
「痛くは…ないな」
この時、俺は知らなかった。
これが奇病だと。
奇病に気づいたのは…しばらく後のこと。
「んー、最近肩重いなぁ…」
「どうしたの?」
「あ、外道ちゃん。なんかねぇ、数日前から腕が重くて、作業が進まないんだよね…」
「マジで? 何かあった?」
「そういえば、この前…大先生が俺の腕にあった黒い痣を気にしてたかな」
「黒い、痣…。何かで見た気が…」
「何か知ってるん?」
「何かで見たんだけど、ちょっと待ってね…」
「無理して思い出そうとしなくてもええで?」
「いや、結構大事だったと思う。黒い痣…あっ」
「思い出した?」
「図書館に奇病に関して記された本があったのを思い出した。マンちゃん、一緒に行こう」
「あ、うん」
外道ちゃんに連れられやってきた街の図書館。
「えっと…確かここに…あれ?」
「どうかした?」
「誰か借りて行ったのかな…」
「ん? ひとらんとオスマンやないか。こんなところでどうしたん?」
「トントン、ここにあった奇病の本知らない?」
「あ、俺が読んどったわ。なんかあったん?」
「トントンだったのか。いやね、マンちゃんが腕が重くて作業が進まないってさっき言ってたから、何かないかなって。腕に黒い痣があったみたいだし」
「まぁ、せやね」
「黒痣に関してはこの本にあったな」
「ありがと。ところで、トントンは何でこれ読んでたの?」
「大先生がな、グル氏の様子がおかしいからって相談しに来てん。噂に聞いてた奇病となんか関係あるんかなって、調べてたんよ」
「そっか。そっちはそっちでお大事に」
「そっちもな。後は家帰って調べてみるわ」
「うん、ごめんね」
「気ぃ付けてな」
「奇病ってそんな大変なことなんか?」
「物によっちゃ完治しない。むしろ薬が見つからない可能性がある」
「そっかぁ」
「えっと…黒痣…」
一緒になって本を覗き込む。
奇病に関しては外道ちゃんが一番詳しい。
俺は…普段より微かに力の入らない左腕を気にかけながら、様子を見た。
「うわ…最悪。星のかけらなんて見つかりっこないじゃんよ」
「進行すると…体が、動かなくなる…」
「神経系の奇病は本当に難しいんだよね。薬を見つけるどころか、治るかどうかすら危うい」
「……」
言葉を失っていた。
現時点で左腕の感覚が麻痺しつつある。
いつか身体が動かなくなって、寝たきりになって…結果衰弱死とか、普通にあるだろう。
そんな余命宣告のような奇病を目の当たりにして初めて、どうしたらいいか本気で悩んだ。
「グルちゃんの様子もおかしいとか、すごい気になるなぁ。…マンちゃん?」
「ん、あ、あぁ…、ごめん」
「珍しいね、結構悩んでるなんて」
「俺、死んでまうんかな」
「…え?」
「この記述を見る限り、進行には個人差があるらしいけど、早い人は数か月で全身やて」
「嫌だよ、俺。マンちゃんが居なくなるなんて」
「そんなこと言われてもなぁ…星のかけらやろ…? 一体、どこにあんねん」
「何もしないで死んじゃうのは絶対嫌だよ。動ける間にできることやろう」
「ひとらん」
「何?」
「…何でもない。大先生たちの様子見に行こうか」
「そうだね」
左腕の感覚が無くなりかけてることは言えなかった。
きっと、これからも言えない。
手遅れになる前に言わなければ。
動かないというより動かせない。
つまり、感覚が無くなるのと同じ。
薬を見つけなければどうしようもないだろう。
…とりあえず、今はトントンの家に向かってる。
ちなみに奇病に関して書かれた本は借りてきた。
「トーントン、様子見に来たよー」
「…おう。大丈夫やったん?」
「本なら借りてきたから大丈夫やで。大先生は家?」
「自宅やろなぁ。もしくはグルさんとこ」
「グルッペンの症状もそんな酷いん?」
「あの人、確か甘党やろ? 大先生が言うには、甘いもんをすすんで取らんくなったとは聞いた」
「さっき見た。進行度によって味覚が変わるタイプの奇病。グルッペン、もしかして奇病患ったんちゃうん?」
「かもしれんな。パソコンで調べてんけど、あんまり出てこんでな」
「甘い物を食べへんとか、グルッペン先生ちゃうで。俺、行ってくるわ」
「え?」
「ひとらんも行ってあげた方がええと思うよ。正直言って…オスマンも長くないかもしれんで」
「ど、どういうこと?」
「気付いとったかは知らんけど、さっきから左腕庇ってんねん。図書館に居た時からな」
「そんな…。じゃ、じゃあ…」
「その本が正しいなら、黒い痣の出る奇病は感覚を失くしていくタイプの神経系の病気。なら、全身の感覚が無くなった時、どうなると思う?」
「歩けないどころか立てないし、起きれないのか…」
「せや。進行度には個人差があるらしいけど、大先生がオスマンの黒い痣を見つけたんが一週間前やったらしいし、最悪腕が動かせなくなっててもおかしない話やで」
「そっか…。どうにかして薬を見つけないと…」
「薬のことやねんけど…」
「ん?」
「グルさんの病気がとある奇病やとしたら、同じものが必要になるねんな」
「複数必要ってこと?」
「場合によっては一つしかないかもしれへん…これがな、奇病の難しいとこやねん」
「…正直、譲りたくはないよね。一つしかなかったときは」
「まぁ、覚悟しとくわ。心配なら早う行ってやり」
「唐突に来てごめんね。じゃあまた」
「おう」
もし、グルッペンがあの奇病だとしたら、まだ猶予はある。
自我があるだけまだマシ。
俺は、薬が見つからない限り、死を待つのみ。
どうにもならない。
腕は動かしづらくなってきている。
時間がない。
一刻も早く…手遅れにならないうちに、会いに行かなきゃ。
「確か…この辺やったっけ、グルッペンの家って…」
「ん、マンちゃんやん」
「大先生か。グルッペンの様子はどうなん?」
「とんちに聞いたんか。もう家も出られへん状態やねん。さすがに、外出は躊躇うわな。あの状態やと」
「どんな状態なん?」
「会ったほうが早いで。まだ、とんちにも会わせてへんねん。マンちゃんなら少しは会話もしてくれるんちゃうんかな…」
「深刻やな…」
大先生に案内されるまま、グルッペンの家へと入る。
机にパソコン。他には戦争に関係した本や資料が散乱していた。
マイクやヘッドホンも置いてあることから、実況を撮る時はいつもここでやってるんだなぁと。
でも、最近は音沙汰がなかった。
音信不通と言っても過言ではない。
「グルちゃんなら寝室。俺もあまり入ったことない。グルちゃん、一人になりたいって言ってて…俺以外とは連絡も取ってなかったみたいやで」
「俺が来て良かったんか?」
「たぶん…」
大先生が扉をノックする。
「グルちゃん、マンちゃんが様子見に来たって。入っても大丈夫?」
『オスマンだけなら構わない』
「だって。俺、外出てるから何かあったら言うてや」
「ありがとうな」
俺を残して階段を下りていく。
グルッペンの寝室は二階。
少しでも外界から離れたいという心の表れだろうか。
「グルッペン、入るよ」
一言声をかけて扉を開ける。
そこに居たのは彼のようで彼ではなかった。
彼の病魔はすでに身体の7割を蝕んでいた。
「グルッペン…それ…」
「こんな姿…さすがにひくやろ? 好きだったはずのケーキ類が不味く感じたんだ。それからこうなるまで早かった。俺…もう何もできないんや…」
「手足が獣のようになる奇病…。さっき本で読んだわ。ほんまにあるんやな…。みんな心配しとったで」
「足も腕も人の原形をとどめていない。手は猫みたいだ…」
「グルッペンは好きだったことができなくなるだけマシやで」
「その様子だと、お前も患っているのか?」
「病院には行った。けど、医者もわからんで匙投げられたわ。でも、奇病であることには間違いない。大先生が黒痣を見つけてから一週間は経った。すでに腕が覆われてる。ほら」
「真っ黒だな。痛くないのか?」
「感覚はない。神経がぶっ壊れてるみたいや」
「治るんだろう?」
「薬が見つかればな。けど、最初のはグルッペンに譲るで」
「譲る…? まさか…!」
「俺とグルッペンの奇病を治すには『星のかけら』っちゅー物が薬になるらしい。そんなもんがあるんなら今すぐにでも見つけに行ってるで。全部、本に書いとった」
「死ぬことは許さない。お前が居なければゲームが楽しくない!」
「まだ猶予はあるって。諦めへんよ、まだ。動ける間に見つけ出す」
「本当に諦めてないんだろうな?」
「本を読んだときはさすがに。ただ、今のグルッペンの様子を見れば、誰しも心変わりはするやろ。発症したの結構前やろ?」
「一か月ほど前にはなるが」
「なら諦めるには早いやろ。大丈夫や、俺達が何とかするから。治ったら先延ばしにしてたHoi実況撮ろうな」
「…オスマン、お前は無理するなよ」
「……」
目を閉じ、考えた。
俺は…生きていたい。
みんなのために死にたくない。
「…泣いてもいい?」
「好きなだけ泣くといいゾ」
グルッペンの優しさに涙腺が崩壊した。
溢れる涙は止まらない。
「独りで抱え込めるものじゃないゾ、これは」
俺が泣き止むまで、グルッペンは頭を撫でてくれた。
数時間は泣いてただろう。
嗚咽も止まり落ち着いた頃、泣き腫らした顔を上げる。
「落ち着いたか?」
「整理はできてないけど…それなりには落ち着いたわ…」
「それはよかった。俺が居ない間は、トン氏と2人で頑張ってもらいたいんだ。あいつらの練習を。こんな状態じゃ、ゲームどころか日常生活もまともに送れないからな」
「外道ちゃんに介護されるか…。それが一番かもしれへんな…俺にとっちゃ」
「そういえば、動画編集はどうなってるんだ?」
「俺がやってた分でいくつかはもうできてる。後は上げるだけ。残りは…誰かに頼むしかないな」
「そうか」
「グルッペン。お互い治ったら一緒にケーキ屋さん数店回ろう?」
「あぁ、そうだな」
「確約はできへんけど、絶対行こな」
「あぁ。必ず、行こう。楽しみにしてるからな」
「俺も」
そろそろ帰るよと腰を上げる。
その時、気づいた。
もう二の腕から先が動かせないことに。
手先は平気なのに、腕が上がらない。
腕の筋肉を必要とする指はほとんど動かないに等しい。
黒い痣はまだ手には来ていない。
恐怖が全身を駆け巡った。
何も…できない。
そればかりが頭を過った。
「オスマン…?」
「……」
「腕、動かせるか?」
「……」
黙って首を横に振る。
「ここに座れ。少しマッサージしてやる」
言われるがまま、グルッペンの居るベッドの端に座る。
動かせない左腕はグルッペンに向いている。
「俺も手があかんからな、まともなマッサージにはならんやろうけど。少しはマシだろう」
「…つらいのに、ありがとうな。グルッペン」
「これが今、俺にできることなら…それをやるまでだ。ゲームやってて辛い顔してる奴を見るのは楽しいが、リアルで辛い顔してる奴は見てていい気にはなれない。それも他人ならまだしも、身内は特にな」
「そっか。グルッペンはほんまに優しいな。俺が女やったら好きになっとったわ」
「そうか? そのままでも別に構わないがな。居るんだろう? 他に」
「気付いた? 心配で急いでは来たけど、やっぱりね。グルッペンは一緒にチーム作った人間やったからさ」
「そうだな。初めて動画上げた時の相手はお前だったからな」
「だからやろうな。ありがとう、ほんまに」
「こちらこそ…だな」
お互いに笑みを浮かべる。
グルッペンのマッサージで左腕は少し楽になった。
「少しは楽になったで。そろそろ帰るわ」
「たまには来てくれ。大先生以外話す相手が居なくてつまらなかったんだ」
「まだ周りに話してへんねんな。わかった。たまーに、動ける間に来るわ」
「ほんまに無理はせんでな」
「わかっとるて。ほなな」
彼は、誰に好意を持っていたのか…。
それはいつか知ることにはなる。
あれはもう隠せるようなものじゃない。
最悪、誰かに住み込みで世話してもらうことになるだろう。
俺も…同じだ。
最後に死ぬかどうかの違い。
どうにもならないことを知っている。
いつか…俺は動かなくなる。
それだけが俺の思考を支配している。
一度…家に帰ろう。
少し重い足取りでグルッペンの家を出る。
外で大先生が一服していた。
「大先生。俺帰るね」
「ん。どうやった? グルちゃんと話せた?」
「いい話したよ。いろんなこと話してくれた。大先生以外に話す気はまだないみたいやね」
「そっか。せや、さっき外道ちゃん居ったけど、さすがに会わせらんなくて、帰してしもたわ」
「どこ行ったんかわかる?」
「んー、家ちゃうんかな。マンちゃんの家やないとは思うけど」
「行ってみるわ。ありがとうな」
「気ぃ付けてな」
少し言葉を交わしてその場を後にする。
向かう先は一応自宅。
何があってもいいように、グループのSNSに言葉を残してスマホをスリープ状態のまま放置する。
家に着くまでに誰にも会わなかった。
ベッドに寝転び、スマホを開く。
既読はいくつか付いてたけど、気になるコメントは特になかった。
神は「大丈夫? ちゃんと治るから、気を落とさないで」
ロボロは「星のかけらねぇ…。結構希少なものだから見つかる可能性は低いけど、探してみるよ」
エーミールは「大丈夫ですか? 時々マッサージしたり、温めたりしてくださいね。星のかけらについてはこちらでも探してみます」
他は何も言ってない。
みんな…こういう時だけ優しいの、なんやろな。
まぁ、これが俺らっぽいけどな。
個別で外道ちゃんにも送る。
「”外道ちゃん”」
『”どうかした?”』
「”ありがとう”」
『”怖いこと言わないで。何かあった?”』
「”腕”」
「”動かない”」
『”嘘でしょ?”』
『”どっちの腕?”』
「”左”」
「”まだ支障が出るほどやないけど”」
「”できれば手伝って”」
『”今から行こうか?”』
「”お願い”」
『”今からって言ったけど、ちょっと待って”』
『”・・・今日泊っていい?”』
「”大歓迎”」
『”わかった”』
『”準備できたらすぐに行く”』
「”誰かに会っても、何も言わないで”」
まだ、会話できる。
それだけが心の支えだった。
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