クリスマスイベントが終わり、世間は年越しまっしぐら。
プライベートでは年賀状を投函し、自室デスク周りの片付けや、リビングの高所ふき取り掃除、車庫の屋根雪降ろし等がまだ残っているので、今度の仕事休みの日に取り掛かろうかと思う。
子ども達は冬休みに入ったが、共働きのためそれぞれ学童や預かり幼稚園に通っている。
地域ではインフルエンザやノロウイルスが流行りだしてきているようなので、家族で手洗い・うがいを励行しているところ。
仕事では、年内の残務処理におわれるとともに、直近のイベントが頭の中を駆け巡っている。
「おーし。今日も一丁女にモテるところ、突いていくか!」
「へい!師匠、お願いします!」
・・・
身内ネタだ・・・
さて、年内に本に関して思うことを3つに分けて述べるシリーズの最後は、「多読からの脱却」について。
多読の定義は置いておいて、私の時間配分の中で、読書が占める時間は多いほうだ。
実はもともとあまり読書をする方ではなく、学生時代や社会人になってからすぐの頃は、ほとんど本を読まず月1冊程度だったと思う。
読書量が増えてきたのは、6~7年ぐらい前だろうか。
当時勤めていたところの集客増を図るため、異業種の取り組みや自己啓発本を読み出したことと、スポーツをしていてアキレス腱を切り、活動量が減ったこと等から読書の時間が増えた。
今では月10冊ぐらいは読んでおり、ビジネス書、自己啓発本のほか、小説や福祉分野、エッセイなども読む。
書かれている内容の中で気に入った表現や、仕事やプライベートで使えそうなところ、人に伝えたい言葉などは、読みながら付箋をつけてエバーノートやワード等に書き出している。
日々、次から次とその繰り返しをしている。
先日のブログで述べた、「読書会」について調べている中で、月間30冊~50冊ぐらい読み、読んだ本の書評をブログに残しているという方がいた。
その方はツイッターもしていて、毎日数時間ごとに、それらの内容のツイートを流しており、私は最初の頃はそれらについて拝見して学んでいたが、途中からなんとなく違和感が生じてきた。
たんたんと読み、パターン化した感想を述べ、その繰り返しを1日何回も毎日のようにしている。
いくら速読とは言え、そこに費やしている時間はかなりのものだろう。
もちろんそのことが悪いということではないし、それぞれの人生なのだから好きな事をすれば良いだろう。
ただ、先に述べたように私にとっては違和感があったのは事実だ。
私のしている事が、ほんの少しだけ重なったように見えたのかもしれない。
私の今年の目標は、年間100冊以上読むこととして既に目標は達成しているが、読書量を多くするということに疑問を持つようになった。
私にとって読書をする時間は、大好きな時間であり、ストレス解消であり、少なからずスキルアップにつながっていると思う。
大好きな時間だから、配分時間を多くしようと思えば好きなだけ時間をかけることができるが、他の事項への配分時間は少なくなる。
ストレス解消にもつながっているが、他の方法、例えばジョギングや家族と接する時間でも同様の効果は得られるだろう。
スキルアップについて言えば、確かに読んだ直後は頭に入っているし、学んだことが自然に自分の言動として表れているかもしれないが、それらはたいてい一時的(一過性)のような気がする。
せっかく学んだことを書き出して記録に残しているのだから、それを有効に使う事の方がスキルアップにつながるのではないだろうか。
そして、何よりも重要なのは、読むことだけではなく、感想を書くだけではなく、読んで学んだことを実生活として行動に移すことではないだろうか。
インプットばかりでは意味がなく、アウトプットが重要なのだ。
読書時間を少なくし他の事項へ配分する、好きなことばかりではなく勉強や新たなチャレンジ、既存の事項に時間を費やす。
何かを始める時や、突発的な事に備えるなど少しゆとりを持つためには、配分時間の調整を図る必要がある。
今まで学んできた事を含めてアウトプットに目を向け、読書量に制限を持たせ、量から質への転換も図る。
新年の取り組みとして、「読書量を月5冊以内」とした。
この取り組みにて多少ライフスタイルが変わることになり、そのことが自分の生活にどのように影響を及ぼすのかは、新年の評価であり、また、新たな楽しみでもある。
おわり