ガロティンのno moneyだけど まぁ呑みねぇ

ガロティンのno moneyだけど まぁ呑みねぇ

フィクション、ノンフィクション、戯言、呟きの延長まで。バツイチ見た目だけちょいワル系オヤジの気ままなブログです。まぁ、酒のツマミ代わりに覗いて行きなよ。酒は自分で用意してよ。

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新しく近くのマンションに越して来たのは
なんと
たまたま昔の知り合いでした。いや、知り合いというか、何年か前に付き合っていた、いわゆる元カノでした。
彼女を見た時すぐ気づきましたけど、何故か気づかないふりをしてしまいました。公園で、彼女がその息子らしきちっちゃな男の子と楽しそうに遊んでいるのを見たからです。彼女は、俺に気づいたのでしょうか。目は合ったのですが、きっとその時は気づかなかったでしょう。
ただ、彼女の息子はとっても人懐っこくて。ボールを持って近寄ってきて
「あそぼうか」というのです。
ちょっと焦りました。こういう時すぐに対応ができないものですねぇ。
でもまぁ、ボールを転がして遊びました。
彼女は微笑みながら、見てました。
その時点では、もうきっと気づいていたでしょうね。
それでも、昔のことなどにはなにも触れず、その日が初対面のように振る舞いました。でも、それはごく自然の行動でした。
公園ではよく二人に会うようになりました。彼女の息子は相変わらず、俺を見ると駆け寄ってくる勢いです。なんだか、不思議な感覚でした。彼女がシングルマザーだっていうことが、なんとなくわかりました。あれ、そういえばこの子、歳が・・・。顔は俺に似てないよなぁ。
彼女はなにも言わずに、ただ微笑んで見ているだけです。変な勘ぐりは、おかしな話ですよねぇ。ある日、一緒に近くのファミレスのランチに行くことになりました。その頃にはもう、幼馴染の友人のような・・・。でも、相変わらず昔の話は何もしていませんでした。オーダーをしてメニューをしまった時に、彼女が唐突に
「ありがとう」と言いました。
「えっ」なんと答えていいのか、何に対するありがとうだったのかわかりませんでした。戸惑う俺をクスッと笑いながら彼女は見ているだけで、それ以上はなんにも言いませんでした。
そんなことがあって、3ヶ月位してからでしょうか、今度は3人で動物園に行くことになりました。なんだか、不思議な関係になっていました。昔は・・・。
でも今は、何なんでしょう。自分の気持もよくわからない状態でした。そして、彼女の気持ちもわからないままでした。
「おじちゃん、こんどボクねぇ、パパが出来るんだよ。そしたらおじちゃんが1番目のパパで、新しいパパが2番めのパパだね」
「えっ」
屈託のない笑顔で衝撃の告白をさらっと言ってのけた男の子を、チンパンジーと一緒に見比べてしまった。
彼女が
「アタシ、今度再婚することにしたの」
俺はゆっくりと
唾を飲み込んでから
「おめでとう」
と言ったけれど、この短い言葉を言うのに噛みそうになったのでした。
そして、笑顔はなぜかこわばっていたのです。
なんで、自分の笑顔がこわばっているのか理解できませんでした。
あの子はじっと俺を見つめて
「パパになってよ」
そういうのです。
なんとも言えない、気持ちになりました。
この込み上げてくるものは何なんでしょう。
なんとか、無理やり笑顔を作って
「二人もパパがいるなんて、ぜいたくだなぁ」
と、いうのがやっとでした。すると、俺の耳元で内緒話のように
「でもね、ホントはもうひとり、どこかにホントのパパがいるんだよ」
彼はそれがどういうことなのかわかっているんだかわかっていないんだか。
ドキッとするのは俺ばかりで、どうしていいのかもわからず。
「ちょっとトイレに行ってくる」とその場を外しました。
洗面所の鏡に映った顔は、なんとも冴えない顔でした。
水で顔をありましたが、冴えない顔は変わりませんでした。
彼女は、俺のことをどう思っていたのでしょうか。いや、俺が思い込みすぎていたのでしょうね。そう、すべては思い込みです。
混乱したまま鏡の自分を覗きこんでいると、彼がやってきて
「ボクもおしっこ」
と言いました。はっと、我に返りました。
その日、別れるときにもう一度
「あのさぁ、ホント。よかったね。」となんとか取ってつけたようでしたが、彼女に言いました。
彼女はありがとうといいながら、微笑みました。
そして、
「アナタはいつもそうね。相手は誰とか。そういうこと聞かないのよね」
「えっ」
「いいのよ、もし、相手を聞かれたらアナタって答えようかと思っていたけれど、やっぱり、いいの」
「あっ、いや」
「ありがとう、おやすみなさい」
混乱した頭の中で、彼女の言った言葉を帰り道ずーっと考えてました。
翌日は、雨が降ってました。今日は、公園にも来ないなぁとぼんやり思いながら、一日部屋の中で昨日の彼女の言葉がひっかかっていました。
そしてそのまた翌日、天気は一気に晴れました。今日は公園に二人も来るだろうなぁと思い、公園に出かけました。どういうふうに、振る舞おうかなどと考えながら二人を待っていたのですが、なかなか現れませんでした。
変だなぁと思いながら、二人の住むマンションの方にいつの間にか向かっていました。すると、たまたまマンションの住人らしき女性二人の立ち話が耳に入りました。
「それにしても、ずいぶん急に引っ越したのねぇ」
「そう、ついこないだ引っ越してきたと思ったんだけどねぇ」
ふと、通り過ぎざまに郵便ボックスを見ると移転の文字が。
なんとなくホッとしたような脱力感でした。
自分が情けなく、笑ってしまいました。
でも、涙も流れてました。
何だったんでしょうね。街は華やかなクリスマス気分です。
俺は、別にクリスチャンでもありませんが、今年のクリスマスは久しぶりに教会に行こうかと思っています。本当に行くかどうかは、当日までわかりませんけど。

今、日本で「パンダ」と言えば、あの白黒のいわゆるジャイアントパンダですねぇ。しかし、もともとは「パンダ」は、あの風太くんが一世を風靡したレッサーパンダのことを指したのでした。後発のジャイアントパンダに名前を乗っ取られるような格好になってしまったレッサーパンダ。レッサーとはLesser、英語で「小さい方の」という意味です。
中国語ではジャイアントパンダは大熊猫。レッサーパンダは本来、熊猫と呼ぶのですが、台湾では、熊猫をジャイアントパンダの表示に用い、レッサーパンダを小熊猫と表すことも多いそうです。また、 現在は、レッサーは蔑称の意味があるので、英語ではなるべくレッドパンダを使うようにする動きがあるようです。

レッサーパンダもジャイアントパンダも中国などの竹林などに生息し、ヒトの親指と同じ役目を果たすよう進化した手根骨「第6の指」の存在によって、これら2種は近縁と考えられ、それを前提として論じられることが多かったのそうですが、1972年ジャイアントパンダのみがクマに近いことが明らかになり、現在では、DNAや系統学的解析によって、ジャイアントパンダはクマ科、レッサーパンダはレッサーパンダ科に分類されています。これら2科の関係は遠いそうです。


そして、パンダの代名詞はジャイアントパンダに移ってしまい、そちらの方でもレッサーパンダは劣勢に回ってしまいました。(レッサーだけに?って、ダジャレかよ!)

ところで、ネットのブラウザ、皆さんは何を使ってますか?ほら、FireFoxって、それまさにレッサーパンダのことなんですよ。
知ってた?


日本では、ここ数年スペインブームがじわじわと来ていて、特にスペインバーなどは、よく街でも見かけるようになった。スペインワインも以前よりはよく見かけるし、今では「パエリア」といえば、スペイン料理として知らない人はいないほどにもなった。しかし、あまり浸透していないものもあるわけで。そのひとつが、食後のデザートで、アロス・コン・レチェ(arroz con leche)というもの。実際、俺が留学中にホームステイ先でこれがデザートに出てきた時も、家族は大喜びだった。それでもって、arrozというのはお米のこと。lecheは牛乳。つまりは、牛乳がゆのようなもの。といっても、ちゃんと砂糖も入っております。そして、冷たいのです。

アロス・コン・レチェの作り方はまず、お米を煮詰め、砂糖、ミルクを加えるだけです。お好みにより、シナモンパウダーを振ったり、少し果物をつけたしたり。
ほとんどの日本人はこの作り方を見ただけで、「気持ち悪ぅ」なんて思ってしまいそうですが、冷静に考えてみると、おはぎだってご飯と甘いあんこの組み合わせだし、子供の頃、具合の悪いときに牛乳がゆなんて食べませんでしたか?σ(▼▼;)オレは食べませんでしたが。

とにかく、俺もこれを最初に出されたときは、少々意を決する感じで望んだのでしたが、これが割とイケけるのです。しかしながら、これをスペイン料理屋でデザートとして注文する気にはなかなかならないわけです。(笑)
まぁ、牛乳がゆというのは、結構いろいろな国でクリスマスなどに食べられているようですから、日本人以外の国の人間にとってはさほどの驚きではないかもしれませんし、きっと外人にとっては、日本のおはぎの方が驚きかもしれませんね。


若い世代では、ジェーン・バーキンをどれだけ知っているんだろう。そのくせ、エルメスのバックなら知っているんだろうが。
ジェーン・バーキンはイギリスの歌手であり女優である。そして、今では誰もが知るエルメスの「バーキン」は、エルメス社の社長が偶然飛行機で彼女と乗り合わせた際、ジェーンが籐のカゴに無造作に物を詰め込んでいるのを見て、何でも入れられるバッグをジェーンに贈ったものが始まりだそうだ。

ジェーン・バーキンまた。彼女の歌はTBSドラマ田村正和、常盤貴子主演『美しい人』(1999年)で「無造作紳士(L'aquoiboniste)」が使われ、日本限定企画で発表されたベスト・アルバ『ベスト』は30万枚のヒット作となった。
そして、彼女は元々は親日家で知られていたが、2011年4月6日という早い段階で来日・震災支援のチャリティーコンサートを行った。「ジェーン・バーキン震災復興支援コンサート Together for Japan」と銘うたれ、多数の日本の芸能人・アーティストとともに詩の朗読や代表曲「無造作紳士」などの披露を行い、日本に対して暖かい慰問と激励の言葉を伝えた。コンサートの模様はネット上でも生配信され、多数の視聴が行われた。また、コンサート当日は直前まで渋谷の街頭で募金活動を行ったのだ。今年で66歳になる彼女は昨年秋に急性心膜炎で休養に入るというニュースが入ったが、その後、回復の具合はどうなのだろう。
また、早く彼女の元気な歌声
が聴きたいと思う。