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2017-01-05 22:42:58

名車列伝8 プジョー403

テーマ:カーライフ小話
あけましておめでとうございます。

今年は本当に雪が少なくて暖かい冬でしたですね。

私の地元福島では全く雪がなく

せっかくスタッドレスに履き替えてみたものの

全然意味がないような状態でした。

 

さて,正月となりますと、正月特番とならんで

長時間でテレビ局が楽で、製作費もかからない

となれば、

 

古い映画を垂れ流すというのが定番ですね。

TBSのBSでは、箱根駅伝の裏番組で

刑事コロンボ駅伝という番組をやっておりましたが

コロンボを4本続けて放映するという企画をやっておりました。

 

私このコロンボシリーズ結構好きです。

コロンボと犯人のコミカルながら息詰まるやり取り。

 

そして、犯人が乗り回す往年の名車など。

登場する犯人はみんな結構金持ちですからね。

 

古くはフェラーリのスパイダー、デイトナもでてましたし、

ほかにもジャガーEタイプといったスポーツカー

その他ロールスロイス、ベントレー

アメリカならではのどでかいキャデラックなど

いかにも富の象徴といった車が登場するのですが

 

一方で、コロンボの愛車として登場するあの

グレーのポンコツ車はなんなのか、ご記憶

の方は少ないかもしれません。

 

およそスマートとは言えない、あの鈍重な車はなんと

プジョーです。

 

しかもかの名門ピニンファリナがデザインを

手掛けたといわれています。

 

戦後のプジョーは203という、昔ながらのフェンダーを

備えたモデルを生産しておりましたが、

この403では初めてフラッシュサイドスタイルという

フェンダーとボディーが一体化されたスタイルを

取ったモデルでした。

 

現代のプジョーのイメージとは違いプジョーは

もともとが、歯車やペッパーミル、自転車など様々な

金属を使った製品を作る企業であり、

フランスの他の自動車メーカー(シトロエン、ルノー)

等に比べ、デザインやメカニズムは、保守的なメーカー

でありました。

 

そんなプジョーが生み出した戦後の屋台骨を支える403

いかに、フラッシュサイドスタイルという最新デザインを

取っていたとはいえ、その中身は極めて保守的かつ、

経済性に優れた車であることが評価されていました。

エンジンは1500CC OHV58馬力。

また1800CCのディーゼルが用意されておりました。

 

ボディーバリエーションは4ドアのベルリーヌ

2ドアクーペ

そして、カブリオレの3種類がありました。

 

1960年には後継モデルの404が登場。

クーペとカブリオレは廃止され、ベルリーヌだけ

が404の下位モデルとして1966年まで生産されたということです。

 

さて、コロンボの愛車は、なぜからしからぬカブリオレです。

ということは一番新しくても1960年式ということになりますから

コロンボシリーズが製作された1970年代には10年以上が経過した

大古車だったわけです。映画で見てますと

シートはベージュのレザー、幌の色はブラック、ボディーはグレーと

いうなかなかシックなカラーリングなのですが

 

何分年数が経過しているため、もはやコロンボのレインコート

のようなヨレヨレ感が出ています。

 

なんでも、コロンボの車が映像上どうしても必要に

なった際に、多くの劇中用車の中から

片方のタイヤがパンクしていたこの車を

コロンボ役のピーターフォークが選んだ

という話です。

 

あまりにもコロンボのイメージが定着した

このぼろ車。

80年代の新シリーズが製作される際には

当初の車は当然廃棄されていたため、

なんとか、この403カブリオレのオーナーを

見つけて、この車を借りて映画を製作

したとのこと。(幌の色が白になっています)

 

私は、1990年代、ロサンゼルスのユニバーサルスタジオで

このコロンボの車(レプリカと思われますが)を見てから

この車の大ファンです。



 

 

 

 

 

 




引用元:名車列伝8 プジョー403
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2016-11-25 09:38:03

名車列伝7 スバルレガシィ

テーマ:スーパーカー列伝
  • 先日インプレッサに乗る機会がありました新世代スバルエンジンは、なめらかで、走りも悪くなかったのですが、乗り心地は ごく普通のモデルにもかかわらず相当に固いのにはおどろかされました加えてシートがあんま良くない。ハンドリングはなかなかなもんでしたし、かつて悪評があったCVTも全く不自然ではなく300キロほど走りましたが、燃費もリッター15ぐらいいきましたのでこれなら、ハイブリットは要らないとまで思わせますけど走りとシートだけととったらうちのポンコツゴルフ4の方がいいですね。オートマのできと燃費以外。いずれにしても、かつてスバリストといわれたマニアの方々を生み出したような味の濃い車ではなかったです。

    さて、前置きが長いですね。本日は長くスバルのメイン車種として君臨してきたレガシィです。レガシィが登場するころスバルはかなり深刻な経営状況でありましたなんせ、このときの車種構成といえばレオーネ、ジャスティー、ドミンゴ、レックス、サンバーですんでね。ひょっとすると一番売れていたのはサンバーかもしれない。

    急場しのぎにスバルは提携先の日産の受託生産をやっていたぐらいでして、名門富士重工もついに身売りとかいう話がまことしやかにささやかれておりました。

    さて、こんな状況でしたが、折からのバブル景気で一息つけたスバル。社運をかけた新型車の開発をするのであります。これまで、スバルのフラッグシップを張ってきたレオーネ、いってみりゃ、こいつはさかのぼること1960年代に登場したスバル1000な訳で、これを改良に改良を重ねてきたわけです。それだけスバル1000が素晴らしかったともいえますし、それだけスバルに金っがなかったともいえます。これに変わる全く新設計のシャシーを作ろうってんですから、これは大決断です。

    しかし、そういう新世代の車であってもスバルが培ってきた技術的遺産
    乗用車用の4WD技術
    水平対向エンジン 等々
    今オリンピックで話題のレガシィですね
    こういったものを生かして行こうとまあ、こういうコンセプトだったのではないかと推察いたします。

    デザインは当初のスケッチの段階までは、日本大好き、御大ジウジアーロ先生がかかわっていたそうですけれども、純然たる社内デザインとのこと。デザインコンセプトはクサビ形で、これは先に出たアルシオーネのイメージです。初代モデルでは、今は珍しい6ライト(リヤクオーターに明り取りの窓がある)ウインドーですから、この辺はジウジアーロの名残が残っていたのかもしれません。(6ライト大好き)

    1989年のデビュー前にこのレガシィのテストモデルのRSがアメリカのアリゾナで平均速度223.345KM/hで10万キロの耐久走行を行い、国際記録(当時)を行い華々しい成果をあげます。これは19日間、燃料補給やトラブル対応などを含め達成したってことですから、まあ相当なもんですよね。たぶんオイル交換とかもあるでしょう。CMではこの記録を大々的に宣伝。どっちかといえばドン臭いイメージのスバルらしからぬ、走りのイメージで売り出したこのレガシィスバルの救世主となるのでした。

    最初はどっちかといえばこの、セダンタイプをメインで売っていた気がしますが、のちに登場するツーリングワゴンが、豪華な装備と、ツインカムターボとDOHCに4WD、ついでにワゴンだから荷車としても最適という、万能選手的な位置づけで、爆発的にヒット。このジャンルで他の追随を許さぬ存在となったのでした。
    長年スバルが大事にしてきたレガシィ(水平対向、4WD技術)が花開いた瞬間といってもよいでしょう。
    ところで私、この車は残念ながら、一度も所有したことがないのですが、一度貸していただいたことがあります。以前にも申し上げましたが、かつてアルシオーネSVXなどというバブルな車に乗っておりまして、珍しくスバルディーラーに修理をお願いしましたところ、代車で貸してくれたんです。
    たぶん1800の普通の4WD、ミッションは5速のこぎれいな2代目モデルではなかったかと思います。今考えてみれば、工場長のマイカーだったのかも。これがなかなかいい車でして、パワーは必要にして十分。ハンドリングは素直で、乗り心地もよく、加えてあの水平対向のバタバタとした音が味があり、こりゃいいわいと感心した覚えがあります。

    その後レガシィは拡大路線を取りまして、いまや当初モデルより2回りはデカくなって、どっちかといえばアメリカ市場向けモデルになってきており、国内はインプレッサとレボーグが受け持つというような感じです。
    かつて水平対向は燃費が悪いといわれておりましたが、スバルの真面目な技術をもってすれば、燃費の改善も行われており、レガシィもハイブリットでもないのにかなり燃費がいいらしいですけど、インプレッサ体験で、かつてのあの味の濃いスバルを懐かしいなと思ってしまいました。

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引用元:名車列伝7 スバルレガシィ
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2016-10-17 23:31:32

名車列伝6 カリーナED

テーマ:カーライフ小話
こんにちは

かつての日本車ってのは本当にこんなにいろいろ作って

売れるんかいなと思うぐらいワイドバリエーション

だったのですが、そのワイドバリエーションが

ついに別の車になってしまったという話。

 

カリーナED

なんてったって エキサイティング・ドレッシーだかんね。

私の父は、こいつの2代目に乗っておりましたが、

零細  企業の社長だった父はこいつを買うときは

大分悩んでましたね。従業員の目もあり

 

最近の車ではすっかり死語なのかもしれませんが

当時はカッコつけ車の1ジャンルとして

ハードトップってのがありました。

ハードトップってのはソフトトップの反対でして

要するに幌(ソフトトップ)をかぶってるコンバーチブルに

取り付けする耐候性のある、固い屋根のことをハードトップと

言っていたわけですけど、このオープンカーに

ハードトップをつけたようなスタイリングを

真似した、なんちゃってなスタイルを

ハードトップと称しておりました。

アメリカあたりから輸入されたスタイリング

だったと思われます。

要するにツードアでセンターピラーのないスタイルの

車のことですね。

 

さて、これの変種で4ドアハードトップというのもございまして

このハードトップスタイルを4ドアでやるわけでして。

一つもんだいがあります。

後ろのドアはどこにつけるのか。

センタピラー、真ん中の支柱がないわけですから

後ろのドアをどこにつけるのか。

まあ単純に考えれば、床からにょきっとはやした

支柱にドアを括り付けるんでしょう。

これが4ドア(ピラーレス)ハードトップ。

もう一つ方法があります。

にょきっとはやした床からの支柱と

天井を目立たないようにつなぐ柱をつくって

そこにドアを括り付ける。

こいつを4ドア(ピラード)ハードトップ

と称します。

 

何だか知りませんが、日産はピラーレスで

トヨタはピラードがお好きでして、

セドリックは昔っからピラーレス。

クラウンはピラード(かなり太めの)でした。

 

まあハードトップの歴史的意義からすれば、

センターピラーがないのがハードトップで

ピラーがあったらハードトップでないような

気がしますが、そういう自己矛盾を抱えている

ことが嫌だったのか、あるいは似非ハードトップと

言われるのが嫌だったのかわかりませんが、

カリーナEDはトヨタ初の4ドア(ピラーレス)

ハードトップとして登場するのです。

 

まあ、本当のところはわかりませんが、

当時若者向けに売ってきた、カリーナの

顧客層も少々高齢化してきておりましたでしょうから

これまでのクーペ、リフトバック路線ではなく

一応4ドアがついて、後席アクセスも良く

かっこいいセダンという感じで作り上げられたのだと思います。

 

おそらく、着想のヒントとしてはジャガーあたり

なんでしょうね。

ただまあ、ジャガーはあのスタイリング圧倒的重視、居住性無視を

圧倒的にデカいサイズ(5メーターぐらいあります)

で実現し、そいつにイギリスの伝統の内装の美しさを

おまけに、「これぞブリティッシュネス」という雰囲気を

出しているので、先生方絶賛なわけですが、

こいつを、カリーナクラスで実現しようと致しますと、

いきおい後席は狭くて乗れないわけでして、

専門家筋からは、「インチキなセダン」

として酷評されましたが、足回りは定評のあった

FFセリカベース。走りはまずます。

そしてやっぱ、これまでにない背の低いスタイリッシュなボディー。

世間一般からは大いに受けて、トヨタも驚く(驚いてないのかも)

大ヒット作となるのでありました。

先生方は見誤っていたのかしれませんが、要するにこの車

のリアのドアはセダンである象徴ではなく、

お父さんが車を買うときの「エクスキューズ」であった

ということで、なんちゃってセダン、本質クーペであった

ということなのであります。

その後、この成功に目を付けた、各社から似たようなコンセプトの

背の低い4ドアハードトップが雨後のタケノコのように登場

するのですが、先行者利得だったのかどうなのかわかりませんが

カリーナEDほどの成功を収めることはなかったのでありました。

 

さあて、このカリーナEDそのごモデルチェンジを重ね

3代目まで登場しますが、

4ドアピラーレスハードトップの側突安全性の問題など

もあり最終型はピラードになるなど次第に迷走。

景気後退の影響もあり、売れ行きも不振となって、

3代目でピリオドをうちます。

 

自動車評論家の先生方は一様にこの手のセダンに

否定的ではありました。行ってみれば好景気時代のあだ花みたいな

感じで捉えられておりました。

21世紀。あのドイツからにたようなコンセプトの車が登場します

メルセデスベンツCLS

結局のところ、質実剛健真面目で実直みたいなドイツメーカーも

競争が激化して、さまざまなバリエーション展開すれば

つまるところ同じような、カッコつけセダンを作るということ

なのでしょう。

ジャガー大好きで、EDみたいなセダン大嫌いだった

徳大寺先生は、この車をどう評価するのか

聞いてみたい気がします。

carinfo_img

images-2

mercedes_cls_facelift_front

 

 




引用元:名車列伝6 カリーナED
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2016-10-05 22:27:04

名車列伝5マツダR360クーペ

テーマ:カーライフ小話
戦後、もっぱらオート3輪メーカーとして、その存在感を示していた

東洋工業(現マツダ)でありましたが、スバル360の成功を見て

1960年、4輪業界へ初の軽を投入いたしました。

プロジェクトリーダーはのちに

ロータリーエンジンの開発で、ミスターロータリーと呼ばれ

マツダの社長、会長を歴任。

あのトチ狂ったマツダ5チャン路線による破滅と

最初のロータリールマン制覇という栄光見届けることとなる

山本健一氏。

 

さて、スバルは軽量コンパクトでありながら、

4人が何とか座れるフル4座でありましたが、

このR360クーペでは、この点アプローチが違っておりまして

どうせこのサイズでは、4人フル乗車なんていうのは

そうそうあることではない、と割り切って、

後ろの席は+2の子供用に仕立てたのでした。

 

この車には実は日本発のことがありまして、

なんと国産車で初めて「クーペ」を名乗ったので

有りました。

 

いわば軽自動車のパーソナルな需要にいち早く目をつけた

と申しますか。

 

一方で走りの部分では妥協をしておりませんでした。

ライバルのスバルがリヤサスがスイングアクスルによって

キャンバー変化が大きくよく「転倒」するのに対し、

こちらは同じ4輪独立でもキャンバー変化の少ない

トレーリングアーム。ばねの代わりにトーションラバースプリング

というゴムをねじって弾性を得るという方式。

 

またミッションは、4速が標準。

ライバルのスバルが3速が標準だったですから

この点ではリードしていました。

 

加えてなんと軽自動車では初の採用となる

トルクコンバーター式の2段ATを選択することができたのです。

これによりイージードライブを可能にしたほか

体の不自由な方の足としても貢献することを

目指したのです。

 

またエンジンも妥協を許さず。

V型2気筒の強制空冷エンジンでしたが、

アルミ合金を多用し、一部にはマグネシウムを使うなど

軽量化を図っておりました。

スバルが2サイクルだったのに対しまして

こちらは4サイクルのOHVエンジン

レブリミットは5000回転と、当時としては

かなりの高回転ユニットだったそうです。

 

さて、このように、明快な割り切りをもって開発

された、R360クーペですが、この試みは成功し

価格面でも30万円、車両重量でも380キロと軽量化

することができました。

 

当初は、その安い価格から、当初はかなり人気を

得たとのことですが、次第にフル4座に近い

スバル360と比較されると不利ということになりことになり

マツダの主力は、フル4座に4気筒エンジンを搭載した

より乗用車らしい1962年登場のキャロルがマツダの主力となって

行きました。

生産は1966年まで続けられ、とりわけAT車は身障者の方向け

に1969年まで作られたとのことです。

総生産台数は65000台あまり。

 

今見るとなかなかキュートなスタイリングな車です。

ただ、スバル360に比べて、生産台数が少ないせいか

圧倒的に現在の生息数も少ないですね。

 

スバルはオーナズクラブが盛んに活動し

パーツもマニア向けに再生産されるなど

この種の活動が盛んですけどね。

 

R360はそこまでの活動はないですからね。

何とか長く生き残ってもらいたいものです。

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引用元:名車列伝5マツダR360クーペ
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2016-09-26 23:34:28

名車列伝4 焼き鳥と天皇とVTEC ホンダインテグラ

テーマ:カーライフ小話


こんばんわ

 

1985年にホンダは、それまでクイントと呼ばれていました、アコードとシビックの中間車種を

フルモデルチェンジいたしました。

クイントインテグラと銘打ったこの車。

当時のホンダdesignのアイデンティティーともいうべき、

リトラクタブルライトのフロントマスク。

 

このインテグラってサブネームも

インテグレート【統合する・完全なものにする)という言葉から

作られた造語でありまして、

言ってみれば、スポーツカーとセダンをインテグレートする

ぐらいの意味あいではなかったでしょうか。

それが証拠に、このクイントインテグラには、

全車DOHCという、スポーツムードを盛り上げる

スペックが盛り込まれていたのでありました。

シビックよりインテグラ、

いわゆるスペシャリティーなベーシックカー

こんな位置づけが成立したのもバブルならではなのか。

当時のCMは見目麗しい、外国人モデルに

山下達郎「風の回廊」  というきわめて金のかかった感のある

おしゃれなCMでございました。

さて、バブル絶頂から、日経平均も下降して行こうとしていたころ、

ホンダはこのクイントインテグラをフルモデルチェンジ、

ついに、クイントの名前を取っ払い、

インテグラの名前のみを残しました。

 

そして、当時をときめく

マイケルJフォックスに

「カッコ・インテグラ」と言わしめ、

山下達郎のおしゃれ路線から、

ベタな一般受け路線に転向。

そして、全車DOHCのスポーツ路線をさらに強化。

世界で初めての、バルブリフト量とバルブタイミングを可変

することに成功した

VTECを導入したB16Aエンジン。なんとノンターボでありながら

リッター100馬力を達成したエンジンを載せていたのでありました。

この機構は、高回転側と低回転側の二つのカムの駒を持ちながら

ロッカーアームによって高回転、低回転によって

バルブをそれぞれ制御させるという画期的なものでして、

それまで、可変バルブタイミングってのは結構考え

られていたのですが、リフト量まで可変というのは

世界初だったようです。

なんでも、これを開発した技術者は

焼き鳥やでネギ間を焼いているさまを

見たときに、肉はまわってるけど

ネギは回ってないというのを見てひらめいたとか、

まあ、つまるところ、焼き鳥屋としては均等に

焼けてないわけですから

下手くそなんですが、これが幸いしたのかどうか、

低回転でもぐずらない、超高回転エンジンができたわけ

ですね。

 

ところで、この「カッコ・インテグラ」

どういうわけだか知りませんが

平成天皇の、皇居内の愛車のようであります。

皇室の広報Vにも天皇自ら、皇后とともに

皇居内の散策に出掛ける際にお使いだとか

いう話が紹介されているのであります。

ご高齢ではありますが、いまだ1991年に

買われたこの車(どうやらMTの1600らしい)

最近免許も更新され、いまだお使いのようです。今上天皇

この車の何に感銘を受けたのかわかりませんが、(F1の中継でも見てたのか?)

焼き鳥やのエピソードとともに

この車の特異な成り立ちを示しているような

気がいたします。

 

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引用元:名車列伝4 焼き鳥と天皇とVTEC ホンダインテグラ
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