集団ストーカーと生活安全条令 | ギャングストーキング概要2

ギャングストーキング概要2

近年私達の社会の中で摩訶不思議な団体、組織の暗躍により強制的な自殺に追い込まれたり、犯罪者や精神異常者に仕立て上げられてる事例が多発しています。

元集団ストーカー新聞の記者の記事保管所と記録のブログです。

生活安全条令の中身とは?

亜細亜大学助教授、石橋学さんの記事より引用文


民衆が警察の手先となる時-東京・武蔵野市の条例の検討-

石埼学(亜細亜大学助教授)


行政・警察・市民の連携さて、つぎに「生活安全条例」が推進しようとする 「市民連帯主義」を検討しよう。

「区民等は、相互扶助の精神に基づき、地域社会における連帯意識を高めるとともに、相互に協力して、安全 で快適なまちづくりの自主的な活動を推進するように努めなければならない」とは、「千代田区生活環境条例」 の四条二項である。

(つまり防犯パトロール集団ストーカーに協力、加担しなさい、自殺強要ストーキングネットワークに参加しなければならない。)

同条例でも、区民が警察署などの 「関係行政機関」へ協力しなければならないとされてる

(四条三項)以上、やはりここにも行政や警察と一体 となった「市民連帯主義」が現れている。

私は、この類(集団ストーカーギャングストーキング)の「市民連帯主義」を「いじめと排除のための連帯」に なりうるものとして危惧している

(渡辺治・三輪隆・小 沢隆一編『戦争する国へ 有事法制のシナリオ』旬報 社、二〇〇二年、12を参照)。


その私の危惧は、「安全・安心まちづくり」を推進している小出治氏(東京大学大学院教授)の次のような文章によって裏付けられる。

「管理者不在の共用地の拡大とあいまって犯罪には 至らないものの、そこを利用する人にとって不快を感じ たり迷惑を与えるような浮浪者、暴走族などに対する対策も新しい問題であるかもしれない」

(『新時代の都市 計画5 安全・安心のまちづくり』ぎょうせい、二〇〇 〇年、三四九頁)。

犯罪を犯したわけでもないのに、他人が「不快を感じたり」、他人に「迷惑を与える」人々を地域から排除することが、「安全・安心まちづくり」の課題であるというのである。


(つまり騒音や嫌がらせ集団ストーキングを仕掛けておいて、やり返したりクレームを言うと逆に迷惑な人物像に仕立てる)
(被害者例は奈良の騒音オバサン)

それは、犯罪の予防とも関係がない。「不快」だとか、「迷惑」という感情が極めて主観的(宗教団体や警察組織、企業の悪用)なものである以上、端的に気にくわない人々の排除の論理である。

これは、およそ「ノーマルな」=「平均的な」= 「規範に適った」人々の感情に基づいて「アブノーマル な」人々を排除する論理であり、「野宿者」(就業、就職妨害)のみならず、「精神病者」(統合失調症を再現した嫌がらせをしつこく実行して被害者が被害を訴えると精神異常者に仕立てる)や「外国人」や「危険思想の持ち主」(防犯パトロール生活安全条令参加者の集団ストーキングを指摘すると危険人物に仕立てる) などを排除していく危険性を内包している。

「ノーマル」か「アブノーマル」かの線引が恣意的である以上、

(車や自転車にパトロール中とステッカー貼って街中を監視している人物の方が頭を疑うが)


こうした犯罪と関係のない人々をも排除する論理を内包した「安全・安心まちづくり」の論理を組み込む「生活 安全条例」の「市民連帯主義」も、極めて恣意的なものとなるであろう。


(つまり警察組織や自治会、企業や宗教団体の気に入らない人物)

同じく「公共」に関係するように見えるが、「生活安全条例」の「市民連帯主義」は、他者のリアリティと厳 しく向き合い、労働市場から排除された人々を「棄民」 とすることを望まない近時の公共性論(例えば、斉藤純 一『公共性』岩波書店、二〇〇〇年)とは相当に異質な ものである。

「アブノーマルな」他者のリアリティと向き合おうともせず、端的に排除する「市民連帯主義」 は、ファシズムのひとつの現れなのだろうか。

引用文終わります。

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