漫才紹介記事ばっか書いてます。ツッコミミックにでも改名すべきでしょうか(笑)

 

今回は関西の若手実力派漫才師、学天即

左がボケの四条、右がツッコミ奥田。

 

彼らの芸風はとにかく「渋い」。これに尽きます。

 

小道具や目立つものもなく、いまいち色味のないビジュアル。全国ネットのバラエティ捨ててる感が凄いですね(笑)

なんとなく芸人っぽい要素は、せいぜい四条の天然パーマくらいでしょうか。

 

この「地味さ」が漫才をやるうえで「渋さ」として活きてくるんです。


スタイルはボケ四条のポンコツさ、勘違いを奥田がいじったり揚げ足を取りまくる掛け合い漫才。ネタの中でコントは一切行わず、掛け合いのみで勝負する職人気質な芸風です。

 

ネタを観ればそのスタイルを貫くのも頷ける。それだけこのスタイルの漫才が二人の良さをフルに活かすものとなっているんです。

まず、ボケの四条見た目から発言からキャラまでいじられポイントの塊のような不条理な存在ですが、そのポイントは言われないと分からないものが多いです。というのも、彼のボケや出で立ちは明らかに「変」なんですけど、どのように「変」かがいまいちわかりにくいんです。衣装でいえば、何も言われなければただのお堅いスーツでしかありません。

例えるなら、料理でいう調理されてない高級食材のような状態。それ単体だと美味しそうも何も思いにくいんです。その食材が活きるかどうかは料理人の調理法にかかっているわけです。

 

その料理人にあたるのがツッコミ奥田。自分が思うに彼の持ち味は、その鋭い着眼点とワードセンス。見ていて気にも留めないような部分にどんどんメスを入れて、妙に納得感のあるフレーズで「変な人」を一気に「笑いの対象」に様変わりさせます。ある意味で笑いを「創作」するのが上手く、その能力によって、客に「言われてみれば確かにそうだ」と思わせることに非常に長けています

 

これは余計な想像に過ぎないですが、奥田はサンドウィッチマン富澤と組んだらかなりやりにくいと思います。富澤のボケの性質が「誰がどうみてもこうおかしい」という風にある程度答えの決まったものだからです。これでは奥田の創造力は用無しであり、求められたことをただ言わざるをえない。富澤のボケはある程度答えの決まった証明問題であり、四条のボケは小論文のような自由さがあると自分は思っています。(もちろん、富澤のボケに対しても個性のあるツッコミは可能ですが、奥田の個性は活かされないということです)

 

四条の仕掛けない、マイペースなスタンスが奥田の自由な指摘の幅を広げ、奥田の独特で意外、かつごもっともな指摘が四条の面白さを最大限に引き出しているのです。そう考えると、彼らの間にはまるでイソギンチャクとクマノミのような、あまりに見事な共存関係が出来上がっているように思えてなりません。

 

…振り返ると吉本の中堅漫才師ばかり紹介しています(笑)

やはり、ぶっ飛んだことをして客の目を惹く奴が多い吉本の中で、正統派漫才で評価されるにはかなりの実力を要するのでしょう。生き残った漫才師はかなり面白いコンビばかりです。