20キ県内に住まいがあり 20キロ圏外に職場がある場合
二重生活を余儀なくされることがあります。


子供や奥さん、高齢者を避難させ
旦那さんだけが仕事のため職場近くに部屋を借りる・・・という方が多くいます。


避難先での生活の場所
働く為の生活の場所

それぞれが必要になっていきます。



職場の近くに部屋を借りて
そこに家族皆で生活をしたらいいじゃなかと思われるかもしれません。

しかし、
職場が緊急避難準備区域の場合、そこでは学校は全て休校
子供や妊婦等は避難をするようにとなっています。

また、子供や妊婦等がいなくとも
緊急時はそこも避難せざるおえない場所です。
そこに家族で移り住むのはリスクが高すぎます。


つまりそこで家族全員で生活することはできないということです。






両親は仕事を再開する為原町区に部屋を借りる予定です。
私と祖母、叔母は今まで通り猪苗代で生活を続けます。


我が家も二重生活が始まります。。。

チャリティーイベント 岩瀬牧場 さくら祭りに
消しゴムはんこ屋を出店してきました。

良いお天気の中
たくさんの方がいらしていて

のどかで、幸せが溢れていました。

避難生活なんてすっかり忘れしっかり楽しんできました。


震災以来会う福島や郡山、相馬の友人との再会も出来ました。
「良かったー」と言って涙を浮かべる友人に
私もジーンときてしまい・・・鼻水たらしちゃいました。



おかげさまで私のはんこ屋はたくさんのオーダーを頂き大盛況でした。
チャリティー「福島」はんこも完売しました!


たくさんの方との出会いや
人とのつながりの偶然に驚いたり
たくさんの方に元気を頂きました。


お買い上げいただいたり、お声かけ下さったり
差し入れ下さったり、プレゼント下さったり、

本当に皆さんありがとうございました。


素敵な1日でした。


避難しているからと・・・自粛すべきところは自粛し
避難しているけど・・・楽しめることは楽しんで行きたいと思っています。


(イベントの写真・・・忙しくて全然撮れませんでした。)
今日から初めて10キロ圏内の遺体捜索が始まったとニュースで報道されました。
そして10体のご遺体が収容されたと・・・


さて、10体という数が
多いのか、少ないのか


今まで捜索をされていなかったという観点では
10体とい数は多いのかもしれません。


しかし、
たった10体しか見つけてあげられなかったのかと
残念な思いでいっぱいです。



夕方のニュースから浪江請戸の捜索の様子が何度も放送されていました。
見た方も多数いるかと思います。


重機もなく手作業で瓦礫を取り除きながらの捜索

ご遺体を見つけても線量計で測定しながらの収容
。。。他県の遺体捜索に比べても2倍、3倍と時間がかかります。




私は放送を見て
「捜索犬」を導入してもっと多くの方を早く見つけて欲しい
そう思いました。



しかしきっとそれも難しいことでしょう。
動物だって被爆のおそれは同じようにあるからです。


飼い主が飼えないからと放した牛や犬などとは違い
捜索犬にはそのリスクは与えることはできないのでしょう。




20キロ圏内では重機が使われ大規模な捜索が始められたそうです。
10キロ圏内、5キロ、3キロ圏内も同様に
重機、人員、全てのものを最大限に導入して


より早い捜索活動を願います。



20キロ圏内の遺体捜索はまだ始まったばかりです。
ほとんどの地域が手つかずのままです。



友人の母は
一人で車の中で助けを待っていました。
1ヶ月間、たった一人で・・・助けを待っていました。



友人はいわきの職場で震災にあい
富岡までに帰って来れたのは夜の11時でした。
電話は全くつながらず、

海から50mの実家は・・・?
両親の安否は・・・?
確認することもできないまま
何もかもわからないまま、何も理解できないまま

いつの間にか避難生活が始まっていました。

・・・一時的な避難ですぐに戻れると思っていました。



奥さんとは避難所で会うことが出来ました。
徐々に親戚や友人の安否が確認出来ていきましたが、
両親の安否だけはわからないままでした。




1週間過ぎ、2週間・3週間が過ぎ・・・



両親の安否は未だわかりません。

20キロ圏内の行方不明者数は減りません。

誰も探してくれないからです。



何時まで待っていてもしかたない・・・と、意を決し
放射線の恐怖の中
自ら両親を捜すことを決めました。

たった一人、富岡へ捜索に出ました。



見慣れた風景はそこにはありませんでした。
「何もない」
懐かしい景色も、育ってきた思い出も
全部津波にのまれてしまっていました。



津波の日の母の行動を考えました。
きっと母は目の見えない父を迎えにいっただろうと思い
母の職場から実家への道を辿ることにしました。。。


見覚えのある車がありました。

母の車でした。



車のガラスは割れ
顔は真っ黒、口を開いたまま、手は水分がとび乾涸びていました・・・
顔を見ただけでは母とはわからなかったでしょう
それほどに変わり果てた母の姿がそこにありました。


津波にのまれ一瞬のうちに命を奪われたのかもしれません
でも、もしかしたら
一命を取りとめ車の中で助けを待っていたのかもしれません。




涙が止めどなく流れ
大声をあげて泣きました。




触れたくても、抱きしめてあげたくても
連れて行きたくても
母の体に蓄積された放射線がそれすら許してくれませんでした。


日が暮れ
母を残したまま一旦戻るしかありませんでした。
電気も音もない真っ暗な町を走りました。
こんなにも怖い町を見た事はありませんでした。



警察に電話をし 自分で母親を見つけた事を伝え
遺体を収容し除染をしてもらえることになりました。
火葬をし、ようやく家族のもとに帰れます。



震災から1ヶ月が過ぎています。
やっとです。



そして彼は
まだ見つからぬ父をまた探しに行くと言います。

警戒区域になって入れなくなってからじゃダメだと。
その前に探してあげなきゃと言います。






20キロ圏内には

すぐに見つけられる場所にも
瓦礫の中にも
探してもらえない遺体が多数あります。


1ヶ月を過ぎ
春になり気温もどんどん上がっています

遺体の姿形がなくなっていきます。


早く!早く!急いで下さい!!





「神様、これが罰なら度がすぎるよ・・・」
彼の言葉が重く響きます。



前に進みたくても前に進めないんです。


酷すぎます。
この現実を知って下さい。


同じ人としてこんなことが許されるのでしょうか?
早く探して下さい。早く帰して下さい。


彼の願いです。皆の願いです。

まーた何だか良く解らない区域が追加されました。
「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」



計画的避難区域は
積算線量が高い地域に居住し続けた場合に
累積された積算線量が高くなるため
その地域の方々を避難させる・・・ということですよね。

これはわかります。
必要な処置だと思います。




緊急時避難準備区域は
今までの屋内退避区域の中で計画的避難区域を除く地域ってことらしいです。


しかしその内容を読むと
「なんだそりゃ?」と突っ込みたくなります。


常に緊急時に屋内退避や避難が可能な準備をしておいていただくことが必要で引き続き自主的避難をすることが求められます(特に子供、妊婦、要介護者、入院患者の方など)
勤務等のやむを得ない用務等を果たすために同区域内に入ることは妨げられませんが、その場合も常に緊急的に屋内退避や自力での避難ができるようにすることが求められます
・・・って何それ?


区域内は用事があれば出入り自由だし
屋内退避じゃないから外出てて良いよ
だけど危ない時は屋内退避だし
状況悪くなったら避難だからねー

でもー
子供や妊婦などは自主避難してくれなきゃ困るなー



なんじゃそりゃー

屋内退避より なんじゃそりゃー



安全なの危険なの?

居ろってことなの居るなってことなの???






「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」 の設定について


1.「計画的避難区域」の設定

(1) 福島第一原子力発電所から半径20km以遠の周辺地域において、気象条件や地理的条件により、同発電所から放出された放射性物質の累積が局所的に生じ、積算線量が高い地域が出ています。これらの地域に居住し続けた場合には、積算線量がさらに高水準になるおそれがあります。

(2) このため、国際放射線防護委員会(ICRP)と国際原子力機関(IAEA)の緊急時被ばく状況における放射線防護の基準値(年間20~100ミリシーベルト)を考慮して、事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域を「計画的避難区域」とする必要があります。

(3) 「計画的避難区域」の住民等の方には大変なご苦労をおかけすることになりますが、別の場所に計画的に避難してもらうことが求められます。計画的避難は、概ね1ヶ月を目途に実行されることが望まれます。その際、当該自治体、県及び国の密接な連携の下に行われるものとなります。


2.「緊急時避難準備区域」の設定

(1) 同発電所の事故の状況がまだ安定していないため、現在、「屋内退避地域」となっている半径20kmから30kmの区域については、今後なお、緊急時に屋内退避や避難の対応が求められる可能性が否定できない状況にあります。

(2) このように、同発電所の事故の状況がまだ安定せず緊急に対応することが求められる可能性があり得ることや屋内退避の現況を踏まえ、現在の「屋内退避区域」で上記1.の「計画的避難区域」に該当する区域以外の区域を「緊急時避難準備区域」とする必要があります。

(3) この区域の方には、常に緊急時に屋内退避や避難が可能な準備をしておいていただくことが必要です。

(4) 「緊急時避難準備区域」においては、引き続き自主的避難をすることが求められます。特に、子供、妊婦、要介護者、入院患者の方などは、この区域に入らないようにすることが引き続き求められます。ご苦労をおかけいたしますが、ご協力のほどお願いいたします。なお、この区域内では、保育所、幼稚園や小中学校及び高校は休園、休校されることになります。

(5) 勤務等のやむを得ない用務等を果たすために同区域内に入ることは妨げられませんが、その場合も常に緊急的に屋内退避や自力での避難ができるようにすることが求められます。

(6) 「緊急避難準備区域」における対応については、当該自治体、県及び国の密接な連携の下に行われる紋とする。

・「緊急時避難準備区域」は、広野町、楢葉町、川内村、田村市の一部、南相馬市の一部が含まれます。

※ 緊急時避難準備区域のうち、田村市と南相馬市については、「一部」と記載していますが、具体的には、今後、政府と地元自治体で調整し、数日のうちに決定される見込みです。


3.「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」の設定の見直し

(1) 「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」の設定のあり方については、同発電所からの放射性物質の放出が基本的に管理される状況になると判断される時点で見直しを行うこととしています。

(2) なお、それまでの間、さらに当該区域の環境モニタリングを強化して、関係するデータを集約・分析して、見直しの検討に資するものとしています。

・「計画的避難区域」は、葛尾村、浪江町、飯舘村、川俣町の一部、南相馬市の一部が含まれます。

※ 計画的避難区域のうち、川俣町と南相馬市については、「一部」と記載していますが、具体的には、今後、政府と地元自治体で調整し、数日のうちに決定される見込みです。
原発から30キロ圏内は屋内退避区域内と指定されています。

屋内退避っていうんだから
建物の中に入っていなさいってことです。

なんて曖昧な指示なんでしょうね。


お陰さまで 
屋内退避区域内 南相馬市の人口は3万人超
4割以上の方が戻って来ているそうです。
(もしかしたら既にそれ以上の方が戻ってきているかもしれません。)



はたしてココは安全な場所なのかそれとも危険な場所なのか・・・


はっきりしてくれないから
南相馬市(原町区)は市民がどんどん戻り
なんだか「普通」の町に戻りつつあります。
一時期は
人の姿が無いゴーストタウンのような様子が報道されましたが
今は人も増え、開いている店も増え、交通量も増え、仕事も徐々に再開されているそうです。



避難している人々は
私も含め、皆「帰りたい」のですよ。

屋内退避区域内という中途半端な状態なもんだから

一旦は危険だと思い避難をした人も
帰りたいもんだから良いように解釈をするようになります。

「避難指示じゃないんだから戻れる」と、


放射線の飛散数値を見て
「南相馬市は数値が低いから安全だろう」という自己判断で戻って来たり

事業主に事業を再開すると言われ戻ったり

店舗等が再開したり物流が戻ってきて生活出来るようになったから戻って来たり

自宅が20キロ圏内の避難指示区域内で戻れないけど
勤務先が30キロ圏内の屋内退避地域内だからといって
30キロ圏内に部屋を借りたり

近所の人も帰って来たから戻りたいといって帰宅したり


私の祖父母も近所の人が戻り
その近所の人に「原町は”普通”だから戻って来なさいよ」
と言われ、原町区の自宅へ戻ってしまいました。


「ダメ」だと明確にしてくれないから
そうなってしまうのです。


町が復興に向けて動きだすのは良いと思います。
しかし屋内退避区域内なんです
安全なのかどうかもわからないこの地域で
復興があるのでしょうか?


それに、
危ないとバスで新潟に避難を促したのは何だったのでしょうか?

それなのに最近では屋内退避区域解除を求めると言いなさる。

「おいおい市長よしっかりしろよ
 あんたがどっちつかずじゃしょうがねーべよ」って思ってしまいます。




ちなみに浪江町は対応が違いました。

浪江町の津島地区も同様に30キロ圏内の屋内退避区域内ですが
30キロ圏内も避難しなさいという対応でした。
30キロ圏内に戻っている町民には(自己判断なのだから)配給などの援助もしないという対応だったようです。


この違いがこれからどのようになるのでしょうか・・・


さて10年後、20年後
保証をしてくれと言って

屋内退避区域内の活動を黙認していた南相馬市が勝つか・・・
屋内退避区域内も避難をさせていた浪江町が勝つのか・・・



うちの社長は従業員を屋内退避区域内にも戻せないと言います。
うちの父も若い従業員を屋内退避区域内に戻せないと言います。

何かあっては困るからです。


事業者はその責任が取れるのでしょうか?



しかしもとわと言えば政府が中途半端だから悪いのです。

戻りたい気持ちも復興に向け動き出したい気持ちもわかります。
しかし難しい問題です。        






ちなみに・・・

南相馬市は20キロ圏内 の 避難指示区域内 (小高区、原町区の一部)
30キロ圏内の 屋内退避区域内 (小高区の一部、原町区、鹿島区の一部)
30キロ圏外 特に指示等なし (原町区の一部、鹿島区)

と、3つの区域に股がっています。

3つの区域にそれぞれの対応が必要な難しい状況にあります。

家に完全に戻れない 復興も出来ない 避難指示区域
家には戻れる 復興に踏み出せない 屋内退避区域
復興が始まりつつある、仮設住宅の建設が始まった 30キロ圏外


それぞれの区域のそれぞれの対応
市長頑張ってね。

メディアを使ったアピールは良いけれど
「やってるアピールだけじゃん」って思われないように

あなたがリーダーなのだからしっかりして下さい。
しっかりしてくれなきゃ困るのです。



【追記】
 
マイミクさんが明日原町に戻る(一時帰宅する)という日記を読んで
思ったことがあったので追記します。
マイミクさんは私より若い20代の女の子です。

家に戻れる彼女を羨ましいと思います。

しかし戻るのも戻らないもの自己判断、自己責任
自分を護るのは自分しかいないと思います。

何をもって安全なのか
今数値が低いから安全なのか
放射線量が何かのタイミングで増える危険性があるかもしれないのに
その距離(30キロ圏内)は安全なのか・・・


原発の状況が回復に向かっているという記憶は私にはありません。
現状を維持しているに過ぎないと思います。
いつ悪化するかもしれない
また爆発等が起きる可能性もあるということです。

なので
やはり屋内退避区域内は
私は「危険」だと思います。



屋内退避区域内を他の地域と放射線量だけを比較して安全だよ
と、言うことや

屋内退避区域内で自主避難をしている人を非難するようなことは

してはならないと思います。


市長は屋内退避区域を解除を求めるのではなく
きちんと「避難指示」にさせるよう働くべきだと思います。


あくまで私の考えですが。。。

私はそう思います。






始めにお断り
文章の表現に不適切な所やグロいところがあるかと思います。
苦手な方や不快に思う方は読まないで下さい。
(もしくは読んでも苦情・批判は無しでお願いします。)





今日は父の陽気な友人が泊まりに来ています。
南相馬市原町区内に今も住んでいます。(30キロ避難退避区内)

陽気なおじさんのとっても悲惨な話。。。


本来は遺体捜索は 県警および消防団の仕事なのですが
消防団も被災したり避難したりして人手が足りないということで
市を通して地元の建設業者へ依頼そこから下請けの業者への依頼
・・・というわけで
おじさんのところへも20キロ圏内の遺体捜索の仕事が来たそうです。

以下は叔父さんの話です。



「建設業者から呼ばれてよ。明日は8時集合ですって言われて行って
 今日の仕事は遺体捜索でーす。って感じでよ、
(仕事無くなるから)断れねーわな。やるしかないわよ。」

「現状は広島原発よりヒドイっ!
 ・・・見たことないけどね」

「男女の区別は顔からは判断出来ないよ
 まず顔なんてねーもんな
 体見てやっと男女の判別着くくらいだし
 今日見た遺体は2体は顔なんか陥没してたよ。」

「豚みてえだ。豚と同じだ・・・
 全部真っ黒なんだど。顔も体も全部真っ黒だ。」

「腹はガス溜まってふくらんでよ
 服は不思議なもんで上着は全部脱げて、下は履いてんだ
 今日見た遺体全部そうだったわ」

「重機が瓦礫をさらったその下を棒で突ついて捜索すんだげんちょも
 オラんとこ、重機でさらったらよ
 6体も遺体出て来てよ
 オラ遺体見てらんねぐって しれっと違うとこ探したわよ」

「小高(20キロ避難指示圏内)なんてよ
 遺体何体出てくっか予想出来ねえど
 きっと ごろっごろ出てくっがら」

「小高なんてよ未だ
 田んぼまでザパーンザパーンって波打ち寄せてんだど」

「ほのうち海で 底引きの漁やっと 
 がっさがさ(死体)デッペな
 ・・・もうほのころには魚と微生物に食われて骨だけになってっときっと」

「犬猫(の死体)なんても ごろっごろ
 あど 牛のデッケーのも転がってっから 
 今後来っときは ステーキ持っでくっからお土産によ」

「オラの知り合い(が見た遺体の話)
 赤ん坊の遺体 
 津波ん時母親が強く抱きしめたんだべな
 腕だけが肩のとっからちぎれて
 赤ん坊の遺体に一緒にくっついていだってよ」

「いやー異様な臭いだわよ 凄いなんてもんでねって
 町全体がいような臭いで いらんねよ
 人も、木も草も動物も全部くさってんだがらよ」

「ほんで日当5000円だど
 5000円でやれる仕事でねえどあれは」

「遺体安置所もすごいことになってっと
 ぐっちゃっぐっちゃだ
 臭いもすごいことになってっと
 授業なんて始めらんねえど(高校の体育館が遺体安置所になっています)」





・・・私はその状況を
見なくてよかったなと思います。
見ない方が幸せなんだと思います。


でも
きちんと自分の目で見なきゃいけないんじゃないかな・・・とも思ったりします。

私たちがこの悲惨な現実に目をそらさず
世間に、後世に伝えて行かなくてはならないと思います。





最近は復興ムードの内容の報道が多いですが
相双は復興どころか
やっと遺体捜索が始まったばかり・・・


どんなに酷な映像・画像であったとしても
テレビや雑誌などでも
この現状を伝えるベきなんだと思います。
悲惨な現実を知らせるべきだと思います。

映像じゃなくても良いから
言葉でもいいから
キチンと現状を伝えなきゃいけないと思います。


ストレス・・・無くない訳がないもんですね。


どちらかというとストレスを溜め込むタイプじゃないし
それなりに息抜き・ガス抜きは出来ていると・・・思っていたんですが


体は嘘をつきません。



オデコ全体に吹き出物がブツブツ
眉の当たりにもぽつらぽつら赤く・・・


口元には食べ過ぎの時になる割れが3カ所も出来て
オバキューの様な口になってしまいましたw


1LDKの部屋に一番多い時は8人で生活してたもんで
そりゃあ気を使うこともあるし
気になることもあるしね・・・
なかなか一人の時間は作れないし・・・


それか、
生活環境や生活習慣が変わったのも原因かもしれないし
仕事もなく「食っちゃ寝」生活が続き単純に胃を悪くしたのかもしれません。



どちらにしても
とってもブッサイクな顔になってます(あ。それはモトから??w)



昨日は、震災後初めて眉をカットしました。
久しぶりに自分の顔をまざまざと見ると・・・
ゲジゲジのモサモサの眉になっててビックリw

もちろん震災後化粧したこともありません。。。



いやはや
ちゃんと出来る環境にいるんだから
ちゃんとしなきゃダメですね。

反省です。




ストレスは・・・まあ
うまく付き合っていくしかないのかな。


今は1人になれる時間が貴重です。
朝夕の犬の散歩の時間がどんどん長くなっていきますw
痩せるかな?痩せないかw
趣味の一つとして活動していたのが
「donut◎の消しゴムはんこ屋」
本業が忙しかった為
ごくたまーにイベントなどで出店をしていました。

今は暇まっただ中
することが無いってのも困りものです。

というわけで
消しゴムはんこ屋さん再始動です!

でもって
友人から勧められ気になっていたイベント
チャリティプロジェクト「岩瀬牧場さくら祭」を思い出し
これに出店出来ないかな?と、思って今日問い合わせてみました。

フリーマーケットの枠で無料で参加出来るとのことです。

さっそく近くの100円ショップに行き材料・道具の準備です。
今まで使っていたものと違うので(特にカッター)不安でしたが・・・
物は試しでさっそく1個彫ってみました。

$がんばっぺ!相双!


んー、まあまあの出来ではないでしょうか?


ちなみに私のはんこ屋さんの一番人気は
即興でイラストを描いて彫る「似顔絵はんこ」

当日も個数限定でオーダーを受けて彫る予定です。是非♪

チャリティーイベントなので何かチャリティーに繋がることもしたいな◎


よーし
どんどん作るぞ!




チャリティプロジェクト「岩瀬牧場さくら祭」


詳細

この度の震災で被災されましたみなさまに謹んでお見舞い申し上げます。
復旧に向け全力で取り組んでいる、多くのみなさまと笑顔の時間をご一緒したく私ども岩瀬牧場は、チャリティプロジェクト「岩瀬牧場さくら祭」を実施いたします。
皆様からお預かりした義援金は、被災された方々への援助・復興資金として役立てていただきます。

日 時 2011/4/17(日)10:00スタート 入場無料 雨天中止
会 場 岩瀬牧場 (http://www.iwasefarm.com/) 福島県岩瀬郡鏡石町桜町225
主 催 岩瀬牧場
協 賛 レントオール郡山・東北テント株式会社・たすく・まつでん・福菱冷熱株式会社
※当イベントは天候その他の事由により急遽開催を取りやめることがございます。予めご了承願います。

◯LIVEコンサート
遠藤ミチロウ・ヨシダダイキチ+BreathMark・坪口昌恭(DCPRG)・ロボ宙(THH HELLO WORKS)・サラーム海上・BabyGrand・antennasia・dadadubi ほか
◯サラーム海上の楽しいインド映画講座
◯ファイヤーパフォーマンス:不知火人
◯その他 桜の木の下足湯コーナー・フリーマーケットコーナー・乗馬コーナー・ちびっ子遊具コーナー(ふわふわ・アンパンマン列車)


アメリカに留学中の妹から救援物資が届きました。
震災後連絡がなかなかつかずに心配していた妹、

「すぐにでもこっちに戻る」という妹に
「来なくて良い。来たって何も出来ないし、わざわざ危ない所に来るな」と、説得しました。




妹は5年間社会人として勤めながら資金を自分で貯めて
一昨年からサンノゼ(サンフランシスコの近く)のカレッジに留学をしています。
誰からの援助も受けずに、仕送りもなしに
自分の貯めたお金だけで生活しています。


そんな妹からの救援物資が届きました。

けっして高いものじゃないけれど、大量でもないけれど
愛のこもった救援物資です。

$がんばっぺ!相双!

そして・・・私の趣味思考がわかってらっしゃるww

1月に妹のところに訪ねた時に
私がハマって毎日食べていたライム味のポテトチップス(すんごい酸っぱくて美味しいのです)
愛用のリップやお菓子、調味料や日用品などなど・・・

$がんばっぺ!相双!


母や祖母が用途を間違えないように
「チョコレート」「ハンドクリーム」などと
手書きで説明が書いてあります。

それから
「野馬追いTシャツ」と説明書きのTシャツ。

$がんばっぺ!相双!


うん・・・なんとなくね。なんとなく言わんとすることはわかるw



ありがとう!
お姉ちゃんは嬉しいよ!!

嬉しくって時差も忘れて電話をかけたら
向こうは深夜だったらしくて寝ていた様子・・・

なんてありがた迷惑



また、明日でも改めてありがとうを伝えることとします。


やっぱり家族っていいね。
姉妹っていいね。